第2話罪の芽を摘み取る鬼
影を追うようにまた、黒い人影がひとつ。あの恐怖の幻影とは違う。確かな人の姿をした影。黒いコート……仮面の表情は黄昏時に紛れて見えずに、それでも視線は確かに二人の高校生を追っている。
クリスタルで出来た首飾りが、紺と混ざり合う紅に照らされて。溶け合いながら街中の影に拡散されて反射して……。動かずに、ただ遠方を見て、笑うことも泣くことも怒ることも。ただ罪に溺れる者を見据えて。
未来を──見定めて。
常なるものが一つ、解放の時へと歩みを始める。
陽光が完全に沈み込む。
まだ幽寂には程遠い住宅街。
そして、また水のように流れては眠りの時へと唸りながら地は回る。
僕は、眠りについた
目を開く、昨晩よりも遥かに知覚できる意識の中で。
無表情に時の流れを見届けるように。過去を眺めては己の内に閉じ込めた幻影を空高くへと解き放つ。魔法も常識も現実も虚像も何もかもが存在する事のない真髄だけで
人は生きながらにして罪を抱え、それを断つ事にもまた罪を得る。逃げる事の出来ない破滅的な循環。でもそれは、存在しない意識の中では起こり得ない虚像にしか過ぎないもの。
錆びた鉄は、黒い住宅に爪痕残すように進む。血と悲しみと絶望と──かつて人が穢れと呼び、かつて人が罪として見た存在を自身の体で体現するような戦慄の影。
鎌を持ち。
街の片隅で悲哀を浮かべる人物に──その人物は、皆が寝静まった街を涙を流す事なく歩いている。確かに悲しみを覚えている、でもそれ以上に罪を感じて生きている。
自身の醜い自身の行い、愚かな行い、浅はかで何も見ていない人生に。
鎌を持つ影は、その人物の背後に付いて離れない。まるで影が悲哀を纏う人物の影そのものであるかの如く。張り付いて──雪のように冷たい感情。
「私は……赦されるの?」
目は赤黒い空気に覆われて、肉から留まる事を知らずに溢れ出す。まだ取れない、染み付いた鉄の匂い。流し終えてしまった涙、それすらも少女の罪の象徴たる──体内を巡る穢れと同じように停滞を支える一柱となり無表情に地を見つめる。
僕の体は、また動かない。
「……ぁ」
そう言葉にもならない言葉を口にするだけで精一杯で。
そこにもう一つの黒い影が現れて──それが此方を向いた瞬間に。
朝が来る。
目覚まし時計が鳴り響く。
部屋の中で反響して頭の中にもつんざくように流れ込む。昨日、目覚ましを切るのを忘れていた。
今日は……休日だ。
僕はそうして、安からな二度寝に就く予定だった。
だがしかし、早くも問題と言うものが起こってしまう。
『今日、空いてますか?』
見覚えのあるアイコン、綺麗な紫色の椿の写真……桃花からだった。
空いてるけど、そう返信したはいいが、昨日の通り現状の僕は世間一般で言う金欠だ。スマホを置いて、頭が動くまでしばらく何も考えずにいようと思っていた矢先。いや、思うまでもないうちに速攻で返信が来る。
『それでは、昨日言えなかった事を伝えます。二時間後に家に向かいますのでよろしくお願いします』
「……な、なんだ」
僕の朝の脳は、急激に来た大量の情報を容易に処理することには向いていない。
「な、何なんだ」
大事かどうかはともかくとして二回もそんな風に口にしてしまう。
昨日伝えられなかったこととは……。あの怪物が僕の夢じゃなかったとでも言うのだろうか。それとも……。
『外出の準備をしていただくことをお勧めします』
追い打ちを掛けるように追記事項が飛んでくる。何処か出かけるのだろうか、短くはいと返事をして部屋でまた暫く放心状態になる。何も考えずに彼女が来るということだけを頭に入れて僕は一応外出の準備をする。
そして、顔を洗って珍しく朝食を食べて。
歯を磨いて──
彼女が来た。髪と同じ色の竜胆色のワンピースを着て、玄関から出る僕を待つ。
「おはよう」
「うん、おはようございます」
「今日は何用?」
別に何でも構いはしないのだけれど。
「昨日、昼に話しかけたでしょう?」
「ああ、うん。まあ、うん」
「……まあ、その時に今日一緒に買い物にでも誘おうと持ってたのですが」
曖昧な返事に微笑んで彼女は答える。
「買い物か、珍しいな」
彼女は彼女であまり出かけることはあまりしない方であると勝手に思っていたが。
「ええ……そうですね! 最近あまり遊んでなかったから誰かと生きたいなって。近所のショッピングモールでイベントがあるらしく」
一呼吸置いてから嬉しそうに彼女は言う。
「何でも何処かの劇団が一階のホールで何かやるみたいなんですよ〜」
