その夢をいくたびも
二枚貝
第1話
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
今までに9度夢にみて、それ以上に自ら思い浮かべてきた光景。
敵兵に囲まれた私と主。
私の命乞い、どうか主の命だけはと。
アンテノール側の拒絶。
串刺しにされて動かなくなる主、私の顔に飛び散る血。
私の絶叫。
どんどん血に重たく濡れる主のドレス。
暴れ出したところを殴られて取り押さえられる私。
冷めきった目で私を見下ろすシルグレン・アンテノール……。
何度も見た夢、何度も思い出した光景だったのに、もはや細部は曖昧になってしまった。けして忘れるものかと思ったあの光景は、気づけば「忘れてはならない」にすり替わっていた。
この三十年間、何度もなんども主を失ったあの時の場面を思い出し、自分がまだ覚えていることに安堵して、あるいは自分が細部を思い出せないことに恐怖した。
気付いた時には、私は記憶にすがりつくだけの老兵になり果てていた。
かつて誓った復讐も、憎しみも、怒りも、今では他人事のように薄っぺらい感情しか思い出せない。
三十年前、目の前で主を守れず死なせてしまった時、怒りと嘆きと憎悪をけして忘れられないだろうと思ったのに。その想いの強ささえ、忘れてしまったのだ。
私はもはや、主の顔も、声も、思い出せない。あの時、主が何色のドレスを着ていたのかさえ。
私が主に仕えたのは三年間。そして私が主を失ってから、およそその十倍の年月が経っている。
こんなはずではなかった。
けして忘れぬと誓った復讐心を、もはや思い出すことの方が稀になった。
「今日はずいぶんぼんやりさんね。どうしたの」
ふと声をかけられ、顔を上げる。視線の先、よく見知った顔があるーーこの三十年、ずっとそばで守り続けてきた対象者だ。
「なにも……、いえ、」
なにを隠すことがあるだろう。ふいに思った。ためらうことも、気まずく思うこともないはずだ、このひとは、なにしろすべてを知っているのだから。
シルグレン・アンテノール。かつて私がーー我々リヒテン王家が戦っていたアンテノール王家の人間。私の主を殺させた女性。
ちょうど護衛を失って都合が良いからと、主を殺されて呆然としていた私を強引に自分の護衛役に据えた人物。
以来三十年間、私とシルグレン・アンテノールは不思議な距離感で接し続けてきた。
私にとっては主の仇、主家の仇、同胞たちの仇であり。
彼女にとっては取るに足りない護衛のひとり、自分を憎んでいる、けして信用できないかつての敵であり。
周囲から見れば、私が新王家に迎合したのだとも、従順を装って復讐の時を狙っているのだとも思えただろう。
そのどちらもが、正しい。私は確かに、このシルグレン・アンテノールを隙を見て殺せないかとずっと考えていた。だが同時に、復讐など忘れて、主のことも思い出すことなく、務めを果たせず燃え尽きた騎士としての余生を静かに送りたいとも、願っていたのだ。
「今朝、夢を見ました。私の主が亡くなった時の」
「あなたが主を守れなかった時の、ね」
「はい。あなたが我が主を殺した時の夢を」
シルグレン・アンテノールの表情はみじんも揺らがない。気まずさも、腹立ちも、おもしろがる表情さえ。
なぜなら、心底彼女は無関心であるから。そしてその無関心にこそ救われて、私はずっと、主の仇の護衛役をつとめてきたのだった。
その夢をいくたびも 二枚貝 @ShijimiH
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます