第4話不望の余白を喰らう者

部屋──何ひとつ置いていない簡素な空間。


 物寂しいというか、静かというか、本当に何もないと此処までも落ち着かないのかと思ってしまう程。身体中の神経の微かな振動を感じ取ってしまう程。


 台所、トイレ、風呂、洗面所のついた八畳の部屋。


 荷物を本当に何も持って来ていなかった僕には何か出来ることがあるわけでもない。


 僕は部屋に入って早くも玄関の扉に手を掛けようとする。


 自ら渡された鍵の部屋に向かい、様子を見たのだが、どうもその場に居座る気が起きずの現状。



 ドアノブを下げると同時に反対側から力が加わり、聞き覚えのある声が聞こえる。


「……此処に居ろと、言いましたよね」


 深く沈むような声──泉導さんの声。


「桃花を探しに行くだけです。ご迷惑は掛けません。見つかるまでは学校にも行きませんので」

 古い扉をギシギシ揺らして僕は前へと進もうとする。


「例え、関係のある人も君のような人間を今回の件に触れさせることは出来ません」

「僕に何が出来ないんですか……」


 分かっていても、認めたくないこと。


「君には対抗手段たるものが無い。そして、今の私には近くでその人物を守るすべを持ち合わせていない」


「何なんですか術って!」


 僕は思わず声を張り上げる。


 目の前で瞬時に消えたブギーマンと桃花の事を思い返して、口を閉じる。


 この探偵がいくら彼女とあの怪異が一緒に居る方が安全と言おうと簡単には信じられない。


「一言で言ってしまえば異能──魔法、フィクショナリー、式神から付喪神その他にもありとあらゆる手段が存在する。あの怪異などと呼ばれる存在を相手に、力を持たないのは看過出来ない」


「……そうですか……ッ!」


 隙を見て僕はドアノブに力を入れる。


 だが、微動だにしない。


 長方形の木材が軋みながらガタガタ鳴っている。だが、少しも前へと動かない。木屑が窓から差し込む光に照らされて雪のように見える。


「君は怪異のことを見えても、戦う術、守る術を持たない。そのような事を言っておきながら私は争いは好まないが、危険のある以上、巻き込みたくないのです」

 向こうから全力でりきみながら扉を押さえ付ける声が聞こえる。


「別に僕に力が無くても、それでも──」

「君の異能は確かにあります。私がこの目で見た、力が」

「な、なに……」


 そんな力があるのなら、あの怪異と呼ばれる怪物に対抗出来る力があるのなら。


 早く此処から出て彼女の元へ……。


 その衝撃に思わず僕は、開く扉を離してしまう。



「幽体離脱です──」



「は?」


「正確には少し違うものですが、フィクショナリーと呼ばれる存在を介しての力。一般的には強力に成り得るものです」


「幽体離脱──魂を体から出す能力。それも体質的なもの、霊体になり動き回る能力です。長時間の使用で体は死亡し、霊体に異能などで直接攻撃を受ければ廃人になる事は必須。フィクショナリーを元にする力ならば、人格すらも奪われる可能性すらもあります」

「は?」


「と、言うわけで。君を危険な場所には連れては行けない」

 そんな言葉を聞くと同時に、玄関の向こうで鉄のチェーンの音が鳴り響く。ジャラッと鳴ってはガチリと締められる。どんな使い方をしたのか内側からじゃドアノブが下がらない。


「何か彼女について分からないことがあったら聞きに来ます。私が、君の元に向かいます。ですから……まだ"此方側こちらがわ"には、来ないで下さい。お願いします」



 切実な願い。


 此方側……探偵の棲まう世界、日常に潜む世界、僕が何処かで望んでいた世界。


 そして、暫くしてから足音が遠ざかっていくのを確かに感じ取る。



「え、まじか……」


 口から、勝手に言葉が出る。


 起こった事に対して、今の今まで脳の処理が追いついていなかったわけではない。全て、確かに分かっていた筈だ。


 でも、そのどうしようも無い事実がその一言の中で完結される。


 でも──何よりもまず今僕がしたいことは、彼女を助けること。怪異がどの様な存在であるかも分からない現状で、僕に何も出来なくても。


 幽体離脱、それを力と呼ぶ事ができるのなら。あの日々の夢の光景が、真実であるのなら。


 尚一層、僕は彼女の元へと駆け付けたい。


 何でそんな事を思うのか……考えるまでもなく。明確に感じる非日常に堕ちていく体が、響きながら歩むべき方向へと勝手に足を進めていく。


 涙を流す少女、その後ろに迫る鎌を待った黒い影、同じ色とは言えど探偵のものとは違う残虐性を浴びた空気。強い罪を感じる者を罰する存在。それも対象を死に至らしめることで──


