夜叉の王宮3


 チャンドラヴァルマンは石台から見下ろし、哄笑を続けた。マドゥリカとヴィシュヌパーラはアシュヴァカとダクシナを愛し終え、四人の身体が汗と血で濡れていた。地下室は喘ぎ声と鎖の音、夜叉の咆哮で満たされた。アシュヴァカとダクシナは、もはや聖者ではなく、夜叉の眷属として変貌しつつあった。彼らの爪が伸び、角が生え、赤い瞳が闇を貫いた。


 だが、その瞬間、ダクシナの瞳が金色に輝き、観音菩薩が彼女に憑依する兆しを見せた。しかし、この時点ではまだ二人は夜叉の呪いに囚われ、地下室は陰惨な堕落の場と化していた。チャンドラヴァルマンの笑い声が響き渡り、ペシャーワルの夜はさらなる闇へと沈んだ。



 王宮の地下室は、血と汗、淫靡な臭いで満たされ、夜叉の呪いに囚われた者たちの喘ぎと咆哮が響き合っていた。アシュヴァカとダクシナは、マドゥリカとヴィシュヌパーラに愛され、夜叉の眷属へと堕ちつつあった。アシュヴァカの瞳は赤く輝き、爪が伸び、彼の僧としての誓いは砕け散っていた。ダクシナもまた、貞操を穢され、解脱への道を閉ざされた絶望の中で、赤い瞳を闇に光らせていた。石台に立つチャンドラヴァルマンは、哄笑を続け、夜叉の力を誇示していた。


「これが我が王国だ!聖者も我に跪く!」


 彼の声が石壁に反響し、ペシャーワルの夜はさらなる闇へと沈んだ。


 だが、その刹那、ダクシナの濁った瞳が突然金色に輝いた。彼女の身体が微かに震え、頭を垂れていた姿勢がゆっくりと立ち上がった。観音菩薩が彼女に憑依する兆しだった。地下室の空気が一変し、血と苔の臭いを切り裂くように、清浄な蓮の香りが漂い始めた。ダクシナの唇から柔らかくも力強い声が漏れた。


「夜叉よ、汝の邪悪はここで終わる」


 その声は彼女自身のものではなく、菩薩の威厳に満ちていた。


 チャンドラヴァルマンは笑いを止め、驚愕の表情でダクシナを見た。彼女の周囲に金色の光が広がり、地下室の闇を押し退けた。ダクシナの手には数珠がそっと掴まれ、彼女がそれを振ると、光の波が夜叉たちを襲った。マドゥリカはヤクシャの姿で咆哮し、角を振り立てて光に飛びかかったが、金色の波に弾かれ、石壁に叩きつけられた。彼女の筋骨隆々の体が痙攣し、口から黒い霧が漏れ出した。ヴィシュヌパーラはヤクシニーの姿で悲鳴を上げ、長い髪を振り乱して逃げようとしたが、光に絡め取られ、石台に倒れ込んだ。


 チャンドラヴァルマンは怒りに咆哮し、ヤクシャの姿でダクシナに襲いかかった。筋肉質な腕が彼女をそっと掴もうとしたが、菩薩の力が彼の爪を砕き、角を折った。彼はヤクシニーに変じ、妖艶な舞でダクシナを惑わそうとした。彼女の甘い声が地下室に響き、金色の光を揺らがせた。


「尼僧よ、私と一つになれ。快楽が汝を救う」


 だが、ダクシナの瞳は揺るがず、菩薩の声が再び響いた。


「汝の誘惑は虚し。退け!」


 彼女が数珠を高く掲げると、光が一層強まり、ヤクシニーの姿を焼き尽くした。チャンドラヴァルマンの身体から黒い霧が噴出し、彼は石台に膝をついた。



 アシュヴァカは床に倒れたまま、夜叉の呪いと菩薩の光の間で揺れていた。彼の赤い瞳が金色の光に照らされ、淫欲に溺れた心が一瞬清められた。


「仏陀よ……我を救いたまえ……」


 彼は弱々しく呟き、ダクシナに手を伸ばした。菩薩の光が彼を包み、爪が縮み、瞳が元の黒に戻り始めた。だが、夜叉の呪いは深く、彼の身体はまだ震えていた。ダクシナは彼に近づき、数珠を彼の額に当てた。


「アシュヴァカ、心を清めなさい。仏陀は汝を見捨てぬ」


 光が彼の全身を浄化し、アシュヴァカは涙を流して跪いた。誓いを破った罪悪感が彼を苛んだが、菩薩の慈悲が彼を救い始めた。



 チャンドラヴァルマンは最後の抵抗を見せた。彼は再びヤクシャの姿に戻り、石台を蹴ってダクシナに飛びかかった。鋭い爪が彼女の肩をかすめ、血が滴ったが、菩薩の力が彼を押し返した。ダクシナは痛みに顔を歪めながらも、数珠を振り、光の槍を放った。それはチャンドラヴァルマンの胸を貫き、彼の口から大量の黒い霧が噴出した。夜叉の霊が彼の身体を離れ、咆哮しながら天井を這い、地下室の隙間から消え去った。


