第06話 プール開放と流しそうめん

「ひざの屈伸、さんはいっ!」


 いちっ、にっ、さんっ、しっ――


 ぼくたちは、また体操をしている。

 ラジオ体操じゃない。


 ここは学校のプール。

 今日は夏休みのうちに何回か開かれる、プール開放の日なんだ。

 これは夏休みのあいだ、学校のプールをみんなが使えるようにしてくれるやつで、先生やPTAの人たちが見てくれているから、安全に泳げる。


 授業じゃないから自由に遊べるし、何より気持ちいいし、もちろんタダ。

 それならさぞ混み合うだろうって感じだけど、実はそうでもなかったりする。

 今日はプール開放初日だからか、少し多めなのかな。

 それでもひとクラス分、いるかどうかぐらいだと思う。


「次に伸脚。さんはいっ!」


 今日の当番は、月城つきしろ先生ともう一人、女の先生だ。

 名前は知らない。

 月城先生はひざ上まである、ちょっとダボッとした水着をはいていて、上は真っ白なTシャツだ。

 ぼくたちの前で、準備運動の号令をかけている。


「よーし。じゃあみんな、プールのふちに座って」


 みんな、わいわい声を上げながら、先生の言うとおりにする。

 ここから足先、ひざ、太もも、腕、肩みたいに順番に水に慣らしていくんだ。

 どの学校でも、きっとやり方は同じなんだろうな。


「よし。じゃあゆっくりと水に入って、肩までつかるんだ。そうしたら、あとは自由に泳いでいいぞ」


 先生の言う通り肩までつかる。

 そのままちゃぷんと、頭の先までぼくは水にもぐった。

 ゴーグルごしの世界が、プールの中の青に切り替わる。

 久しぶりで、懐かしい世界。


 ずっとずっと、勉強づけだったあの日々。

 なぜかあの人は、幼稚園から通っていたスイミングだけは続けさせてくれた。

 五年生になるころには、結局やめさせられたけどね。


 息をはいて、プールの底すれすれにまで、からだを沈めた。

 ヒラメかカレイになった気分。

 まだまだ、息はつづく。


 向こうの方から、だれかがこっちに向かって泳いでくる。潜水で。


こうちゃん)


 光ちゃんは、運動神経ばつぐんだ。

 今は地元のサッカークラブに入ってるって聞いた。

 ぼくは運動はてんでダメだけど、水泳だけはきっと負けないと思う。

 近付いてきた光ちゃんは、ぼくを真っ直ぐに見つめたあと、いきなり変顔をした。


(にらめっこか。受けて立つ!)


 どうせ光ちゃんしか見てないんだ。

 ぼくも負けずに、とびっきりの変顔をおみまいした。

 ブボッと言う音と同時に、光ちゃんの顔をたくさんの泡が包んだ。

 カエルみたいにバタバタしながら、光ちゃんは浮かんでいった。


(勝った……!)


 妙にうれしい。

 まだまだ、あと三十秒はもぐってられ――グンッ!


 とつぜん、ぼくの身体は力強い何かに背中からかかえられて、あっと言うに水面にザバリと引き上げられた。

 何が起きたのか、とっさに分からないぼくは、ただされるがまま。


いぬいくん! 乾くん! だいじょうぶかっ!?」


 耳元で、月城先生の声がする……月城先生?


「え、あ……何が、ですか?」

「乾くん、だいじょうぶなのか?」


 するりと、ぼくを抱えていたうでがほどけていく。

 肩をつかまれて、ぼくの身体はくるりと180度回転すると、月城先生の心配そうな目と向かい合った。


「はい、だいじょうぶですけど……何が?」


 相変わらずわけが分からない。

 月城先生は大きく息を吸い込むと、その倍くらいの大きなため息をついた。


「いや、プールにしずんだまま浮かんでこない子がいるって聞いたんだよ」

「しずんだまま? あ」


 そういうことか。たしかに軽く一分くらいはしずんだままだったから、そう誤解されてもしょうがないのかも知れない。


「すみません、スイミングで習った『けのび沈み』です」

「けのび沈み?」

「はい。けのびの体勢のまま、お腹が底につくまでしずむ練習です」


 月城先生はもう一度、今度は小さくため息をついた――ん?


