「他人の恐怖は他人事さ」
「……あんたの怖いもんに比べたら、わしの怖いもんは小さいもんやな」
エイダンは重い空気を打ち消すように笑った。
「やっぱり、もっとちゃんとせなあかんね……」
「恐怖に大きいも小さいもないだろう。目に見えないのだから。他人は所詮他人。他人の恐怖は他人事さ」
「……せやですね」
エイダンは下を向いて、少し考え込む。
──この人になら、話してもええかもしれへん……。
冷静に考えたら、シャルルルカを相談相手に選ぶべきではない。
抗えない眠気が、エイダンの判断を狂わせ、口を軽くした。
「わし、もう一つ怖いことがあるんです。聞いて貰えます?」
「話すなら、私にも聞こえるかもな」
「寝てしまうことや」
シャルルルカの言葉を遮る勢いで、エイダンは言った。
「一度寝てしもたら、二度と起きれへんかもしれん。飛行中に眠って、落下して、そんで二度と」
エイダンは震える手で顔を覆った。
「寝るんが怖い。けど、寝てまうんです。わしはどうしたらええんですか……?」
平常心を保とうとするが、恐怖で声が震えてしまう。
家族や前の担任教師は、エイダンの眠気について、まともに取り合ってくれなかった。
「寝るのが怖いなら寝なければ良いだろう」と一蹴され、呆れられるのがオチだった。
──それが出来たらしとるわ。出来ないから、こうやって悩んでるんや。
しかし、シャルルルカは家族や前の担任教師とは明らかに違う。
普通じゃない。
だから、ほんの少し、それ以外の返答を期待していた。
「お前の眠気はおそらく、【魔力超過】よって引き起こされているものだ」
シャルルルカは日常会話をするようなトーンでそう言った。
「へ……?」
エイダンは間抜けな顔で、シャルルルカを見た。
「身体に内在する魔力が満杯になっていると、それを発散すべく、意図せず魔法を使ってしまうことがある。それを【魔力超過症】と言う」
「で、でもそれは、熱が出てまうとか、鼻水や涙が止まらなくなってまうとかやろ? 眠うなるなんて聞いたことないで」
「熱が出るのは火魔法を、鼻水と涙が出るのは水魔法を、無意識的に使ってしまっているからだ。お前が無意識的に使ってるのは、睡眠魔法じゃないか?」
「睡眠……魔法……」
エイダンはパッと顔を上げた。
「じゃ、じゃあ、怒ると眠うなってまうんは?」
「魔力は、感情によって増減する。微々たるものだがな。お前は感情が昂ったときに魔力が増えるタイプなんだろう」
「怒ると睡眠魔法の効力が上がってたっちゅうことか?」
「そう。だから、怒ると寝てしまう」
エイダンの頭の中がシャルルルカの言葉がぐるぐると回る。
──魔力超過症……? 自分に睡眠魔法を使っていた? それも、無意識的に……?
「【魔力超過症】はまだ研究が浅い。魔力超過によって、睡眠魔法が暴走することも、可能性としてはある」
「ホンマですか? 嘘じゃなくて?」
「私は嘘をつかない」
エイダンは何を言われても、シャルルルカの言葉が耳障りの良い嘘にしか思えなかった。
「……せやったら、良いですね。わしがだらしない訳やないなら……」
エイダンはへらりと笑う。
シャルルルカの眉がぴくりと動く。
「だらしない?」
シャルルルカはエイダンの腕を掴み、服の袖を捲ってみせた。
それを見たブリリアントが「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
エイダンの腕には、ペンの先で何度も何度も刺した跡が、痛々しく刻まれている。
「だらしない人間がここまでするか?」
エイダンは苦しそうな顔をする。
「……いつから、気づいてはったんですか」
「お前は汗をかいても、上着を脱いで襟元を緩めるだけで、袖を捲らないだろう。何か隠している気がしたんだ」
「……はは。嘘つきに、嘘なんてつけへんもんですね」
シャルルルカはエイダンの腕から手を離す。
「お前のそれは【魔力超過症】によるものだ。適度に魔力を発散させろ。……とはいえ、学生の身分じゃあ、魔法を使うのにも色々と制限があるだろう」
「じゃあ、どうしたらええんです?」
「睡眠魔法の耐性をつける方法を教えてやる。例えば、これ」
シャルルルカは足元を指差す。
そこには赤い花が咲いていた。
「これはネムレナクサ。名前の通り、眠れなくなる成分が入っている」
シャルルルカはネムレナクサの花弁を千切り、エイダンの前に差し出す。
野花を食べることに抵抗はあったが、エイダンは恐る恐る口に入れた。
「まっず! 土の味がするで……」
「この花弁は擦り潰してから茶に入れて飲むのが一般的だ」
「だったら、最初からそっちで飲ませてくれや!」
エイダンは川の水を口を濯ぐ。
口の中の苦味が少し薄らいだ。
「差し出したら食べて驚いたよ。野花を食べるとか、食いしん坊にも程があるな」
「食べると思うやんか!」
エイダンは思わずシャルルルカを怒鳴りつけた。
「あとはそうだな。夜にしっかりと睡眠をとること。昼寝をするのも良いな」
「え? 昼寝?」
「何、ベッドがないと眠れないのか? 贅沢な奴だな。お前は机に突っ伏して寝とけ。授業が始まったら、私直々に叩き起こしてやる」
「そうやなくて……寝て良いなんて、初めて言われたわ」
エイダンは家族から常々言われてきた。
「また居眠りしとんのか」
「だらしない奴やな」
「もっとちゃんとせえよ」
──わし、ホンマは寝たくなんてないんや。起きて、ちゃんとしたい。
その度にそう思ったが、何も言えなかった。
「言い訳だ」、「口先だけだ」と言われるだけだ。
──なんでわしだけ出来へんのやろ……。
その答えが今日わかった。
自分は病気で、治療が必要だったのだ。
「シャルルルカ先生、わしはちゃんと出来るようになるんか?」
「知らないよ。他人のことなんか」
シャルルルカはぶっきらぼうにそう言った。
「……せやですね」
シャルルルカらしい、とエイダンは思わず笑みが溢れた。
「さて」とシャルルルカは立ち上がる。
「休憩は終わりだ。出発するぞ」
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