9 意思だと?
「まあ、とにかく――」
「やあやあ、これはこれは。妖精さん使いのお兄さんではございませんか」
「あ、部長」
会社勤めをしていた時、聡はこの部長が苦手だった。目と頭がいつもギラギラしている。口を開けば自慢と小言と下ネタだ。では仕事はできるのか、というとそうでもなくて、上には媚びへつらい、下の手柄は自分の実績にして今の地位まで這い上がったと言われていた。まあ、そういう人はどこにでもいるのかもしれないが。
「警察に追われてるって噂になってるぞ。こんな所でいちゃいちゃしていていいのかな」
おかしい。情報が早過ぎる。もしかして、流光が宝くじを『当たりにした』ことを警察に漏らしたのはこの人か。同僚にうっかり話したのを、人づてに聞いたのかもしれない。他人の喜びを自分の不幸と考える思考の傾向から考えて、可能性は高い。
「追われてるわけじゃありません。しつこいから振り切ってきただけです」
「非常識なことばかりするからだ。いきなり大金持ちになった。芸術家として尊敬され、スポーツでもスーパースター。あやかりたいねえ。でも国家権力に目をつけられてしまった。もう、おしまいだ」
部長は両手を広げて首を振った。
「反省してますよ。これからは、まじめに地道に生きようと思っています」
「できるのか、そんなことが。一度、空を飛ぶことを覚えた鳥が、地面を這いつくばる屈辱に耐えられるのか」
「できる、と思いますよ。人間の適応能力は、プラスにもマイナスにも働くんじゃないでしょうか」
ふん、と息を吐いて、部長は流光の方を見た。
「それにしても、君は便利なものを手に入れたねえ」
「流光はものじゃありませんよ」
「それに、よく見るとなかなか可愛いじゃないか」部長は好色な目で流光を舐めるように見た。「おい、妖精さんを一晩、貸してくれよ」
「この子はものじゃないんですってば。貸すとか借りるとかはできないんです」
「じゃあ、君のものというわけではないんだな」
「ええまあ、僕の妖精さんというわけではありません」
「そうか、じゃあ私が好きにしてもいいんだ」
何を言ってるんだ、この人は。妖精さんをそういう対象として見るなんて、どうかしている。
「妖精さん自身の意思は尊重しなくてはならないと思いますよ」
「意思だと? 人間の想像力の産物に意思なんかあるものか。せいぜい利用して好き放題に弄んでやればいいんだ」
なんてことを。聡は体が震えて声が出なかった。
「聡さんはどうなんですか」それまで黙って見ていた流光が口を開いた。「私が一晩、この人のものになることについて」
「いやそれは君が決めることだから。僕は口を出せないよ」
「それじゃあ、私が何をされてもいいんですね」
流光に頼りきりで、妖精力、つまりは命をずいぶん使わせてしまった。これ以上、彼女に負担をかけたくない。でも一緒にいたらきっと。それに、彼女の行動を規制し束縛する権利は自分にはない。聡は何も言えなくてうつむいた。
「分かりました」流光は部長の方を向いた。「行きましょう」
「ほう、なかなかもの分かりがいいじゃないか。じっくり味わうとしよう。妄想が生み出したこの世ならざる女をな。たっぷり楽しませてやるから覚悟しろよ。泣いても許してやらないぞ」
流光は頭から湯気を立ち上らせている部長に肩を抱かれて、夜の街に消えていった。
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