第21話 「レディには、ちゃんと距離を取ってお話しなきゃ!」
外はまた完全には明るくはなっていなかったけれど、ぼんやりとした光が朝だということを告げていた。
寝台の端にいたせいか、冷たい冷気を感じて寝台の中央に無意識に寝返りを打つと、目の前にヴァルの寝顔が飛び込んできてアイリスは思わず息を飲んだ。
(……そうだった、私たち、昨日同じ寝台で寝て――)
だから何があったというわけではないが、起きがけにも関わらず跳ねる鼓動が騒がしい。
目を閉じたヴァルは、いつもの温かな草緑色の瞳が見えないせいか、長い睫毛に縁取られたまぶたが墨入れで入れられたように白い肌の上に綺麗に引かれていて、知らない男の人のようにも見える。
早く目を開けて、いつものヴァルになってくれないだろうか。でも、起きたら起きたで、どんな顔をしておはようを言っていいのかわからない。
ここは、ヴァルが起きる前に身支度を整えてしまおう。
そう思って身体を起こそうとした時、目の前で、ゆっくりとヴァルの睫毛が震えた。
「……おはよう」
目が合った途端、アイリスの待ち望んだ草緑色は柔らかく細められて。外からの光で金の色も目の中で揺れた。
あまりに優しいその顔に、アイリスはなんとか「おはようございます」と小さく返すのが精一杯だった。
とてもではないが、いつまでも同じ布団にいられる気はしない。アイリスはまだ眠そうに伸びをしているヴァルを寝台に残して、さっと身を起こすと身支度をしに洗面台の方に消えていった。
朝食を終え、ユキカゲを走らせて王都に着いたのは昼前のことだった。
「わ……ぁ!」
クリュスランツェで生まれ育ったアイリスさえも、王都の城壁が見えてきた時は思わず声を上げた。
普段は高い城壁の上部から流れ落ちている水が、全て凍って城壁を包んでいる。太陽の陽に照らされて輝く姿は、まるで巨大な宝石のようだ。
入口で簡単な審査を受け城門をくぐる。クリュスランツェの王都はもっと幻想的だった。
昨日宿泊した村のように、夜光祭のために飾り付けられた家々の軒先、凍った噴水や、氷で出来た馬や精霊の彫刻。何よりも、中央広場まで来た時に正面に見えた王城は、天を刺すその槍のような切っ先から氷で覆われ、輝きながら空に向いている。
氷柱でより低くなった気温に、道行く人の吐く息は白く。氷から立ち上る冷気も時々白く上がって、空気はキンと冷えている。けれどもそんな事は忘れてしまうくらいに王都が綺麗で幻想的な外観だった。
「……一生に一度はクリュスランツェの王都は見とけって言うけど……これはたしかに凄いね」
隣で同じ様に王城を見上げて感心しているヴァルに、アイリスは言葉にならない感動でコクコクと頷いた。
今日の宿泊予定の宿に馬車を止めて、昼食と観光がてら徒歩で中央広場まで戻る。広場は寒いながらも観光客と地元民でかなりの賑わいを見せていた。
「想像以上の賑わいだね」
これはなかなかお店が開いていないかもしれないな、とヴァルが辺りを見渡す。
「王都に滞在している親戚とは八つ時から会う予定なんだけど、地図を見ると指定されたカフェはここから少し離れてるんだよね。多分、席は予約されているから、俺、ちょっとひとっ走り行って今からその席を利用できないか聞いてくるよ」
アイリスはその辺の屋台で温かいものでもちょっとつまんで待ってて、と言うヴァルに、アイリスは驚いた。
「そんな、私も一緒に行きますよ!」
わざわざ席が空いているかを確認するためだけに行くのなら、一緒に行けば空いていた場合すぐに入店できるのではないか。アイリスの言葉にヴァルは笑って手を振った。
「いや、もしかしたら時間まで席がいっぱいかもしれないし。そうしたらまた戻ってこないといけない羽目になるしね。足元も滑りやすいし……席が空いてなかったらこの辺で軽食をつまもうよ。この辺りの方が屋台なんかも多そうだしさ」
王都の空気を味わいたいなら中央広場が最適だろう。十分程で戻ってくるからとヴァルは中央から外れた方向に走っていった。
アイリスは急に一人になってしまった事に少々の心細さを感じつつ、とりあえず目の前にあった屋台からブランデー入りのホットティーを買い、屋台の横においてあったベンチに腰掛けて温かいお茶を口にした。
中央広場には真ん中に大きな凍った池があり、他の地域であったらそこは確実に噴水であっただろうが真ん中には獅子と騎士の大きな氷の彫像が置かれていた。