「へえ、劇団」
「親戚の人が出るので買い物のついでにと」
あまり劇は詳しくはないのだけれども。……まあ二度寝するよりはきっと良いだろう、きっと楽しいだろう。
二人揃って歩いていればすぐに大きな建物が見えてくる。
休日ということもあって混んでいるが、それなりに買い物は楽しめそうな感じだ。
年代問わず近所の人が多く来ることもあって賑やかである。
「何処か行きたい店でもあ……」
少し歩いて話しかけると同時に迷子のアナウンスが流れる。迷子になったのは小学生の子どもらしい。
「迷子ですか。大変だ」
「そういえばよく迷子になってたよな」
「それはお互い様です!」
二人で辺りを見渡して、それらしい少年の姿が見当たらないこと確認してし、再び歩き始める。
「綾羅くんは迷子にならないで下さいね!」
彼女は冗談のつもりで言ったのだろうが、彼女の方が身長が高いこともあって姉に説教される子供のような気分になってしまう。二人でそんなことを思い出しながら文房具店へと足取りを向ける。
彼女は今日もまた……何処か眠そうだ。
少し涼しいくらいのショッピングモールの中で小走りでそこへ向かった彼女は、目当てのものを見つけたらしく即座に購入する。この時値段を一切見ないのが彼女の癖である。
無論、僕が店に到着する前に。
「さあ、次へ向かいますか? それとも見たいもの、ありますか?」
「ぁ、いえ……特に」
そして、僕と彼女は恐らく……遊ぶのが苦手である。
彼女は買ったシャーペンを手提げのバッグに入れてまた別の店を探す。
そして、店を出た所で……。
「どわっっっっっ!」
誰かとぶつかり見事に音を立てる。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
声の低い人物が、すかさず桃花に手を差し伸べる。
近くで転んでいる短髪の女性はその人で、ぶつかったと同時に落ちたであろう大量の紙の資料が広がったことに肩を落としている。
……惨状である。
「すみません!!!」
黒いスーツの女性が威勢よく立ち上がったところで、地面に罠の如くばら撒かれた資料に足をすべらせてまた転ぶ。
「あっはははは……」
もう笑うことしか出来ない彼女。
「またやってるんですか。アンラッキーガールさん」
感情が読めないながらも落ち着くような声で仮面の人物は言う。仮面……?
「失礼ですね。私はラッキーガールですから!」
季節外れの黒いコートに、仮面を付けた人物がまた転んだ女性の方に手を差し伸べる。
空調の風で顔の方に資料らしきものが飛んでくる。
「ブギーマン……
オカルトライターの人か? それとも変わった服装の人もいるし劇団の関係者なのか……?
「すみませんね、うちの
「ちょ! 個人情報! あまり出しちゃだめって」
「ああ、そうでした」
落ち着いた声で彼、彼女(?)は言って二人で資料をまとめる。僕も手に持った資料を返す。
そんなところで、新たな迷子のお知らせが鳴り響く──
「……おや? またですか。今日は多いですね」
「そうですね」
「名無さんもお気をつけて」
「この年で迷子とか最悪ですよ! というかなると思ってるんですか!?」
「まあまあ、無論。お二人も……ね」
そう言うと黒い二人は、去って行った。
桃花と僕はその背中を見送り、また次の店へと向かっていく。
いつか見たような黒い影は、結局仮面の下の表情すらも見せずに僕達の前から姿を消した。
「……この資料って」
彼女がカバンの中に入ってしまっていた一枚の紙を見てそっとこちらを向く。
「迷子の児童多数……周辺で発生する……何だ?」
読み上げようとすると、視界を遮るように霧のようなもやが掛かる。
アナウンス──迷子のお知らせ、迷子のお知らせ、迷子のお知らせ、迷子のお知らせ、マイゴ、ノおシラセまイ號舞ノ……ガガッ……。
狂ったように、アナウンスから機械的な音声が繰り返されて流れ出す。
「あ! もうそろそろ公演の時間ですね……。寝ないと良いのですが」
「また寝不足か?」
「ええ……恥ずかしながら……」
離しながら周囲を見る。また……誰にも聞こえていないようで、桃花は時計を見ると「この資料は見つけたら渡しましょう」と言って再びカバンに入れて、一階へ行くエスカレーターを探し始める。アナウンスはまだ、迷子のお知らせの部分を繰り返しながらショッピングモールの中を異様な空気で包み込む。
何かを踏み外してきているような不安を感じつつも彼女に着いて僕は歩き出す。
