第5話 ジェラルド

 アヴェントラ号の甲板に上がると、五十人ほどの船員が整列していて、彼らの前に体の大きな男が腕組みをして立っていた。先ほど甲板から声をかけてきた男だ。歳は五十代、立派な顎鬚を持った精悍な顔つきで、船員たちと同じ制服を着ているが、更にその上から金ボタンのついた黒いジャケットを羽織っている。おそらく彼が船長だろう。


「貴様ら何をしている、早く並べ!」


 船長風の男がスレインたちに向かって怒鳴った。


 ここは、他の船員たちに合わせるべきだろう。スレインはケイトを連れて、船員たちの列の一番後ろに並んだ。


「これから、何があるんだ?」


 スレインは隣に立っている中年の船員に小声で話しかけると、船員は呆れたような表情を浮かべた。


「何って……船主様がやってくるから、出迎えるんだろ」


 船主……つまりジェラルドも丁度この船に乗り込んでくるタイミングだったようだ。


「ああ、そうだった……。朝から忙しくて、予定が全然頭に入ってこないんだ」


 怪しまれないようにとぼけて見せると、


「あれだけの大荷物だ、しようがねえよ」


 と、船員は納得した様子でうなずいた。


「ねえ……」今度はケイトが前にいる船長風の男の方を指差した。「じゃあ、あの男は?」


 中年船員は目を丸くした。


「な……、何言ってんだ。俺たちのボス、マンフレッド船長だろ」


「そ……そうだった」


 ケイトは誤魔化し笑いを浮かべた。彼女なりに情報を引き出すつもりだったのだろうが、これはまずいとスレインは直感した。さすがに船長の顔を知らない船員なんているわけがない。


 案の定、中年船員は疑うような視線をケイトに向けた。


「お前ら、見たことねえ顔だな……持ち場は何処だ?」


 何が問題ない、だ。いきなり疑われてるじゃねえか!


 何とか船員の不審を払拭しなければ、とスレインが考えていると、突然マンフレッドの胴間声が聞こえてきた。


「船主様のご乗船だ! 全員姿勢を正せ!」


 中年船員は背筋を伸ばして正面へ視線を向けた。


 ……とりあえず、この場は救われたようだ。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、突如乗船口の方から、


「この、馬鹿者が!」


 と、鼓膜をビリビリと震わすような怒鳴り声が聞こえてきた。並んでいた船員たちが一斉に「何事か?」と言った表情で、乗船口を見た。


 続いて、


「も、申し訳ございません」


 と、恐怖で震えたようなか細い男の声が聞こえてきた。


「貴様のせいで予定が五分も遅れただろうが。それでも私の執事か!」


「申し訳ございません、申し訳ございません」


「貴様の代わりなど幾らでもいるんだからな」


 などと、怒鳴り声と謝罪の言葉が聞こえた後、


「まあまあ、セバーノも反省しているんだし、怒鳴らないであげて」


 と、女性の高い声が聞こえてきた。


 何が起こっているのだろう? と、困惑した表情で顔を見合わせていた船員たちだったが、やがて、階段を登ってくる複数の足音が聞こえてきて、彼らは再び姿勢を正した。


 乗船口から三人の男女が甲板に入ってきた。


 先頭は杖をついた白髪の老人だ。背は低く少し腰も曲がっているが、その歩く姿は何か威圧的なものを感じた。彼が大富豪ジェラルド・ハントに違いない。


 ジェラルドの後ろには背の高い女性がいた。歳は二十後半、スレインより少し年上くらいだろう。無数の色とりどりの鳥の羽があしらわれた大きな帽子に、水色の豪奢なドレス、そして十本の指にはそれぞれ大きな宝石のついた指輪をしている。ジェラルドには歳の離れた妻がいると何処かで聞いたことがある。彼女がそうに違いない。


