ポリタンの独断
尾八原ジュージ
家族会議
ポリタンは猫である。
どこから来たのかとんとわからないが、いつの間にか我が家のガレージのポリタンクの陰に潜んでいたので、名前がポリタンになった。保護当時推定一歳、三毛の女の子である。
我が家に保護されてからはめきめきとその容姿を磨いてふわふわの愛され毛玉となり、もはや家庭内においてポリタンに逆らう者は皆無と言ってよかった。ポリタンは父の椅子を占領し、母の布団を好き放題に揉みしだき、私のスクールバッグに入って眠った。
この屋根の下ではまさに天下無双、我が世の春を謳歌するポリタンであった。だがある日、その天下が揺らぐ事態が
蜘蛛である。
最初に気づいたのは母だった。ポリタンが和室の畳の上で固まっている。何もない壁を眺めている――と思いきや、彼女の視線の先には体長二センチほどのハエトリグモが陣取っていた。
ポリタンは一年近く野良をやっていたはずである。であるが、その期間に出会った野生の生き物および、彼らとどう付き合っていたのか粗方忘れてしまったらしい。つまりポリタンは、しもべとする人間ども以外の生き物に対して、圧倒的びびりである。窓から半死半生の蝉が侵入してきたときの阿鼻叫喚ダンスといったら、もう。
だから自分よりもずっとずっと小さな蜘蛛相手に、ひたすらに固まるポリタンである。
「蜘蛛なんか外に出しちゃえばいいじゃないか」
と言ったのは父である。しかし父本人は出さない。虫が滅法苦手なのだ。
「いや、出しません」
と主張したのは母である。「なぜなら小さな虫を食べるからです。この子はうちの子です」
母もまた基本的に虫は嫌いだが、「他の虫を食べるから」という理由で蜘蛛には優しい。またハエトリグモ自身、よく見ればつぶらな瞳が愛らしくもある。壁にチョンと止まっている様にも罪がない。
加えて母は、この屋根の下においてポリタンに次ぐ権力を握っている。法的な世帯主である父よりも、実際に家事やご近所付き合いをこなしパートで家計を助け、そしてポリタンに懐かれている母の方が発言権が強い。なお収入がなく、家事もしない学生である私の発言権は極めて弱い。
ナンバー2の援護射撃を得て、ハエトリグモの居候は決定したかに思えた。が、
「あたしは反対ですわ」
と突如ポリタンが発言したので、我が家は一時騒然となった。
「ポリタン、人語を話せたのか」
ずり落ちた眼鏡をかけ直しながら、父が尋ねた。
「猫は一生に一度、人の言葉を話せるものだと言いますわ。そしてそれは今なのですわ。得体のしれない八本足と同居なんて真っ平ごめんなのですわ」
これぞ鶴の一声、ポリタンがそれほど厭ならば致し方なし――ということになりつつあった。しかしそこへハエトリグモが、
「わたくしはこのおうちのほんの片隅に置いていただければ結構ですので、そこの猫さんのお邪魔になるなんてことはとてもとても」
と喋りだし、もはや騒然ともならない我が家内である。
「外の世界は厳しゅうございます。元野良の猫さんもそれはご存じのはずでございます。わたくしの寿命は短うございますし、しかもその間は小さなハエやゴキブリなどを食べ、このおうちの環境美化に努めさせていただきます。是非とも皆様のご慈悲を賜りたく」
などと涙ながらに言われれば、つぶらな瞳も相まってなかなかいじらしく、また何より害虫を食べてくれるというのは頼もしい。
「ここはポリタンに少々妥協していただき」
父が傾き始める。ポリタンは全力で首を振る。
「いやいやいやいやいや」
「とんでもないとんでもない」
と言いながら、そこに乱入したのはなんとチャバネゴキブリである。「この蜘蛛めは、すでに我が同胞らを情け容赦もなく」
ポリタンがギェーーーと悲鳴をあげた。父も悲鳴をあげた。母と私も悲鳴をあげた。
「飛んで火に入る夏の虫」
ハエトリグモはそう呟くなり、自分より大きなチャバネゴキブリに飛びかかると、隠し持っていた極小の刀によって一瞬で首を切り落とし、チンと刃を鞘に納めた。
「こここ、ここはハエトリグモ氏の居住権を認められては如何か」
母が言った。
「賛成」
父が震えながら応じた。
「賛成。致し方なし」
ポリタンもまた震えながら頷いた。前述の通り私の発言権は極めて弱いため、我が家の方針はこの時点で決まった。
かくしてハエトリグモにはタタミという名前が与えられ、我が家の用心棒として同居することが認められた。おかげでゴキブリの姿はめっきり見かけられなくなり、極めて平和である。
こうなるとタタミ氏の寿命が来るのが心配だったが、先生、それを見越して弟子をとったらしく、いつの間にか我が家にハエトリグモが一匹増えた。なんでも、ポリタンが独断で許可したとのことである。
ポリタンの独断 尾八原ジュージ @zi-yon
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