蒼穹の道
水乃流
或る出会い
その日、オレはいつものように敷きっぱなしの煎餅布団の上で、何をするでもなしにぼーっと窓の向こうの景色を眺めていた。何も知らない奴が見たら、人生を捨てた引きこもりのクズ野郎に見えただろう。実際その通りなのだが。
(腹が減ったな。そろそろ飯にするか)
確か買い置きのカップ麺が、まだどこかにあったはずだ。オレは重い体を持ち上げて、キッチンへと向かった。
ピンポ~ン♪
間の抜けた音がした。
「誰だよ、ったく」
オレを訪ねてくる奴など、とうにいなくなった。来るのは集金か、荷物の配達員、そんなところだ。どれでもなかった。開けたドアの向こうに立っていたのは、すらっとした今時の若者だった。
「勧誘か何かか? なんでもいい、帰ってくれ」
「○○さんっ! 探しましたっ!」
オレが閉めようとしたドアをこじ開けるようにして、その男は笑顔でオレに話しかけた。
「お願いです、弟子にしてくださいっ!」
はぁ?いまのご時世で、弟子って何だよ。噺家じゃあるまいし。伝統芸能なんかやってないよ。
「引退したのは知っています。でも、オレ、○○さんが目標なんです!」
「今のオレは、お前さんの知ってるオレじゃねぇよ」
部屋の前に居座られても困るし、オレはその男を連れて近くの公園に行った。誰もいない公園の片隅に置いてあるベンチに座って、オレは男を説得して帰らせることにしたのだ。
「そんなこと、ありません。○○さん、いや師匠のダンスは今も輝いています」
かつてのオレは天下無双とまで呼ばれたダンサーだった。不慮の事故に見舞われたせいで、今じゃだたの世捨て人だ。
「師匠のダンスを見て、それを受け継ぎたいんです。後世に残すべき芸術だと思っています」
(ダメだ、こりゃ)
鼻息荒く放す男を見て、こうなったら現実を見せて幻想を打ち砕くしかないと思ったオレは、ゆっくりと立ち上がり男に言った。
「いいか、よく見ていろ。これが現実だ」
オレは数年ぶりに踊った。だが、それはダンスなんて呼べるものじゃなかった。あぁ、あの頃のオレはもっと腕が伸びた。脚だってもっと高く上がった。絶頂期のオレが、いや理想とするオレの動きに近づけようともがけばもがくほど、その違いに悔しさを覚えた。くそっ、オレはまだ踊りたかったんだ。
だが、これで男も諦めるだろう。こんな情けない姿を見たなら。
「師匠、すごいっす!」
諦めていなかった。馬鹿なのか、こいつは。その上、「こうですか?」なんて言いながら、踊り始めた。
「いやぁ、やっぱり師匠のテクは、すぐにはまねできないっすね」
オレは目を丸くして驚いていた。たった一度見ただけの、それも身体がうまく動かせていない不十分なダンスを見て、こいつはオレが理想とするダンスに近い動きをしやがった。見た目とは違い、こいつには才がある。
「やっぱり師匠に追いつきたいっす。お願いします、弟子に!」
そうか。俺自身が踊れなくても、誰かを導くことはできるのかもしれない。そんな道があったのか。オレは、流れ掛けた涙を隠すため、空を見上げた。果てしない青が広がっていた。
蒼穹の道 水乃流 @song_of_earth
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