「分かった。だいじょうぶならいいんだ」

「あの、すみませんでした」

「いやいや、こういうのは結局何事もなかったってのが一番なのさ。報告してくれた子も悪くないし、もちろん乾くんだって悪くない」


 気をつけて泳ぐんだよ、と言って、月城先生はプールサイドにもどっていった。


 ――見間違いだろうか。


 ため息をついた先生の胸に、「バッテン」のような黒い印》が見えたような気がしたんだけど。

 光ちゃんは、ぼくたちの様子を少しはなれたところで、ぽかんと見ていた。


    ◇◇◇


「さあいくよー! 準備はいいかなー!」

「はーい!」


 ぼくらの目の前には、竹を半分に割って作ったといがすべり台みたいにずーっと伸びている。

 これからもちろん、この樋をそうめんが流れてくるってこと。


「いきまーす!」


 元気な声で宣言したのは、香坂こうさか芹里菜せりなさん。


 そう、ここは香坂さん家。


 流しそうめんパーティーを開くからおいでよって、招待されていたんだ。

 ぼくと光ちゃんは、プール帰りのだるい身体をひきずりながら、何とかここまでたどりついたってわけ。

 ぼくたちだけじゃなくて、他にもクラスメイトが何人かいるし、知らない子たちも結構いる。多分香坂さんのいとことかじゃないかな。


 おとなも同じくらい走り回ってるけど、香坂さんちの庭はすごく広いから、まだまだ全然よゆうがある。

 そうじゃなきゃ、こんな教室三つ分くらいありそうな流しそうめんの樋を、まっすぐ設置するなんてできないよね。


 ……なんて考えてたら、さっそく目の前を白いぐにゃぐにゃがあっと言う間に通り過ぎてった。

 そうめんのやつ、思ったより速い。


「取り損ねはおれにまかせろー!」


 竹の樋の終点では、光ちゃんがキャッチャーみたいに構えている。

 どうなんだろ、あのポジション。

 たしかに取り残したそうめんは独りじめできるけどさ。

 ちなみにぼくは、真ん中くらいのところにいる。

 年が小さい順に上流から並んでるような気がする。


 来たっ!


 すばやく箸で、流れてきた白いかたまりをさっとすくった。

 それを左手にもった器のつゆにつけて、ずずっとすすると――おいしい!


 冷たくてさっぱりしてるんだけど、つゆの中にスプーン一杯分くらいのそぼろが入ってるから、コク?って言うのかな、おいしさがアップしてるみたいだ。


「さー、どんどんいきますよー!」


 香坂さんの言葉どおり、そうめんは次々と流れてくる。下流の人たちを心配しなくても、どうやらよさそう。


 見ると、光ちゃんももくもくとそうめんをすすっては、おいしそうに飲み込んでる。

 完全に丸飲みだね。

 香坂さんは、ちゃんと食べられるのだろうか。

 まあぼくが心配しなくても、きっとだいじょうぶなんだろうけど。


「おそうめんにあきたら、こちらもどうぞ」


 香坂さんのお母さんだ。

 白いシャツの袖をぐいっと腕まくりして、色の濃いジーパンをはいて、上からクリーム色のエプロンをつけていた。

 少し遠目になるのでよく分からないけど、持っている大きなお盆の上にはかきあげのようなものが乗っかっているみたいだ。

 見るとテーブルにも縁側にも、いろんなおかずやおにぎりがどっさりと並んでいる。三角形に切り分けられたスイカもある。

 一体、何玉分だろう。すごい量だ。


 ――そうだ!