王都観光の目玉のひとつなのだろう、彫像の周りには見物客が集まり、それを囲むようにして温かい飲み物や食べ物の屋台が店を広げている。雪の結晶や、赤や黄色の軒先に吊るすオーナメントなども売られていて、もこもこの防寒着にくるまれた小さな子ども達が頬を赤くしながらそれを買う様子は幸せの縮図だ。アイリスはホットティーを飲みながら口元を緩ませた。
「いやあ! 流石は氷の都だな!!」
「!」
アイリスの隣に突然ドカリと男が座って、虚を突かれたアイリスはビクリと肩を震わせた。
男はホットワイン片手に、昼からすでに出来上がっているのか、寒さから来る類の赤みではなく、顔を赤く染めていた。
「お。お姉ちゃんも観光かい?」
身なりからして、輩の類ではないだろうが、昼間から羽目を外して絡んでくる様な人とはお近づきにはなりたくない。アイリスは少しずつ距離を取りながら「はぁ」と気の抜けた返事をした。
「俺はなぁ! もう五回も王都には観光に来ているんだ! 姉ちゃんは初めてかい? 初めてなら王都の上手い歩き方を教えてあげようか?」
「結構です」とアイリスが断っているにも関わらず、男は「まあまあそう言わずに!」と上機嫌のまま距離を詰めてくる。
道行く人もチラチラとこちらを見ているが、男にも悪意があるわけではなさそうなため、横目で見ながら通り過ぎてゆく。場所を移動すると見知らぬ土地でヴァルと離れ離れになってしまうためそれも出来ず、狭いベンチの上でアイリスは逃げ場がなくなり困ってしまった。
「おじさま! その子、困っているわよ? レディには、ちゃんと距離を取ってお話しなきゃ!」
よく通るはつらつとした声が、アイリスと男の間を通り抜けていった。
声の方を向くと、暖かそうな品の良い白いケープとコートに身を包んだ年若い女性が腰に手を当てて立っている。
ケープのフードからこぼれる真っ赤な赤髪が、雪とコートの白に映えてひどく印象的だった。
「確かにホットワインは魅力的よね? でも昼間っから飲み過ぎはオススメしないわ」
お酒の失敗は家の中でするのがいいわね、と呆気にとられている男とアイリスにニコっと笑って、「さ、おまたせ! この子連れだから」とアイリスの手をひいて立たせた。そのまま、男のいるベンチからぐるっと回って反対側まで歩き出す。アイリスはハッと我に返って慌てて女性に声をかけた。
「あ、あの!」
女性はピタリと足を止めると、アイリスの顔をじっと見る。
(こ、この人、目まで赤い――)
赤髪の女性はまるで紅玉のようなその瞳を、人懐っこくにこりと細めた。
「ああ、ごめんなさいね。なんだか困っているように見えたから。お節介だったかしら」
「い、いいえ! あの、有難うございました!」
困っていたのは確かなので……とアイリスが苦笑いすると「あなた、観光客?」と尋ねられる。
「は、はい。昼食をこの辺でとるつもりだったんですけど、人でいっぱいで。連れが今空きがないかお店に見に行ってくれているところなんです」
女性はなるほど、と人好きのする顔で頷いた。
「この時間の広場のお店は混むからね。お連れの方はなんてお店を見に行ってるのかしら?」
「えぇっと……」
ヴァルから聞いた店の名前を思い出しながら女性に店名を告げる。店の名前を行った途端、赤毛の女性は目をパチパチとさせた。
「言いたくなかったら言わなくてもいいのだけれど、あなた達はそのお店にどういった御用があるの?」
カフェの用事など、飲食以外に何かあるのだろうかと困惑しながら、アイリスは「連れが親戚と久しぶりに会うからって……」と当たり障りなく真実に近いことを言った。それが女性の望んだ答えかどうかはわからなかったが、彼女は「なるほど」と可愛らしい口元に白い指を当てた。
「あのね、ここの広場にね、美味しいアップルパイのお店があるの」
「はい?」
カフェでの用件を聞かれたと思ったら突然アップルパイの話になって、アイリスは困惑した。それでも赤毛の女性はそんな事などお構い無しにニコリと笑うとアイリスの手をとる。
「とおっても美味しいからね、お土産に持っていこうと思ったのよ。買いに行きましょ!」
そう言ってアイリスの手を持ったまま、ずんずんと広場から抜けて歩き出した。
「えっ!? あの! 困ります!! 連れがもうすぐ来るんです!」
アイリスは焦って叫んだが、女性はカラカラと笑って菓子店の扉を叩いた。
「だぁいじょうぶよ! 行き先は同じだもの!」
春待つ宿の居候 🐉東雲 晴加🏔️ @shinonome-h
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