第23話 やりたいことが無いやりたいことが有り過ぎる
「…結局社会さんが1番恐ろしいわ、やっぱ」
中に入ると国語さんが下唇を突き出して言う。その場のみんな同意、のような空気で押し黙る中社会さんだけがニコニコとしていた。
「いやぁ、従業員に“好き”って言ってもらえる職場なんてあんまりないからね。俺達には君たちを護る義務がある。ね、オーナー」
「う、うっ…理科ぁ!ええ奴や!給料上げ…はせんけどええ奴やぁ!」
「一瞬だけ我に帰るのやめれる?」
国語さんのツッコミが入る中、理科さんがあの、と口を開いた。
「皆さんすみません…今日一日大事な日なのに、仕事に全然身が入ってなくて…もっと売り上げ上げられたかもしれないのに…」
みんなに頭を下げる理科さんはまるで僕の知っている理科さんじゃないみたいで、いや、社不ではないようで、いつものナルシストはどうしたんですか、と言いたくなるような“社会人”のように見えた。
「おーいナルシ〜真面目出てんぞ〜」
「真面目な理科さんが今日一日使い物にならないことくらいは予測できたッスけど」
「…真面目に考えスギ」
「俺が呼んでも上の空やったもんなぁ真面目やから」
「はは、理科の真面目は今の始まったことじゃないけどね」
意外にも僕以外はこの理科さんを当たり前かのように捉えていて、笑った。え、理科さんて、真面目なの?
「道徳くんが驚いてる。あのね理科はね、元々すご〜く何もかも真面目に考えちゃう性格でね、ここにきてからそれが多少軽くなってナルシストが開花したんだよ」
「どうやって?」
思わず大きな声でツッコんでしまった。いやルートがわからなさすぎる。どうやったらナルシストが開花するんだ。
「言わないでよ皆…まぁ、事実だから仕方ないけど…」
「で、あのぶっ飛び野郎とは何があったんスか?知り合いッスよね?」
「美術とは…」
理科さんが真面目に静かに話し始めた。
:
僕と美術は高校生の時に出会った。
「理科、今日は学校から帰宅してからフランス語の先生が来てその後はバイオリンのお稽古があるわよ」
「…はいお母様」
僕の両親は二人とも名門の開業医。自分達の院だけでなく他にも病院を経営していて、正直並外れた財力を持っていたと思う。僕は物凄く恵まれた環境に生まれたんだ、そうは思ってたけど、自由がなくて、籠の中に捉えられた鳥のような気分だった。
通っていたのは超進学校で卒業生の4分の1が医者になり他の者は官僚になり、といった超絶エリート道を歩むのが“普通”の学校。その中で一人、異彩を放っていたのが、美術だった。
「その紙を“ちゃんと”書くまではこの部屋から出さんからな!」
先生は怒りを露わにして教室のドアを閉める。教室の中に残された僕と美術、手元には進路希望表。僕は将来両親のように開業医になることを約束されたかのようにここまで来たけれど、どうにもこの紙に「医者」というたった2文字を書くことを躊躇っていたんだ。
「ふぁ〜あ〜こんな紙切れ1枚に俺の人生の舵を取られたいわけないじゃん、ね〜君はなんて書いて却下されたのぉ?えっと確かいつも真面目に勉強してるガリ勉くんの〜…」
「理科、ですけど…」
美術は僕の名前を導き出せそうにないと察したので先に言ってしまうと美術は、へ〜と興味なさそうに感嘆を吐いた。
「僕は、何も書けなくて残されてるんだよ、君もそうじゃないの?」
「何も書けなくて?どゆことぉ?やりたいことがないの?俺やりたいことしかないんだけど、1個肩代わりしてくんない〜?なんちゃって♪」
僕の答えには興味を示したのか、美術は急に席を移動して自分の紙を持って僕の正面に来た。驚いたのは、僕だ。僕の消しカスすらついていない真っ白なそれと比べて、美術のはぐっちゃぐちゃだった。まるで素人が落書きと勘違いする芸術家の絵みたいに。
画家!いや、そんな気決まりきったものじゃないな〜う〜ん、だって俺立体作品も作りたいし!絵本家?建築に色つけるデザイン家?絵を作ってうる経営者?動画クリエイター?違うって俺!型にハマりすぎ!もっと自由で、清涼感みたいな!自由人!ハッピーな人!あーわかった!鳥!
驚くことに、この美術の思考の経緯が全部記述されていたのだ。進路希望用紙に明確に職業名を書くことが普通だと思っていたけど、なんて型破りな人間だと思った。そして鳥に行き着いたのも突飛で、この変人を象徴するかのようなゴールだったけれど、籠の中の鳥の僕烏ると彼が巨大な何かに思えた。
「…ねぇ、君の話を聞かせてよ」
「え、?」
気が付いたら口から出ていた言葉。
「ならたくさん“遊び”を教えてあげる!」
僕らは正反対だった。どこまでも。けどそれがお互いの刺激になって、僕は籠の中にいるのに、美術と一緒にいると外の景色を知ることができた。夜にひっそりと抜け出して夜の街を歩く、街から街の距離を歩数で測ってみる、くだらない遊びばかりだったけど、純粋に、楽しかった。初めて友達ができたみたいだった。
ずっと勉強と習い事ばっかりだった僕の中に初めて“遊び”ができて、僕はいつしか…この籠がなければって思うようになってしまったんだ。
「なら、俺が理科くんを自由にしてあげる」
その頃の美術は少しおかしくなっていた。高校3年生の中盤、受験シーズン本格化の時期、美術の“遊び”は過激になっていった。
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