 ぼくは「ふれあいホームステイ」で、一週間この家に「子ども」として住むことになったんだ。

 と言うことは、あの人がぼくのおか……お母さん、になるのか。


 ドクン。


(うっ――)


「よお瀧人! あっちのから揚げ、食いに行こうぜ! あとスイカもな!」


 流しそうめんの終点にいたはずの光ちゃんが、とつぜんぼくの首に腕をまきつけてきた。


「暑いよ、光ちゃん」

「いいからいいから、香坂も待ってるしさ。行こうぜ!」


 ホントだ。いつの間にか香坂さんは、縁側に座ってぼくたちに手招きしている。


    ◇


「ねえ、瀧人くん」


 ぼくがから揚げや豚肉の冷しゃぶ、キャベツの葉で包んだしゅうまいとかをたらふく食べて、最後にデザートのスイカにパクついていると、となりで麦茶を飲んでいた香坂さんが話しかけてきた。


「ん?」

「分かってると思うけど……あんまりわたしの部屋、あさらないでね?」


 ふれあいホームステイのことだよね。


「そんなことしないよ。それにお父さんから聞いたんだ。香坂さんち、ぼくの部屋を別に用意してくれるって」

「え、そうなの?」


 ぼくの病気のことを知って、気をつかってくれたらしい。

 もちろん香坂さんの家がすごく大きくて、いくつも部屋があまってるから出来ることなんだろうけど。それにしても、香坂さんがそのことを知らなかったなんてね。


「そっか。それならいいかな」

「おれは別に、瀧人の部屋でかまわないぜ?」

「光ちゃんこそ、ぼくの部屋をあさらないでくれよ」

「わーってるって」


 そうなのだ。

 ぼくが誰かの家にホームステイするってことは、誰かがぼくの家にホームステイするってこと。

 それが実は光ちゃんだったという話だ。

 こんな偶然ある?って思うけど、もしかしたら月城先生はいろいろ考えてくれたのかも知れない。


「あ、そうだ」


 月城先生と言えば、ちょっと聞いてみよう。

「あのさ、光ちゃん」

「プププププ……あん?」


 光ちゃんは、マシンガンみたいにスイカの種を口から庭に向かって吹き出してる。

 ぼくも実は試したことがあるんだけど、これがあんがい難しいんだ。

 口の中で種をより分けてるうちに、何粒か飲み込んじゃうから、やめた。

 香坂さんが軽くにらんでるしね。


「午前中のプールの時なんだけどさ」

「お前がおぼれかけた話か?」

「えっ、えーっ!!? どういうこと!?」


 すっとんきょうな声を上げる香坂さん。


「違うって。香坂さん、ぼくおぼれかけてなんかないから」

「そうなの?」

「うん。ただもぐってただけなんだ。そうじゃなくて、カンちがいした月城先生がぼくを助けてくれた時に……見たんだ」

「見た? 何をだ?」

「うん」


 ぼくは二人に話した。

 月城先生の胸にバッテンみたいな形の黒い印が見えたことを。


「そんなもん、あったかあ?」

「プールの授業は何回もあったけど、わたしも見た覚えがないかな」

「そう、なんだ」


 見間違いだった?

 光とか水の加減でぐうぜん、みたいな?

 そう言われれば、そうかもとしか言えない。


「でもさ、それがホントだとしても、別にふしぎじゃないよな」

「そうね。月城先生ならって思っちゃう」

「……魔法使い、だから?」

「そう!」


 ハモる二人。

 半分じょうだんのつもりで言ったけど、そうきたか。


「だからさ、瀧人もいっしょにやろうぜ!」

「月城先生の正体をって話?」

「そうさ!」

「わたしはまだ、やるとは言ってないけどね」

「おいおい、そりゃないぜ香坂」


 ぎゃーぎゃーと二人は言い合いを始めた。


(魔法使いか……)


 ラジオ体操の出席カードに、ハンコを押してもらった時の、あの感じ。

 正体不明の、月城先生の胸の印。


 ぼくは、あいまいに返事するしかなかった。

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