8 私に飽きたんですか?

 夫婦らしき二人連れの老人が、街灯の下で身を寄せ合ってベンチに座っている。

「今、この人は飛んできたね。そこに妖精さんがいるのかな」

 夫と思しき方が尋ねた。

「ええ、そうですよ。あなたには見えないんですか」

「昔は見えたんだけどね。見えなくなってしまった」

 聡は流光に囁いた。

「大人でも見えない人がいるんだな」

「おそらく、ですが。過去に、他の妖精と濃厚に接触した可能性があります」

「ということは、僕にはもう、他の妖精さんは見えないんだね」

 そうか、妖精さんがそこにいるのか、と老人は呟き、目を細めた。瞳が遠くを見つめている。

「ねえ、あなた」話しかけてきた。「大事にしてあげて下さいね。いつまでも一緒にいられるわけではないのだから」

 並んで公園を歩きながら、流光が呟くように言った。

「一度妖精と深く関わった人は、もう妖精を見ることができません。いえ、できないはずなんです。だから聡さん、あなたはとても稀有な存在である可能性があります」

「どういうことだ」

 流光はそれには答えずに、聡の目を覗き込んだ。

「今の話で思い出したんだけど」流光の目を見返す。「僕は子供の頃、君に会ったことがあるような気がするんだ」

 口元に笑みを広げながら、流光はうなずいた。

「思い出してくれたんですね、その通りです。聡さんが三歳の時、私はあなたと遭遇しました。草原に一本だけ生えている木の根元で昼寝をしていた私を、あなたはじっと見つめました。手を振ると、振り返して、にっこり笑いました。純粋な子供には見えないはずなのに、なぜかあなたには私が見えていました。心が汚れていたのだ、とは思えません。三歳ですからね。だから、とても珍しい事例だと言えるでしょう。しかも、今も聡さんには私が見えている」

「僕は異例だ、と」

「ええ。なぜそうなっているのかは分かりませんが。三十八年前、二人は出会った。私はあなたに興味を持ちました。しばらく一緒に遊びました。草原の上空を並んで飛び回ったり、地面から逆さまに雨を降らせて笑いました。他にも、普通は人間にはできないことをたくさんしました。あっという間に数日が過ぎました」

「それからどうなったんだ。まさか、妖精力を使い果たして……」

「その前に、私には『眠り』の季節が訪れました。お別れしたくなかったけれど、どうにもなりません。私は眠り、やがて目覚めた。あなたの気配を探した。そして見つけたのです、あの場所で。覚えていませんか、あのテーマパークができるまえ、あそこが草原だったということを」

 あそこは埋立地じゃなかったっけ。いや、それは別のテーマパークか。

「連休でおばあちゃんの家に遊びに来てるんだよ、と聡さんは言っていました」

 思い出した。母の実家があの近くだ。

「あなたが座っていたベンチの所に、あの木は立っていました」

 周囲に足音と話し声が増え始めていた。このまま人ごみに入ってしまおう。その方が警察は手を出しにくいはずだ。

 二人が出会った経緯は分かった。それはともかく、少なくともしばらくは距離をとった方がいいのかもしれない、と聡は思った。堕落した生活を脱して社会的な姿勢を改めるのだ。そして何より、流光に重い負担をかけないようにするために。

「なあ流光。僕らはしばらくの間、会わない方がいいんじゃないか」

「私に飽きたんですか」

「そうじゃない、そうじゃないよ、君のためにもだよ」

「私のためと言いながら、本当は」

「愛人みたいなことを言うんだな」

「妖精の身である私には、その資格はない、と」

 どこまでが冗談なのか、よく分からない。

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