第2話 出会い
【影の大陸】の都にして
長い歴史の中で幾度となく増築と改修を繰り返して作られた巨大な都市は新旧の建造物が入り混じり、独特の美しさや魅力をもつ。
都市の周囲を囲う巨大な城壁を抜ける複数の馬車には様々な商品や乗客が乗り込んでおり、人や物もまた街並みと同じく新旧入り混じる様相を呈している。
「おぉ……!」
昼下がりの時間帯、少し小太りの商人が操る馬車の荷台には3人の乗客と商品として持参した武具が所狭しと詰め込まれている。
その乗客の1人――騎士養成所を卒業し、近衛隊への配属を命じられたアストレイは、生まれて初めて足を踏み入れたルゼリアの街並みに圧倒されていた。
「騎士の兄さん、ルゼリアは初めてか?」
城壁を抜けてしばらく。
大通りを進む馬車から身を乗り出しては右に左に首を振っていたアストレイを見かね、彼を御者台に招待した商人が2頭の愛馬を操りながら声をかける。
「こほん…ええ、実はそうなんです。生まれも育ちも遠方で、音に聞く“月の都”ルゼリアがこれほどとは」
「はっはっは、そうだろうそうだろう!だがな、昼のルゼリアに満足していたら夜は眠ることができないぞ!“月の都”は夜が最も美しいからな!」
少し弛んだ首の肉を揺らして豪快に笑う商人が発した“騎士”という単語に、アストレイは口調や襟を正し、周囲への興味を抑え込んで前を向く。
しかし、目線は未だあちこちに向けられており、となりに座る商人からすれば完全にお上りさんといった風体だ。
子どもの様に目を輝かせて街並みを眺めるアストレイの純朴さに惹かれ、ついついルゼリアの魅力を熱弁してしまう商人が首の肉を揺らすこと数分。
背の高い城塞のような建物の一部が大通り沿いの建物の屋根越しに見えてくる。
「ここまでの道中ありがとうございました!」
目的地である騎士団本部前の通りにて、荷台から背負い袋を引っ張り出して馬車の御者台から飛び降りたアストレイは深々と頭を下げる。
数秒間しっかり頭を下げた後、背負い袋から小さな革袋を取り出し、数枚の硬貨を手に取る。
「このご時世、騎士の皆さんからお代をいただくわけにはいかねぇよ」
運賃はいくらかと聞こうとしたアストレイの言葉は顔の前にずいと押し出された掌によって止められた。
ここまでの道中、常に笑顔を浮かべていた商人は一転して神妙な表情となり、少しずれていた帽子を被り直す。
「いえ、しかし――」
「騎士の兄さん、商人にとっちゃ人を送り物を運ぶのが戦いなんだ。ワシらにゃワシらの戦いがある。こいつは譲れねぇよ」
「…わかりました」
腕を後ろに組んで軽く頭を下げるアストレイに商人もまた深々と頭を下げると、神妙な顔を一転させて元の人好きのする笑顔を浮かべて手綱を握りなおす。
「“月の都”を楽しんでくれや~」
パシッという手綱の小気味良い音とともに、商人の愛馬たちはゆるやかに馬車を動かし始める。
すぐさま雑踏の中に紛れていく馬車から商人の声が耳に届く中、アストレイは再度頭を下げた。
♢
――“月の騎士団”。
【影の大陸】の都であるルゼリアに本部を置く、
主な活動内容は【影の大陸】内における災難の排除であり、
騎士団に入団する、すなわち騎士になるには【影の大陸】に3箇所存在する騎士養成所を卒業する必要があるが、厳しい入所試験や過酷な養成課程によって、1年度の入所希望者の大半は騎士となる夢を道半ばで諦める。
すなわち、騎士となる、騎士団に入団するというだけで並外れた身体能力や技能、精神力などの才覚を備えていることの証明となるのだ。
しかし、並外れたといっても所詮は人の域を出ない話。
神と呼ばれる存在の盾や剣となるには力不足である。
そこで、騎士にのみ
「アストレイ・シルバ、前へ」
「はい」
月の騎士団本部。
城塞のような建物の一室、背負い袋を足元に置いたアストレイが一人の男と向き合っていた。
猫のように瞳孔が縦に長い瞳を持つ男の名はローゼン・アルバス。
月の騎士団において第三近衛隊の副隊長を務める男であり、端的に言えばアストレイの上司である。
「これより、君の加護の確認を行う。準備は良いか?」
「はい、問題ありません」
「では、始めなさい」
ローゼンの特徴的な金色の瞳が発光を始めるのに対し、アストレイは右腕の袖をまくり、足を肩幅程度に開く。
緊張により高鳴る心臓を落ち着かせるために一度大きく深呼吸して集中し、その名を呼ぶ。
「【
部屋の照明によってアストレイの足元に伸びていた影がかすかに波打つ。
波打った直後、床の模様を見通せないほど黒く変色した影は、照明の向きに関係なく独りでに伸長し、白い物体を召喚した。
影を飛び出した物体は一切の迷いなくアストレイの右腕に向かって飛び、瞬く間に形を変えて指先から肘までを覆う白い籠手となる。
「なるほど、聞いていた通り美しいものですね」
凛とした中性的な声がかかる。
