第二章「夏休みの、はじまり」

第05話 夏休み初日――ラジオ体操

「うでを前から上にあげて、背のびの運動から~はいっ」


 いちっ、にっ、さんっ、しっ――


 そう。今日は夏休みの初日。

 こうちゃんが言う、楽しさ99の日だ。


 夏休みの宿題のひとつ、ラジオ体操をしに近所の公園にやってきた。

 宿題と言っても、教科書もノートもいらないから、問題はない。


 セミたちが何時に起きるのか知らないけど、多分早起きなやつらがもうどこかからか鳴き声をひびかせてる。

 うるさいけど、何だろう、うっとうしくはない。


 まだ夜が少しだけ残った感じの、空。

 ちょっと草のにおいのする風が、ぼくの顔をなでていく。

 公園には、多分この辺の小学生がみんな集まってきてるんだと思う。

 子どもたけじゃない。おとなも結構いる。


「よう瀧人たきと、おはよう」

「おはよう、瀧人くん」


 光ちゃんも香坂こうさかさんも近所だから当然いるわけで、いつの間にかぼくの両側でうでを振っていた。


「おはよう、光ちゃん、香坂さん」


 こっちの学校に転校してから、もうおなじみになったあいさつは、夏休みに入ってもつづいている。


 でも、ある時ぼくは気づいた。

 このあいさつをするたび、香坂さんが妙な顔になることに。

 まゆ毛が少しだけ「八の字」にかたむくんだ。

 と言っても、ただの気のせいかも知れない。

 だから、何も聞くことはできないでいる。


「えらいじゃんか、瀧人。ちゃんと初日から来るなんてさ」

「そりゃあまあ、ね」

「何かさあ、ちっとくらい寝坊してもいいはずなのに、いつもよりも早く起きちまったよ、おれ」

「あー、わたしもそう」


 やっぱり夏休みは、楽しいものなんだ。

 ぼくはここに来るまで三ヶ月も休んでいたけど、あの時とは全然ちがうから。

 そもそも楽しい夏休みなんて、ぼくは記憶にない。


「足をもどして、うでと足の運動~」


 ここの動きが、ぼくは一番好きだ。

 何だかロボットみたいだって思うの、ぼくだけだろうか。

 一番きらいなのは「横まげの運動」。

 横っぱらがちぎれそうに思えて、苦手なんだよね。

 お父さんにそう話したら、「無理に曲げちゃダメなんだよ」って言われたけど。


 ――深呼吸が、終わった。いっせいにみんな、ざわめき始めた。


「さ、ハンコ押してもらいに行こうぜー」

「うん」


 ぼくたちは連れ立って、子ども会の人たちが待っているつくえのところへ走った。そこにはどこか見覚えのある人が座っていた。


「あら瀧人くん、久しぶりねー」


 すぐに思い出した。光ちゃんのお母さんだ。

「あ、はい。これ、お願いします」

「はいはい。うちの光士郎こうしろうがね、しょっちゅうあなたのこと話すのよ?」

「そうなんですか?」

「ええ、それにだいぶ昔のことだけど幼稚園の時、光士郎と大ゲンカしたじゃない? 仲直りしないうちにあなた引っ越しちゃったから、あの子ったらしばらくふてくされててね」

「おい母ちゃん、やめろって!」


 ぼくの後ろに並んでた光ちゃんが、あわてて口をはさむ……どうやら光ちゃんもあの時のこと、覚えてるみたいだ。


「あの、光ちゃんのお母さん」

「なあに?」

「あの時、どうしてケンカしたのか、ぼく覚えてないって言うか、もともと知らないんです。教えてくれませんか?」

「あらそうなの?」


 そう言うと、光ちゃんのお母さんはにやっと笑った。


「やめろってば! 列が出来てんのによけいなおしゃべりしてんなよ!」

「あら、たしかにそうねえ」


 言われてみれば、となりの列はどんどんはけていく。

 マズった。


「あ、やっぱりいいです。ハンコ、お願いします!」

「そう? はい、ご苦労さま」


 光ちゃんのお母さんが、ラジオ体操出席カードの最初のマスにぽん、とハンコを押してくれた。

 星の形で、中に「がんばりました」って書いてあるスタンプだ。


(――――あれ?)


 ハンコが押された瞬間、ぼくの胸のところに不思議な感覚がわき上がってきた。

 何だろう……うまく言えないけど、「やったぜ!」って感じの気持ちが……。


「早くしろよー!」


 とうとう、列の後ろから文句が出始めた。

 ぼくはぺこりと頭を下げて列をはなれた。


(何だ、これ?)


 なにげなく出席カードを見る。一番下に、ぼくのクラスと名前が書いてある。

 今朝来るときに、自分で記入したやつだ。


 そして……カードの右下のはしっこに別のスタンプが押されていた。

 もちろん、さっき光ちゃんのお母さんに押してもらったのとは、別だ。

 これって――お城かな。その上に、三日月が描かれている。


「それが月城つきしろ先生の魔法なのよ」


 スタンプをじーっと見ていると、ぼくの様子に気づいた香坂さんが声をかけてきた。


「魔法……?」

「うん。先生はね、ドリルでも書き取りノートでも、全部にそのハンコを押してくれてるんだよ」

「そのハンコがあるってことは、先生の魔法がかかってるって証拠さ」

「……マジで?」

「ああ、大マジだぜ」


 香坂さんと光ちゃんは、おたがいに顔を見合わせてにんまりしている。

 一体どこまで本気で言ってるのか、分からない。

 でも、さっき感じたのは……。


「それより瀧人、今日遊ばねえ?」

「え? これから?」

「いや」


 光ちゃんは首を横にふった。


「午前中は宿題だよ。ちゃんと予定通りやらないとなー」

「そっか……」


 勝手に、今までの夏休みの記憶が浮かんでくる。

 午前中? 午後だって夜だって、ずっとつくえに向かってたさ。


 ――ドクン。


 あ、ヤバい。ぼくはブルブルと頭をふった。おどろく光ちゃん。


「おい、どうした」

「……だいじょうぶ、だいじょうぶ。と言うことは、午後からってことだよね」

「そうだな」

「いいよ。でも、何して遊ぶ? ぼく、ゲーム機とか持ってないんだけど」

「そうか。それじゃあうちに来るか? 面白えマンガがたくさんあるぜ?」

「うん、分かったよ」

「わたしは午後からおうちの手伝いがあるからね」

「分かってるって」


 香坂さんちは、大きな農家だ。

 うちのおじいちゃんのとこより、ずっと広い田んぼと畑をもってる。

 幼稚園の行事で田植え体験をしに、香坂さんちへ行ったのを思い出す。


「それじゃ午後、待ってるぜ」

「うん」

「瀧人くん、またね」


 二人が手をふって帰っていくのを、ぼくはぼんやりと見送った。


 宿題、魔法、夏休み。

 月城先生。

 香坂さんの、困ったような表情。

 光ちゃんとのケンカの、理由。


 何だか分からないことばっかりだ。どれから考えたらいいのかな。


 ――ぐぅ。


「おなか、減ったな」


 そう言えば、今日はおじいちゃんたちのトマトの収穫を手伝うんだった。

 ぼくはよしよしと自分のおへその辺りをさすりながら、かけ出した。

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