第1話 旅立ち

「この世界には7つの大陸が存在する」


 年季の入った世界地図を指示棒で指し示す男の声が百名程度が着席できそうな教室に響く。

 数十名の真剣な視線が集まる中、男の持つ指示棒は世界地図の七つの大陸を順々に指していく。


 太陽神たいようしんが治める【光の大陸】。

 月神つきがみが治める【影の大陸】。

 火神ひのかみが治める【火の大陸】。

 水神すいじんが治める【水の大陸】。

 風神ふうじんが治める【風の大陸】。

 土神つちがみが治める【土の大陸】。

 そして、賢人けんじんが支配する【知の大陸】。


 聴講する者にとっては既知の情報、だが、誰一人として講師の話を遮ることなく、黙々と地図に浮かぶ大陸を目で追う。

 全大陸の中で最も広大な【知の大陸】を囲むように残る6つの大陸は位置している。


「そして、これが現在の戦況を反映した地図となる」


 講師の男は教卓に広げていた地図を一枚手に取ると、先ほど指し示していた世界地図の隣に7色で色付けされた世界地図を貼り付けた。

 静寂を保っていた聴衆から「ギリリ…」という歯の軋む音が聞こえてくる。


「諸君も知っての通り、【知の大陸】を支配した『賢人けんじん』アルスが宣戦布告して5年、真人しんじんと称する『賢人けんじん』の軍勢は6大陸に侵攻し、すべての大陸で多くの命が犠牲になっている」


 色付きの世界地図の中心には黒色で着色された【知の大陸】と、そこから6つの大陸に向かって伸びる同色の矢印が描かれている。

 『賢人』が率いる軍勢の侵攻を物語るその矢印は6つの大陸のそれぞれに到達し、小さな矢印に分裂しつつ各大陸の2割から3割程度の土地を黒く染め上げていた。


「残念ながら、『賢人けんじん』の軍勢は強力。直近数カ月は小康状態となっているが、開戦以降【影の大陸】でも多くの兵士、そして騎士を失っている。本来であれば5年かかる養成課程を3年に短縮し、知識も経験も浅い君たちを前線に送るのは、私達先達に責がある。故に、これは命令ではない。ただの私の願いだと思って聞き入れてほしい」


 講師の男は指示棒を教卓に置き、後ろに腕を組むと静かに聴衆――“彼の生徒達”を見据えた。


「どうか、月神つきがみ様の盾となり剣となり、民を守り抜いてほしい。『賢人けんじん』の犠牲者を一人でも減らし、『賢人けんじん』の望みを打ち砕き、この世界に穏やかなる時代を取り戻してほしい。君たちの健闘を祈っている」


「「「はいっ!!」」」


 一斉に立ち上がった生徒たちは腕を後ろに組んでそろって返事をする。


「では、この時をもって君たちは騎士養成所を巣立ち、月神つきがみ様に仕える“月の騎士団”の一員となる!闇を照らす月に恥じぬ行いをせよ!」


「「「はいっ!!」」」


「解散!」


 再度一斉に返事した生徒たちは講師の言葉を合図に開け放たれた教室の扉を抜け、廊下を駆け抜けていく。

 講師の男はその姿を満足そうな、それでいて悲哀の混じった眼差しで見送り、コツコツと木製の義足を鳴らしながら世界地図を片づけ始めた。


 ♢


 教室を走り出た生徒たちはそのまま校舎も走り出て、隣接された宿舎の自室へと駆け込んでいく。

 その中の一人、アストレイもまた自室に駆け込み、後ろ手で扉を閉めた。


「ついに…この時が来た」


 アストレイの視線の先、日ごろ勉学に励む机の上には一通の便せんが置かれている。

 思わず唾をのみ込み、逸る自身の心音を耳の奥で感じながら便せんを手に取ると、宛名に自分の名が記されていることを確認して開封する。


「アストレイ・シルバ、貴官を第三近衛隊に配属する…第三近衛隊!?」


 アストレイはキラキラと輝く碧眼を見開いて再度辞令を確認する。

 しかし文面は変わらず、自身の頬を引っ張って夢ではないことも確認した。

 自然と上がる口角につられ、天井を仰ぎながら拳を突き上げる。


「やったー!!」


「…うるさい」


「あがっ…!」


 アストレイの歓喜の声が部屋に轟くや否や、彼の顔に向かって白い物体が投げつけられる。

 柔らかい感触のそれに口をふさがれ、やむをえず黙った後、地面に落下する白い物体――枕を受け止めたアストレイが周囲を見渡すと、部屋に置かれた二段ベッドの上段に一人の男が腰かけていた。


「とはいえ、おめでとう」


「ありがとう、ヴィル!ヴィルはどこへ配属になったんだ?」


「僕は第三魔法隊。運が良ければ戦場で会えるかもしれないね」


 ヴィルことヴィルヘルム・ジーバは端正な顔で微笑みながらベッドから床に飛び降りる。


「魔法隊なんてすごいじゃないか!流石はヴィルだ!」


「ふふっ、ありがとう」


 満面の笑みで右手を差し出すアストレイに応え、少しの照れくささを一息に吐き出してヴィルも右手でグッと力強く握手を交わす。


「これで、この部屋ともお別れか」


「そうだね」


 校舎に面した窓や廊下につながる扉から他生徒の歓声がかすかに聞こえる中、アストレイとヴィルヘルムは二人して3年の時を過ごした自室を見渡す。

 窓から差し込む日の光によって、先ほど枕を顔で受け止めた際に宙を舞った埃が目立つが、それを除いても古びた床や壁、家具からは埃っぽい印象を受ける。

 好き好んでこの部屋に住みたいかと聞かれれば悩むかもしれないが、3年も暮らせばその埃っぽさにも思い出が宿り、離れがたい魅力へと変貌する。


「さて、それじゃあ僕はもう出るよ。忘れ物しないようにね」


 不意に襲う懐かしさに足が止まりそうになることを見越してか、昨夜のうちに荷物をまとめ終えているヴィルヘルムが荷物を持って扉へと向かう。

 何度となく耳にした母親のようなヴィルヘルムの小言に少しばかりの寂しさが混じっているように感じるのはアストレイの気のせいではないだろう。


「わかってる。またな、ヴィル」


「ああ、また会おう」


 少し重そうな足取りで、しかしこちらを振り返ることなく部屋を出ていく親友を見送り、アストレイもまた、荷支度を整えていく。

 背負い袋の中にすべての荷物を詰め込み、先ほど開封したばかりの便せんも丁寧に収めると、机の横に置いてあった長剣を腰に佩く。


「忘れ物はないな、よし。…すぅ、お世話になりました」


 ヴィルヘルムの言いつけを守るべく最終確認を行い、背負い袋を背負ったアストレイは部屋の中央に向かって頭を下げる。

 短く整えられた銀髪をかすかに揺らしながら顔を上げ、碧眼に部屋の様子を焼き付ける。


 数秒そのまま見つめた後、くるりと振り返り、後ろ髪を引かれる思いを振り切りながらアストレイもまた扉を開けた。

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