閑話 眠れぬ夜







(ど、どうしたらいいの……これぇ……!)


 雪花亭でヴァルと一緒に生活をはじめてもうひと月以上たつし、風呂上がりのヴァルなど何度も見ている。この旅の道中だって、部屋は同じではなくてもお風呂上がりにお互い遭遇することはあったから今更のはず。


 そのはずなのに。



 浴場から部屋に帰ってきたヴァルは、いつもゆるく編んでいる黒髪を下ろし、ゆったりとした夜着に着替えて寝る予定のソファに腰を下ろして何やら本をめくっている。今までと何ら変わらないはずなのに、家族のいない二人だけの空間で見る彼はやけに目について……なんだか色っぽく見えるのは恋の無せる技か。


 喋るヴァルはいつもゆっくりとした口調で、のほほんと笑う顔は気が抜けていて周りがホッとするような空気になるけれど、改めて見ると高い身長にスラッとした手足、指先は苦労なんてしたことがないと言わんばかりの美しい手で。いつも口元に薄く笑みをたたえているその顔は、黙っていれば絵画から抜け出てきたような美青年だ。長い脚を組んで、優雅に本をめくる所作には気品があって、どう見ても一般の人ではない。


(私、どうして今までヴァルさんと普通にお話できてたんだろう)


 その彼と、どういうことか同じ空間……同じ寝室にいるのだ。これが落ち着いていられるだろうか。

 アイリスの視線に気がついたのか、長い睫毛を揺らしてヴァルが本から顔を上げた。


「あ、もう寝る? ごめんね」


 そう言って灯りを落とし、自分は元いたソファに戻ってゆく。この部屋のソファは割と大きいものだったけれど、上背のあるヴァルが横になると窮屈そうだった。


 「おやすみなさい」とお互い小さく呟いて布団に潜り込む。

 窓の外には雪がしんしんと降り出していて、布団はふかふかだったけれど、潜り込んだ時には少しひんやりとしてアイリスは身体を小さくした。羽根がふんだんにつまった布団にくるまるアイリスでさえこうなのだ。備え付けの毛布一枚で眠るヴァルは、丈夫とは言え温かいとは言えないだろう。アイリスはヴァルの方からくしゃみの音が聞こえやしないかと耳を澄ませた。


 暗闇の中、布団の影からソファの方を見るとやはりヴァルの足はソファから少しはみ出してしまっている。しかもあのソファの横幅ではまともに寝返りも打てないのではないのか。

 アイリスは布団の中で逡巡したのち、意を決して「ヴァルさん、まだ起きてます?」と声を上げた。


 ヴァルからすぐに応えがなかったから、一瞬もう寝てしまったかな? と思ったけれど、「どうしたの?」と聞こえた声が、すぐそばだったことにアイリスは驚いて布団から顔を出した。


 アイリスの声にヴァルはどうしたのかとソファからわざわざ身体を起こして様子を見に来たらしい。ヴァルの、その真摯な対応にアイリスの胸は甘く絞られた。


「……寝台、広いですし。やっぱり、一緒に寝ましょう」


 ソファじゃ、疲れとれないですよ、となんとか告げるアイリスに「え。い、いや、でも」とヴァルは珍しく動揺した。

 成人した男女が、同じ布団で眠るなど、良くはないことは重々解っている。しかもアイリスは、彼に対して何も思っていないわけではないし、何もわからない子どもでもない。

 けれど、冬のクリュスランツェで、室内とは言え二人で眠れる温かな寝台があるのに、ソファでひとり寝かせるのはいかがなものか。


「雪も降ってきましたし、夜中……もっと冷えますよ。ヴァルさんが気になって、私も寝られないですし」


 気になるのは寒さだけではないけれど、こうでも言わないとヴァルの心は動かせない気がして。

 ここまで口にしてしまったら、どうかもう断らないで欲しいと思いながら、アイリスは早鐘のよう打つ胸を押さえて、なんとかなんでもないことのように言った。


「……」


 ヴァルの気配が、すっとアイリスの隣から居なくなって、ああ、よけいなことを言ってしまったかなと泣きたい気持ちになる。アイリスは浅ましい本心を見透かされたような気持ちになって、布団の端をぎゅっと握りしめた。


「――こっちの端っこなら……いいかな」


 ふいにアイリスの背中から声がして、アイリスは思わず振り返った。

 いつのまにかヴァルはアイリスとは反対側の寝台に回って、布団の中に潜り込む所だった。一瞬の冷気が布団の中に入り込んだあと、羽布団の暖かさとは違う人の温もりが、アイリスの背中を温める。


 暗がりの中で見たヴァルの顔は、少し気恥ずかしそうに笑って、


「……アイリスが寝られないのは、困っちゃうからね」


 そう言って、おやすみ、とアイリスの頭をその大きな手でひとなでしていった。


 ……あんなに、胸がドキドキしていたのに。


 ヴァルの優しく笑うその顔を見たら、なんだかとても安心して。

 近くに感じるその体温が、アイリスのまぶたを重くした。

 ふわふわとする意識の中、ヴァルの唇がアイリスのまぶたに落ちていった気がしたのは、きっとアイリスの願望が見せた夢だろう。


 アイリスの意識は幸せなまどろみの中、あたたかな暗闇に落ちていった。




 外には、相変わらず雪が降り続けていて。明日の朝にはまた雪が積もっているだろう。……少し早く起きて旅の準備を再確認した方がいいかもしれない。


 けれど、


「……寝れ、ないなぁ……」


 すやすやと眠るアイリスの寝息を聴きながら、ヴァルは天井に向かってひとり小さく呟いた。


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