第4話 乗船
大富豪ジェラルド・ハントが海賊王の財宝が眠る島への航海に用意した巨大帆船アヴェントラ号の船体は、朝日に照らされ金色に輝いていた。
出航準備は大詰めで、大勢の船乗りたちが甲板の上や埠頭を忙しなく動き回っている。更に、この巨大船の旅立ちを一目見ようと見物人たちが押し寄せ、港は朝から大混雑していた。
「これは凄いな……」
見物人の列から少し離れたところで船の様子を伺っていたスレインは、改めて船の大きさと豪華さに驚嘆し、そして安堵した。これだけ大きな船ならば揺れも小さく、船酔いはしないだろう、と。
「スレイン」
隣に立つケイトが背伸びをしながら話しかけてきた。彼女の身長では群衆が邪魔をして船を見るのは難しそうだ。
「船の様子はどう?」
「準備も大詰めって感じだ」
「じゃあ、そろそろ行きましょ」
「ああ」
と答えて、スレインは船に向かって歩き出したが、すぐさまケイトが外套を引っ張ってきた。
「どこへ行くの?」
「どこへ行くって……あの船に乗るんだろ」
「その前に、まずはこれに着替えて」
ケイトが布袋を差し出してきた。中を覗くと、白い上下の服と帽子が入っていた。
「これは……なんだ?」
「見てわからない? アヴェントラ号の船員用の制服」
「はっ? 何でそんな服に着替えなきゃならないんだ」
「だって、今の格好じゃあ船に乗れないでしょ」
スレインはケイトを凝視した。
「……まさか、船員に変装して、あの船に忍び込むって言いたいのか?」
ケイトはにこりと笑ってウィンクした。
「ええっと……ケイト、今回の財宝探し、ジェラルドから招待を受けたんじゃ?」
ケイトは真顔で答えた。「そんなこと誰が言った?」
「誰がって……」
「あたしはただ、船に乗るから手伝って欲しいって言っただけだけど」
「なっ……」
スレインは絶句した。
「ほら、あっちに着替えるのにちょうどいい死角があるから、急いで」
満面の笑みを浮かべるケイトを見て、スレインは悟った。彼女からの依頼は毎度面倒で無茶な要求ばかりだったが、今回も例外ではなかったようだ。
「……俺は降りる」
スレインは布袋をケイトに押し返した。
ケイトは目を丸くした。「えっ! 何で急に?」
「泥棒まがいなことをするなんて聞いてないぞ」
「まあ、それは……言いそびれたと言うか……」ケイトは一瞬顔をしかめたが、すぐに強い口調で言い返してきた。「でも、勘違いしたのはスレインの方でしょ。一度受けた依頼を途中で投げ出すなんて、傭兵としての信用に傷がつくよ」
「依頼はまだ始まってもないし、そもそも前提が違っていたんだ。契約を破棄するには十分な理由だろ」
スレインは冷静に正論で返すと、ケイトはむっと口を尖らせた。
「お宝は欲しくないの?」
「船に忍び込んだ上に、ジェラルドの目を盗んで宝探しするなんて、無謀にも程があるだろ」
「そんなの、やってみなきゃわからないでしょ」
スレインは嘆息した。やるまでもない事だ。船は大きいがそれだけに船員の数も多い。常にどこかに誰かの目が光っているはずだ。その中で誰にも気づかれず事を成すなど、一流の密偵でも困難だろう。そもそもケイトがしようとしている犯罪まがいの行為に手を貸すつもりはなかった。落ちぶれたとしても貴族の血がスレインには流れている。常に正しくあれ、亡き両親からの教訓は今でもスレインを律している。
スレインは彼女に背を向けて歩き出した。
「ちょっと、スレイン!」
背後からケイトの呼び止める声が聞こえてきたが、歩みを止めなかった。
「……借金、返せなくなってもいいの?」
スレインはぴたりと足を止め、振り返った。
「ど……どうして、それを知っている!」
彼女に自身が抱えている借金について話したことはないはずだ。
「まあトレジャーハンターって、情報が命だから……」ケイトは不敵な笑みを浮かべた。「今まで通りに依頼をこなして、本当に借金を返す当てはあるの?」
「くっ……」
スレインはぐっと歯を噛んだ。
至る所に危険が潜む昨今、傭兵の需要は高いが、その分同業者も多く競争は激しい。それに、スレインが受ける主な依頼はケイトのような個人の護衛や街の警備隊の下請けなどだが、堅実である代わりに報酬もたかが知れている。もっと高い報酬を得るには怪物の巣の討伐や戦争への従軍など、大規模でリスクの高い依頼に手を出す必要があるが、スレインはどこの傭兵団にも所属していない、いわゆる一匹狼のため、そんな大型案件は滅多にやってこない。このままではスレインが老人になっても借金は完済できないのではないか? と、薄々気づいてはいた。
だから、今回のケイトの依頼、実は渡りに船だったのだ。海賊王ゴールデンハンドの財宝は小国の年間予算に匹敵するという。たとえわずかな分前であってもスレインの借金を返すには十分だ。もちろん、それなりのリスクは覚悟していたが、まさかここまで分の悪い勝負だったとは……。貴族の誇りを汚してまで受ける依頼だろうか?