アストレイが視線を向けると、自身の右腕を注視するローゼンの奥、重厚な執務机の上で両手を組んでこちらを見る女性と目が合った。
肩にかかる程度に延ばされた黒髪に深い紫紺の双眸。
微笑みを添えた凛とした美貌には美しさを感じるものの、どこか感情が読み取れず冷淡な印象も受ける。
「君の加護は優れた能力もさることながら、私が授かった加護との相性も良いと聞く。君の到着を楽しみにしていたよ」
「光栄です、ルシア様」
緊張の混じったアストレイの発言に微笑みを深めた女性――第三近衛隊隊長ルシア・ルイスは、右手の指をはじく。
パチンときれいに音が鳴り、その指先にアストレイの意識が向きかけ――彼は大きく後ろに跳びずさった。
「!?………剣?」
その理由は突如目前に現れた物体であった。
何の気配も前触れもなく出現した物体に対し、鍛え抜かれたアストレイの肉体は半ば反射的に後方への回避を選択した。
そして、物体の全体像を視界に収めたアストレイの口をついて出た言葉はその物体を端的に表現した単語。
剣身から柄に至るまで銀一色。
鞘のない、否、この剣に見合う鞘などないとさえ思えるほどの美しくも冷たい輝きを放つ剣が宙に浮いていた。
「ふっふっふっ!反応良し!入隊試験は合格とします!!」
先ほどまでとは違う、ルシアの感情の乗った楽しげな笑みと弾む声。
同じ顔をした別人と入れ替わったと言われても信じられそうなほどの変化を目の当たりにしてアストレイの頭の中は混迷を極める。
「あ、ありがとうございます?」
入隊試験などなかったはずだが、と一応自身の知識を再確認してみるも、やはり入隊試験に関する情報はない。
だが、目の前の女性に関する知識はいくつも浮かんでくる。
アストレイと2つしか年齢が変わらないにも関わらず、『賢人』の軍勢との戦いにおいて数々の武勲を上げている第三近衛隊の女傑。
味方を鼓舞しつつ自らも最前線に立つ活躍を称え、『
「ルシア、君の行いによって騎士の素養を確認できることは一定程度評価している。だが、何かに理由をつけて子供じみたことをするのはそろそろ控えなさい」
いたずらが成功した子供の様に瞳を輝かせるルシアに対し、瞳の発光が消えたローゼンは一人掛けのソファに腰を下ろし、呆れたような視線をルシアに向ける。
アストレイもなんとなく察していたところではあるが、ルシアの言う入隊試験とは彼女の独断というかいたずらのようなものらしい。
「はいはーい、わかりましたー」
ローゼンの苦言も何のその。
ルシアはプイっとそっぽを向くと座椅子に深く腰掛けて生返事をする。
「それよりローゼン、彼の能力は?」
「まったくこの子は……現状、読みとれた能力は武具の召喚とそれに伴う身体能力の強化。事前に聞いていたものと相違ないな」
「武具の召喚ということは籠手以外の防具や武器も召喚できるのかしら?」
「練度を高めていけば可能なようだ。ともあれ、汎用性が高く、何よりルシアとの相性がいい能力だというのは間違いないだろう」
「なるほど。では、アストレイ君、いきなりで申し訳ないがその剣を素振りしてみてもらえるかな?」
「わかりました」
『戦乙女』の評判から勝手に厳格な人物像を考えていたアストレイはルシア本人の奔放な態度にやや戸惑いつつ銀剣を握る。
剣を宙に浮かばせていた力は柄を握った瞬間に消えたようで、見た目からは想像できない異常なまでの重量が剣を握る片手にかかる。
「な、重い…!?」
緊張や戸惑いによって集中を欠いていたこともあり、普段使う剣とは大きく異なる重みに一瞬よろめくが、全身の筋肉を用いて姿勢を持ち直す。
不自然なまでの重さに疑問を抱くものの、重いと分かっていれば扱えないものでもない。
幾度となく繰り返した素振りの型をなぞるように、両手で柄を握り直したアストレイは銀剣を上段から振り下ろす。
「あら」
「ほう…」
銀剣が空気を切り裂く音が軽やかに響く。
指示通り剣を振って見せたアストレイを見て、ルシアは笑みを深め、ローゼンは感嘆したように息を吐く。
ルシアは笑みを浮かべたまま立ち上がると、執務机を回り込んでアストレイに歩み寄る。
「重さは気にならない?」
「はい、加護を発動していれば大きく支障はないかと」
「そう。では問題ないわね」
パチンと指をはじく音が再度部屋に響き、アストレイの手の中から銀剣が消滅する。
「改めて自己紹介するわ!私の名前はルシア・ルイス。第三近衛隊隊長であり、武具を生成、操作する加護【
笑顔で差し出されるルシアの右手を見て、アストレイの中に自分が第三近衛隊に入隊するという実感が湧いてくる。
「はい!よろしくお願いします!」
自身の口角も上がっているのを感じつつ、アストレイも両手を差し出して応えた。
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