 そして、最後に青白い表情で力無く肩をだらりと下げた、三十中頃の男がついてきた。


「ジェラルド様。ようこそ、アヴェントラ号へ」


 マンフレッドがジェラルドに向かってお手本のような完璧な敬礼をすると、整列していた船員たちも一斉に敬礼をしたので、スレインも彼らに倣って敬礼した。


 ケイトは……ぼけっと突っ立っていた。


「お前も敬礼しろ」


 スレインが小声で彼女に伝えると、「ああ、そうか」と言って、船員たちの真似をした。


 本当に大丈夫なのか……。スレインは更に不安を募らせた。


 片手を軽く挙げて敬礼に応えたジェラルドに対して、マンフレッドは恭しい口調で言った。


「この度は、本船にジェラルド様を迎え入れることができ恐悦至極でございます。我ら船員一同、ジェラルド様とそのお客人方の快適な旅をお約束いたします」


「ねえ」ジェラルドの後ろにいた女性が顔をしかめた。「ここは日差しが強くて、お肌が荒れちゃうわ」


「ディーナ」ジェラルドは困惑した表情で女性を見上げた。「もうしばらく我慢しなさい。船主として彼らに挨拶をしなければ」


「嫌よ。私の肌がボロボロになってもいいの?」


「そ、それは困る」


「早く中に入りましょ」


「しようがないなあ」ディーナに向かって目尻を垂らしたジェラルドは、マンフレッドに向かって威厳に満ちた表情を向けた。「船長、すぐ部屋に案内してくれ」


「承知しました。こちらです」


 マンフレッドはジェラルドとディーナともう一人の男を連れて、船内に入っていった。


「やれやれ、終わったか」中年船員はつぶやいた。「ところで、さっきの話、あんたらは……」


 しかし、船員が振り向いた先にスレインとケイトの姿は既に無かった。



 アヴェントラ号の倉庫は、五十人以上の乗客と船員たちの胃袋を守るために、大量の食料が積まれていた。頻繁に人が出入りする場所の一つだろうが、今、船員は全員甲板に集まっているので、スレインとケイトだけだ。


「ひやあ、すごい食料。これだけあれば、あたし一人なら一年位余裕で暮らせそう」食料の山を見上げながら、ケイトは感嘆の声を漏らした。「あっ、見て。あそこにあるワイン、超レア物じゃない?」


「何呑気なこと言ってるんだ」スレインはケイトを睨みつけた。「いきなり怪しまれてただろ」


「そう?」ケイトは首を傾げた。


「そうって……隣にいた船員の顔を見ただろ。俺たちのこと、明らかに怪しんでたぞ」


 さっきの中年船員とはしばらく顔を合わせない方がいいだろう。行動に大きな制限がついてしまう。なんて幸先が悪い展開だ。


 一方、ケイトは、何も問題はない、と言いたげな晴々とした笑顔を浮かべていた。


「でも、船には潜り込めたことだし、今のところ順調でしょ」


「よくもまあ、そこまで楽観的に考えられるなあ」


「スレインが悲観的すぎるだけ」


 ……そう、なのか? そこまで自信たっぷりに言われると、一瞬、自分の考えが間違っているんじゃないかと思ってしまった。


「じゃあ、海賊王の島に着くまで、船旅を満喫しましょ」


「満喫するのは勝手だが……、船が着くまで俺はどうしてればいいんだ?」


「そうねえ……」


 ケイトは腕を組んで首を捻ると、そのままの体勢で動かなくなってしまった。


 ……何も考えはないようだ。どうしてこんな行き当たりばったりで、そこまで自信が持てるんだ!


「ずっとこの倉庫に隠れてるわけにはいかないぞ」


 出航したらすぐに食事の準備が始まるだろう。ここも多くの船員たちが出入りするようになる。


「だったら、適当に船をほっつき歩いてればいいんじゃない?」


「はっ?」


「ほら、あたしたちどこからどう見てもただの船員だし、どこにいても怪しまれないでしょ」


「さっきの俺の話、聞いてた?」


 その前提がいきなり崩れかけているという話をしていたのに……ちゃんと聞いていたのだろうか?


「この豪華な船の中がどうなってるか、気になってるのよね」


 その時、外から鐘の鳴る音が聞こえてきた。続いて、床がかすかに揺れるのを感じた。ついに出航したのだ。


「動いた! ちょっと、甲板に出て景色見てこよ」


 ケイトはスキップするような足取りで、倉庫を出ていってしまった。


 リゾート地にやって来たかのようなケイトの雰囲気に、スレインは呆れるしかなかった。


 もう好きにしろと放っておきたい気持ちだったが、彼女の正体がバレてしまったら、スレインの身も危ない。


 しかたなく、スレインはケイトの後を追った。

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