 それを分かっていて、近くに彼女が居ないことが僕には不安で仕方がない。


 僕は、動かなくなった玄関の扉から離れて後ろを向く。やはり何も無い空虚な部屋……だが一つ大きな窓がある。此処はアパートの二階、それに窓の外には塀が見える。


 あの二人には悪いのかも知れない。僕の事も彼女のことも本当の意味で守ろうとしてくれているのかも知れない。非日常、世界の裏側に潜む存在から手遅れになる前に──


 仮にそうであろうとも、僕は動く。


 心の何処かが確実に"高鳴っている"のを僕は感じ始める。僕はその高鳴りを確固たるものへと変貌させていく──


 そんな一人の少年の動向はいざ知らず、再び車に乗り込んだ泉導黎と奈那代名無はアパート前に止めた車の中で、名無が事務所から取ってきた資料を見て二人は眉間に皺を寄せる。

まあ仮面の方は見えないのだが。


「さて、向かいますかね?」

「ええ、そうですね。行きましょうか……ってもしかしてお得意の玄関封鎖とかしてないでしょうねえ」

 鋭い名無、彼女も被害者もとい被経験者である。


「あはは……。彼、意思は強い様ですからね」

 探偵は力無く笑う。


「やったんですね……。また大家さんに怒られますよ〜。どうせ最後にそれやっといて良かったでしょ的なのになるから外して来いとは言いませんが!」


 二人の行く先は決まったようで、そのまま名無の運転で近くの駅へと向かう。


「にしても……思いの外遠いものですね〜。まあフィクショナリー、使っちゃえばすぐ着くんですけど」


「まあ、そうとは言えど使い過ぎは禁物ですよ。いくら便利なものだからとて、飲み込まれる者は数多く居るのですから。お忘れなく」


 二人は誰にも見えていない様に、それでいて堂々と。


 駅のホームから飛び降りる。


 迫る電車に気を取る事なく、落下する。名無の足のつま先が線路に触れると同時に、彼女が行き先を念じ──二人は人々の前から姿を消す。


 憑風綾羅はアパートを出た後、駅の近くで黒い影のようなものを一瞬だけ捉えた。だが、それを近くに飛ぶ鴉のうちの一羽と思う事も無く、静かに見過ごす。


 線路に沿って行けば少なくとも帰路には辿り着ける筈だと考えながら、何処までも続く道を歩み続ける。



 そんな状況下、探偵は呟く。


「フィクショナリー『きさらぎ駅』、線は続くよ何処までも……でしたっけ? 相変わらず便利な異能ですね。車要らずとまでは言いませんが、一般人の視界から眩ませる技術を持っていれば無賃乗車もお手のもの……」


「駄目ですよ〜! いつも悪用禁止とか言いながらそんな事ばかり」


「ははは、最近金欠気味でして。金は人を迷わせる。罪なものですね。それに最近は食屍鬼グールを見る様にもなりましたから物騒です」


 何処へ向かっているのやら、そんな話をしながら──名無によって異空間に創造された、望む行き先へと向かう電車に座して到着を待つ。


 少年は、その光景を知る事も無く一人見慣れない街の中を歩き続ける。


「スマホも無いから帰れないな……。勘頼り、昨日は昼も夜もというかまだ朝食も食べてない……」


 それなりの大きさの教会前を通る。そばのレストランから、無駄に良い匂いがしてくる。


「最悪だ」


 どっと疲れてきたのか、独り言が増えていく。


 怪異や魔法、知っている単語でありながら、それらが実在すると言われればどう理解するべきか。


 それにしても、幽体離脱……。


 純粋に示すならば取るに足らなぬ死体と成り果てるだけの力。


 やはり探偵のような彼方側の人間には、足手纏いの他ならないのだろうか。生憎ながら纏うどころか、無防備以上の状態だ。


「……まあいいか。別に一緒に居るわけじゃないし」


 そんな事を言おうとも彼女の居る先も、ブギーマンが何なのかも正直よく分かっていない。

結局、何か分かろうとすれば別の分からないものに押し潰される。


 何処かで非日常に棲まう存在を理解しようとすればする程に、今こうして歩いている日常の中の世界と自身の乖離を肌に感じる。


 脳内が空白に蝕まれていく様な感触。


 不可思議な存在への恐怖を覚えない、不自然ながら自然にも──僕の歩みは何処へ向かっているのか。


 徐々に意思というものが体から抜け落ちようとするのを止めて、命を留めて、線路に沿って歩いていく。


 彼女が連れ去られたという時自室の中で焦りを感じられていないことに、鬱蒼としながら歩いていると街の生活音や風の音に紛れながら別の何かが聞こえてくる。


「罪……ヲ、裁ク……悪逆タル、モノハ……」


 学校で聞いた黒い影の声。


 錆びた鉄を無理矢理擦り合わせた音、鼓膜に針金を突き立てるような音、麻痺した痛覚でガラスの破片を噛むような感覚。


 不快を混ぜ合わせる何か。


 繰り返す罪という言葉。


 その黒い影は、夜に現れてひとりの少女の背後で鎌を持つ。


 そんな怪異の一つ。


 僕は後ろを向いて、深く呼吸する。


 目の前にその存在は現れない。


 不可視、ではない。


 居ないだけ──でも、この今にその存在を確かに感じる。


 歩きながら、早くも空が赤くなり始めているのが分かる。昼まで体が動くことが無かったのを考えればおかしくないのかもしれないが、やはり時間の流れを早く感じてしまう……。