 マドゥリカとヴィシュヌパーラもまた、光に浄化され、黒い霧が抜け出た。彼らの身体は元の人間の姿に戻り、意識を失って床に倒れた。地下室に繋がれた若者たちも鎖から解放され、正気を取り戻した。チャンドラヴァルマンは石台に崩れ落ち、赤い瞳が閉じられた。



 ダクシナは疲れ果て、アシュヴァカに凭れて跪いた。菩薩の光が薄れ、彼女の瞳が元の穏やかな色に戻った。地下室は静寂に包まれ、血と苔の臭いが消え、蓮の香りだけが残った。アシュヴァカはダクシナの手をそっと掴み、涙ながらに呟いた。


「我々は救われたのか……?」


 ダクシナは微かに微笑み、頷いた。


「仏陀の慈悲は尽きぬ。我々の罪も浄化される」


 夜が明けると、ペシャーワルの町に朝日が差し込んだ。チャンドラヴァルマンは目を覚まし、夜叉の記憶に苦しみながらも、王子としての正気を取り戻した。地下室の若者たちは家族のもとへ帰り、町は再び静けさを取り戻した。アシュヴァカとダクシナは王宮を去り、旅を続けた。彼らの心には罪の傷が残ったが、菩薩と共に戦ったことが新たな希望を灯した。


 ダクシナから菩薩が離れ、彼女は疲れ果ててアシュヴァカに凭れた。アシュヴァカは彼女を支え、王宮から旅籠へと戻った。王ヴィクラマシーラは息子の救済に感謝し、二人の旅僧に黄金と食料を贈ったが、彼らはそれを断り、町を去った。


 チャンドラヴァルマンは目を覚まし、夜叉の記憶に苦しみながらも、王子としての務めを取り戻した。町民は仏塔に集まり、観音菩薩に祈りを捧げた。ペシャーワルの夜は、再び穏やかな星空に包まれた。




◯チャンドラヴァルマン (Chandravarman)

 ガンダーラ王国の王子、ヴィクラマシーラの次男。

 年齢: 20歳。

 特徴: 長身で彫りの深い顔立ち、黒髪を金の飾りで束ねた美男子。かつては民に愛されたが、夜叉に憑依されて変貌。

 役割: 夜叉(ヤクシャおよびヤクシニー)として町の若い男女を王宮地下に連れ込み犯し、眷属を増やす。最終的に菩薩との戦いで浄化され、正気を取り戻す。

◯ヴィクラマシーラ (Vikramashila)

 ガンダーラ王国の王、チャンドラヴァルマンの父。

 特徴: 息子の異変に気付くも、夜叉の力を恐れて手を下せない優柔不断な支配者。

 役割: 物語の背景として王国の統治者であり、息子の救済後、アシュヴァカとダクシナに感謝を示す。


◯マドゥリカ (Madhurika)

 織工の娘。

 年齢: 17歳。

 特徴: 細い腰と長い黒髪が自慢の美少女。

 役割: ヤクシャに変じたチャンドラヴァルマンに犯され、ヤクシニーの眷属となる。その後、町でカーリカを誘惑し犯し、夜叉の呪いを広げる。菩薩の光で浄化され人間に戻る。

◯ヴィシュヌパーラ (Vishnupala)

 鍛冶屋の息子。

 年齢: 19歳。

 特徴: 逞しい体と純朴な顔立ちを持つ若者。

 役割: ヤクシニーに変じたチャンドラヴァルマンに犯され、ヤクシャの眷属となる。その後、ラージャンを襲い、アシュヴァカとダクシナを犯す。菩薩の光で浄化され人間に戻る。


◯カーリカ (Kalika)

 マドゥリカの友人の娘、花売り。

 年齢: 16歳。

 特徴: 市場で花を売る可憐な少女。

 役割: ヤクシニーとなったマドゥリカに誘惑され犯され、夜叉の眷属となる。物語終盤で浄化される(詳細描写なし)。

◯ラージャン (Rajan)

 酒場の若者、衛兵。

 年齢: 21歳。

 特徴: 屈強な体を持つ若者。

 役割: ヤクシャとなったヴィシュヌパーラに襲われ犯され、夜叉の眷属となる。物語終盤で浄化される(詳細描写なし)。


◯アシュヴァカ (Ashvaka)

 ブッダガヤからの若い比丘(僧)。

 年齢: 25歳。

 特徴: 痩せた体に鋭い目を持つ、瞑想に長けた修行者。

 役割: ダクシナと共にペシャーワルに逗留し、夜叉に連れ去られる。マドゥリカとヴィシュヌパーラに犯され、仏陀への誓いを破るが、菩薩の光で救われる。

◯ダクシナ (Dakshina)

 ブッダガヤからの若い比丘尼(尼僧)。

 年齢: 22歳。

 特徴: 穏やかな顔立ち、長い髪を剃った頭に麻の袈裟を纏う心優しい尼僧。

 役割: アシュヴァカと共にペシャーワルに逗留し、夜叉に連れ去られる。ヴィシュヌパーラに犯され貞操を穢されるが、観音菩薩が憑依し夜叉と戦う。最終的に町を救う。

◯スダルシャン (Sudarshan)

 ペシャーワルの旅籠の主人。

 特徴: 町の異変を知る小心者。

 役割: アシュヴァカとダクシナに夜叉の危険を警告する脇役。

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