頭の中で、得るものと失うものを天秤にかけているスレインに、ケイトはゆっくりと近づいてきた。
「お宝が見つかれば……借金どころか、失ったご先祖さまの家宝だって全部取り返せるかも。きっと亡くなった両親も喜ぶんじゃない」
ケイトには何もかも見透かされている……。スレインは観念した。きっと、彼女からプローダまでの護衛を頼まれた時から、こうなることは運命付けられていたのだろう。……いつものパターンだ。
「……やればいいんだろ」スレインは渋々答えた。
「わかればよろしい」
ケイトは満面の笑みを浮かべると、スレインに布袋を押し付けてきた。
物陰でスレインは白の船員服に着替えた。制服自体は動きやすくて風通しも良く、機能性に優れていると感じたが、いかんせん普段スレインが着ている黒い外套に黒いズボンとは真逆の色だ。なんだかとても恥ずかしく思えた。
ケイトのところへ戻ると、彼女も制服に着替え終わっていてた。
「似合ってるんじゃないか?」
スレインが声をかけると、ケイトは誇らしげに笑った。
「でしょ、あたしは何を着たって似合うのよ」
「まあ、たしかに……」
アヴェントラ号の船員は男性のみらしく、女性だと気づかれるわけにはいかないのだが、ケイトは少し大きめの服を着て体型を隠し、帽子で赤髪を隠すことで女性的な雰囲気を消していたが、その結果、かなりの美形青年風になっていた。一部の女性たちから結構な人気を博すのではないか、などとスレインは思った。
「スレインだって、その服似合って……」
ケイトもスレインを持ち上げるようなことを言いかけたが、途中で視線を逸らすと、口を押さえて笑いを堪え始めた。
「……やっぱり、この依頼降りて良いか?」
清楚な制服が自分に似合ってないことは重々承知しているが、そこまで露骨な態度を取られては、平気な気持ちでいられない。
「ごめんごめん」とうとうケイトは隠すことなく腹を抱えて笑い始めた。「大丈夫、すぐに慣れるから」
「時間だろ、さっさと行くぞ」
スレインは、プイッとケイトに背を向けて歩き出した。
野次馬の壁を通り抜けて埠頭にやってくると、たくさん並べられていた荷物がなくなっていた。出港準備は概ね完了したようだ。
「いよいよね」
と言って、乗船口へ向かって進むケイトをスレインは呼び止めた。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「怖気付いたの?」
そもそも分の悪い勝負だ、不安にならない方がおかしいだろう。もし余所者だとバレたらどんな目に遭わされるかわかったものじゃない。
「こういう時は不安だからっておどおどしている方が逆に怪しまれるの。堂々としてれば問題ない」
と、ケイトは胸を張った。
「本当か……?」
「あたしに任せなさい」
その時、頭上から声が聞こえてきた。
「おい、そこの二人何やってる!」
見上げると、甲板からこちらを見下ろす一人の男の顔があった。
「時間だぞ! 早く登ってこい」
「ほら、行くよ」
ケイトは乗船口の階段を駆け上がり始めた。
「……もう後には引けないな」
と呟いて、スレインはケイトのあとを追った。
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