Nostalgia

灰月 薫


キャスティング、B。

演技、C。

演出、C。

脚本、D。


総合的に見て、駄作。


上演が始まってからおよそ一時間が経った頃には、俺の中の評価はなんとなく固まりつつあった。

……いや、正直なところ観る前から分かりきっていた。

ネットで少し話題になっていたのだ。

「近年稀に見るレベルのクソ映画」だと。


散々な言われようだった。

「これに金払うくらいならドブに捨てた方がマシ」とまで言う人もいた。

そいつ曰く、俺は「金をドブに捨てる好事家」らしい。

何と言われようが別に構わない。

つまらなさを鼻で笑い飛ばすことで、少し気分が晴れやかになるのだから。


この映画館で1番小さいスクリーンには、濃厚なキスシーンが映し出されていた。

ここが一番の見せ場だと言わんばかりに、長々と。


ありきたりな展開だ。

落ちぶれた女優が金持ちになった旧友の男と再会し、恋に落ちる。しかし、周りの人間は二人の仲を引き裂こうとする。

当然だ、側から見れば金狙いの詐欺女にしか見えないのだから。

しかし二人の愛は本物で、どうにか結ばれようと奔走する。

永遠とも思われる接吻から口を離して、男が尋ねた。


「……本当に?」


臭い愛の言葉を交わし合う二人に、俺は奥歯がむず痒い気がした。

本当に?

本当に、それは純粋な愛なのか?

ほんの少しでも、金持ちと結婚できることを喜ばなかったか?意中の相手と身体を重ねる事ができる喜びに舞い上がらなかったか?


それは、無理だ。

少なくとも画面の中のこいつらは。


「本当に、愛してるわ」


だって、涙を滲ませる女優の言葉は、間違いなく「演技」なのだから。

脚本通りのセリフを、脚本通りの顔で、脚本通りになぞる。それだけの恋人達が本当の愛など知っているはずがない。


……馬鹿らしかった。

そもそもこんな思考に至った自分、それさえが。


俺は何を観に来た?

演技だ、演技のはずだ。

駄作を駄作だとこき下ろす為にすぎないのだけれど、一つの演劇を観に来たことには間違いない。


だというのに、「演技」であることに胃がムカムカする。

それはさながら焼かれるのが目的かのように灯りを目指す虫ケラのように、死ぬのか目的のように羽化する蜻蛉かげろうのように。


俺は脚を組み直した。


せめてボロクソに言うのは終わってからにしよう。そうでなければいけない。

そうでなければ、自分の行為に正当性を保てなくなる。

こんな駄作のために自分の心を害さなくてはいけないのは、少し……少し癪だ。


ほんの少し意外だったのは、二人は別れを選んだ事。

互いの人生を、互いのまま歩むことに決めたのだ。

いわゆる、ビターエンドだ。

男は親から紹介された、大して好きでもない女と結婚する。

女は遠くの舞台に立つために、町を去る。


物語の最後、二人は駅のホームに立っていた。


「もう会えないわね、私たち」


斜陽に照らされた女は、そう微笑んだ。

にわかに風が吹いて、首元のホクロがあらわになる。


……そうだ。


思い出した。


どこかでこの人を見た気がしたんだ、俺は。

この人が愛を囁いた時も、接吻をする時も……それがどうにも、どうにもこそばゆく感じたんだ。

嫉妬にも近かったのかもしれない。

下手な演技が相まって、恥ずかしかったのかもしれない。


彼女は、昔アイドルをしていた。

数人でのグループ、いつも舞台の端っこで踊っていた。

俺が彼女を少しずつ追い始めて2、3年。彼女は突然アイドルを辞めてしまった。

風の噂では、結婚して子供も出来たかららしい。


……知らなかった。


あの時はあんなに一生懸命追っていたのに。

彼女の一挙一動に目を見張っていたのに。


こんなクソみたいな映画で、クソみたいな演技をして。映画の中ですら結ばれなくて。

こんな、こんな。


電車が来る。


これに乗れば、彼女は遠い町に行ってしまう。

きっと二度とは戻って来ない。


それでも「観客」の俺は見送るしかない。

数日後には観たことすら忘れるような映画を、俺は見ることしか出来ない。


不思議なことに、別段悲しくはなかった。

そこはかとない寂しさがあるだけで、俺は既に事実を受け止めてしまっていた。


……いや、悲しくなることすら出来ないんだな。


「待ってくれ、やっぱり、もう一度……!」


電車に乗り込む彼女に向かって、男は叫ぶ。


閉まりかけるドア。

彼女は振り返って満面の笑みを浮かべた。


それは、太陽のような笑顔だった。

それは、俺がかつて見た「アイドル」の彼女の笑顔だった。









「さよなら!!」









エンドロールが終わる頃には、誰もいなくなった劇場。

俺はいまだ呆然として座っていた。


それでも数分経つ頃には、浮かされた熱は下がってしまっていた。

座り心地の良い椅子から立ち上がる。

最早何も映さなくなったデカいスクリーンを一瞥、それから、俺は劇場を立ち去った。








あとから知ったことだが、彼女は今回の映画で芸能界から引退したのだった。





end.








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Nostalgia 灰月 薫 @haidukikaoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