12 飛べるのか?
部長がもっとも自分らしくいられる場所。それは自宅だ。一人暮らしの彼ならば、女を連れ込んでもなんらトラブルにはならない。
以前、自宅に招かれてパーティがあった。しかしそれは、パーティーに名を借りたセクハラだった。女性だけ呼んだのでは警戒されるから男子も参加させられて、罠の一部に使われたのだ。忌まわしい記憶だ。
それがこのエリアにあったことを、聡は思い出した。とても大きなマンションだった。いくつもあるわけではない。とはいえ、場所をよく覚えていなかった。
その時、微かな光を感じた。流光の顔が浮かんだ。彼女が通り過ぎていった光の痕跡なのだろうか。慎重にたどった。そして見つけた。如何にも部長が好みそうな、豪華ぶった趣味の悪い巨大なマンションを。
だが、普通に訪問しても部長が素直にドアを開けるとは思えない。それに、セキュリティは固いと見た方がいいだろう。ドアまで辿り着けるかどうか。聡は柵を乗り越えて非常階段を駆け上がった。七階に着いた時には嘔吐しそうなほどに息が切れていた。季節外れの冷たい雨が、鉄の階段を濡らし始めていた。
階段状のマンションだ。ルーフバルコニーが見えている。非常階段とはプラスチックの仕切り板で隔てられているだけだった。聡は仕切り板を蹴り破ってルーフバルコニーに進入した。
案の定、けたたましい警報音が鳴り響いた。早くしなくては。記憶によると、部長の部屋はもう一つ隣だ。足早に駆け抜けた。
隣のバルコニーとの隙間はおよそ二メートル。ここは七階だ。落ちれば硬いアスファルトが待っている。身がすくんだ。飛べるのか。
流光がいてくれたなら、なんのことはない距離だ。でもそれが今、とてつもなく巨大な障害となって口を開いている。だが、ここを越えなくては流光の所に行けない。
聡は息を整えた。下は見ないで着地目標地点に気持ちを集中させた。僕は飛べる。僕は、流光がいなくても飛べる。僕は、自分の力で、飛ぶ。
時が止まったように感じた。重力に引かれていく、引かれていく。隣のバルコニーの縁に右足がかかった。体重を乗せていった。左足を前に出して着地しようとした時、右足が雨で滑った。前に倒れ込む。コンクリートで左ひざを強打した。上体も激しく地面にぶつかった。思わず、うめき声が漏れた。
気持ちを込めて立ち上がる。カーテンは開いていた。部長のたるんだ裸の背中が見えた。その向こうにタオルだけを巻いた流光の姿があった。そのタオルに部長の手がかかる。剥ぎ取られて床に落ちた。
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