 僕に何が出来るのか、気付けば帰路に着き、もう既に見慣れた一軒家が見えてくる。


 警察の人間が立っている。


 家なんかに何も無いだろうとは思いつつも、戦いというものにおいて力になってくれるだろうもの。


 中学の修学旅行で買った木刀。未だにそんなものに望みを持っている事に我ながら、別に自分自身が大した者でないと自覚出来ていたとて我ながら愚弄に値する。


 希望的観測を元にした一つの武器。


 近寄ろうにも、家の前に停められたパトカーから圧を感じる。


 探偵が通報でもしたのだろうか、あの変わる事のない笑顔を見て──死した人間の姿を見て。


 昨晩の光景を思い返す事も無く、その実家であったものの光景を眺めているとまた、地の底から這うような音が聞こえてくる。


 黒い影……よりも戦慄的にして鮮明に見えている。


 朽ち果てた人間の姿をした何か、白目と尖った棘の様なものが体から生えている。


 灰色の爛れた体、家を見る僕の体を掴み、離さない。触れられている部分から徐々に強い痛みを感じ始める。


 払い除けようと蹴りを入れるが、その異形の存在はケタケタと笑いながら次は腕を強く掴む。

「…………ッ!!」


 痛い! 何なんだ一体。


「死体……? あゝ死体……シタイ──オナジ匂い、我らはソレを喰らうまで、カハギャキャキャキャッ!!」

 朧げながなり声を上げて、嬉々とした表情を浮かべる。


 掴んだ腕をいとも簡単に捻じ曲げようとする。赤い空の下でその灰色の怪物の口は暗く広がる。


 抵抗するが、力が出ない。


 少し先には警察が居る。


 だが、怪異と呼ばれる存在を知覚できる人間はそう簡単には現れない。こうして腕が折れる寸前までにされている状態の僕を視界に入れて尚、彼らは表情ひとつ変える事なく親の変死の原因を調べている。


 血液が血管を飛び出て肉の中を動き回る。骨が響いて砕けそうだ……。そして、身体中に走る神経が崩れ落ちてしまいそうな程の激痛。


 灰色の怪物は、抵抗する僕の体を投げると同時に人通りの少ない路地裏へと投げ飛ばす。何かから逃げているようにも取れながら、相変わらずに僕の事を狙う。


 痛い、痛い……。


 身体中を走る痛覚、それを感じながら無意識的に言葉を発する──


 自分の口でありながら自分のそうでない、脳内でも心の中でも一切思ってもみなかった言葉。


 もしかしたら本音であるのかと思ってしまう程の言葉。



 異常な錯覚──


「五月蝿え……、同じ体使ってる癖によ、何だこのザマは。助かるのか死ぬのかハッキリしたらどうだ」


 彼女が連れ去られた直後に聞いたあの声。心の奥底から、唸る様に響いた声。


 誰の声、だ……。


 ただ屍を喰らう事を目的とする怪異、食屍鬼は近くにある獲物と似た匂いを持つ人間を襲うこともある。


 そんな事を暗に示すまでもなく、ただ動かなくなった人間を喰らおうとした瞬間に──事は起こった。


 僕の体は食屍鬼持ち上げられて、足が地面から離れる。


 僕はその光景を見つめている……。


 この時に初めて僕は今の自分のことを自覚する。


「幽体離脱……」


 そして、僕の体は勝手に動き何か呟いたかと思えば直後──投げ飛ばされる。


 僕の部屋の窓が割れた。ガラスの音が鳴り響く。


 僕の投げ飛ばされた体によって……。


 同時に僕の体に痛みが戻る。


 一瞬にして全てを感じる。


「認知した瞬間に幽体離脱が解除される……」

 そんな中で、声だけが冷静に状況を分析する。



 その後、迷わずに僕は押入れの奥にしまった木刀を取ろうと必死になる。木の棒があの怪物に効果があるかどうかは知らない。


 だが、この怪物に効けば怪異も殴れる事に間違いはない。


 気付けば僕は、身体中にあざを作りながら、木刀の刃に触れた瞬間に出来た指先の赤い線から──血を流し、戦闘に挑む。


「馬鹿みたいな現実なら、馬鹿みたいな思い出で──壊すだけ。さあ、お前、この木刀の錆にでもなるといい!」


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