一緒にいれば少しはマシになるかもしれないとか、思いながら。
昼時の公演……ショッピングモール一階の中心にある広いステージ既に多くの観客が集まっており、先程からの狂ったアナウンスも嘘のように聞こえなくなった。周辺の明かりが抑えられている中で光るライトお陰で、興味を持った客たちがまた続々と訪れる。
あの仮面の人達も出てくるのだろうか……仮設で並べられた席に座った彼女は、既にうとうととした表情になる。起こすべきか、声を掛けてみたが動かない。もう目を瞑っている。
「……寝た」
劇が始まれば音で起きるだろうと思い、暫くステージ上に注目していると幕が開きだし、開演の挨拶が聞こえ始める。近くの店で商品を買っていた人も足を止めて、声のする方へと視線を向ける。
劇が、始まる──
暗い場面からの始まる。館の広い一室で、一人の少女が泣いている。
遠くに立っているのはその家族だろうか、彼女を見ては本を読み漁り、怪しい服を着た人物と奇妙な話を繰り返す。
少女はそんな家族を見る度に涙を流す。
毒々しい薬に魔法陣のようなもの。様々な印などが浮かび上がっては消えて、少女はついに悲鳴を上げる。家族はその様子を微笑ましく思うかのような笑顔で見つめている。
ある日、少女は館を抜け出すとそこで一人の少年に出会う。
彼は、少女の手を優しく握って美しい……見とれてしまうような魔法の世界を……。
すると、隣から微かに誰かの泣く声が聞こえてくる。
左に座る桃花の方を向く。
そして、誰かの泣く声が聞こえなくなった途端に──竜胆色の少女の姿が……隣の席が……空白になる。
確かに隣に座っていたはずなのに、眼の前から少女の姿は消失した。音もなく水晶が砕け散ったかのような異常な喪失感が一瞬にして襲ってくる。彼女の持っていたカバンは席に置いてあるまま。今は誰も座っていない席に、涙だけがポツリと落ちる。
破片すらも、割れる。
また、頭の中につんざくように響き始める迷子のアナウンス。
そこから聞こえた名前、七海夜桃花に僕は過剰に反応する。
体の中で何かが熱く反響し合う。
見間違いじゃない、確実に……眼の前から……一瞬で消えた……。
「ブギーマン、そろそろ現れるかと思っていましたが、まさか今日の標的があの少女になるとは……」
少し前に聞いたような声が柱の後ろから聞こえてくる。
「ええ、そうですね。でもどうしましょう。彼」
スーツの女性が、珍しく冷静そうな顔をして仮面の人物に話しかける。
「別段悪意を持っているわけではないのが難しいところですね」
「ええ……それでいて、脅威になり得る力を持っていると……」
劇と歓声と雑多の中から聞こえてくる怪しげな会話の主を探して走り回る。
劇の為に切られた照明のお陰で人の姿の判別が付きにくい。
そんな中、黒いコートの影が見える。
迷子の児童……多数……そんな資料を持っていた人物ならば何かを知っているのではないか。勝手な願望と推理ともつかぬ直感的な精神で。
人混みを抜けて、行った先で──
誰かに軽く首筋を叩かれる。景色が急に暗転して……直後に体を通り抜ける過剰な寒気。狭い部屋のような空間で意識を確かに感じる。
「……誠に申し訳ない」
黒いコートの仮面と、黒いスーツの女性が深く頭を下げて僕を見る。
「え……あの……ええ?」
謝罪の言葉を頂いた──と同時に二人は立ち去り、部屋の扉のようなものを閉めて去っていく。
───そして、二人の黒い影は走り出す
「泉導さん! 手刀で気絶させるとか普通に何やってるんですか!?」
走りながらスーツの女性……
隣を走る黒いコートの人物はははは、と笑いながら何かを考えているような声を出して言う。
「彼にはまだ早いからかなアレはね……」
赤いジャケットに金色のステッキを持った姿の青年。
闘牛士のようなマントを広げては閉じて、その内側に隠された一人の少女の顔を見る。
人の見た目をしつつ、人ならざる空気を纏う者。
泉導と呼ばれた仮面の人物は、ショッピングモールの渡り廊下にぶら下がる異質な存在を見据えて言った。
「さて、その少女を放してはくれないか?」
「……」
青年は、自分の回りを見渡して他に呑気に買い物を楽しんでいるような人間の事を言っているのではないと理解する。
「は? もしかしてだが仮面よ。このボクに言っているのかい? ブギーマンに……親を裏切り、罪な子らを盗る者に──霧の如く現れて消える、慄くべき亡霊に──」
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