第5話
「パパ?」
目を開くと娘によく似たそれが私を見上げていた。真横に誰かがずっといたら、流石に目が覚めるか。……待て、これは今なんと言った?
「パパ?パパだと?気でも狂ったのか。私を不快にさせるのもいい加減にしろ」
「おかしくなんてなってないよ。私はずっと私だよ。ただちょっと眠りすぎちゃってただけだもん」
「何訳のわからないことを……」
「パパ言ってたでしょ?何かが完全に無くなるなんてことはない。姿や形を変えて、絶対にどこかにあるはずだって。私もそうだよ。パパは私がいなくなっちゃったって思ってたけど、私はずっとここにいたよ」
それが私を見つめる。気味が悪い。心臓が冷たいもので貫かれたかのような気分だ。目の前にいるのは失敗作のはずなのに、何故か娘に見える。そんなはずはない。娘は消えてしまった。あの日、失敗作のせいで消えたんだ!なのになんだ?目の前のこの子はなんなんだ。
「……ああそうか、処分されたくないから娘のフリをし出したのか?なんとも狡賢い考えだ。よくその頭で思いついたな」
「なんでそんなこと言うの?相手が傷つくようなこと言っちゃダメって言ったのはパパだよ?」
「黙れ!!私の娘はお前じゃない!優だけだ!」
「だから私が優なんだって言ってるじゃん!なんで信じてくれないの!?」
「お前と優は違う。何もかもが違う!大体お前に優の記憶はなかっただろう!それなのに自分が優だと?よくそれで私を騙せると思ったな」
「…………」
図星だったのか、失敗作は大きく目を見開き黙り込む。本当に腹立たしいやつだ。今すぐ処分してやろうか。
「…………き」
「なんだ?まだ言い分があるのか?仕方がないから聞いてや「嘘つき!」は?」
「パパの嘘つき!バーカ!大っ嫌い!!」
「は?なんっ、は?」
偽物とはいえ、優そっくりのその見た目でそんなことを言われると動揺してしまう。気のせいだと思うが心が痛い。
「パパが!お前がパパのことを忘れてもお前はパパの娘だって言ったから!言ってたのに!バーカ!バーカ!!パパの方が私のこと忘れちゃってたじゃん!私ちゃんと待ってたもん!パパの研究が終わるまで、今度こそちゃんとそばで待ってたのに!」
泣き喚くその姿が幼き頃の娘に重なる。私が約束を破ってしまった時、よくこうやって泣かれたのだ。いや待て、私は何故これと娘を重ねているのだ。ついに私の頭までいかれたのか?自分の思考の治し方を考えている間も、それは泣き続けている。
「前は私がパパのこと待てなくて勝手に外に出ちゃったから!だから今度は絶対離れないようにしてたのに!パパなら絶対に成功するって信じてたのに!なのにパパったらもう、バーカ!嫌い!バカァ……私優だもん。本当だもん。確かにパパのこととか、ぜーんぶ忘れちゃってたよ?でも覚えてたもん。パパが作ってくれた体に入ったら眠くなっちゃったの。それで、寝ている間はなんでかわかんないけど、なんにも覚えてない私が出ちゃってたの。私もよくわかんないけど。それでね、さっきやっと起きられたの。だからパパとお話ししたかったのに、パパ信じてくれないんだもん。もうパパなんて知らない。嫌い。あっち行って!」
ひとしきり泣き喚いて落ち着いたその子は、今度は布団にくるまって啜り泣き始めた。その姿は優そのもので、ようやく私は目の前のことを受け入れられた。この子はずっと優だったのだ。優は消えてなどいなかったのだ。
優が戻って来た安堵に浸っていたが、すぐさま血の気が引いた。私は今、この子を泣かせたのだ。しかも十割私に非がある。
「本当に優だったのか…………ゆ、優?私が悪かった。だから頼む、出て来てくれ。パパ謝るから。な?この通りだ。ね?」
「やだ。私パパと一緒でバカは嫌いだもん。私に気づかなかったバカなんて嫌いだもん」
「やだか、そうか……いやぁ寒いなあ。パパこのままだと凍え死んじゃうかもしれないなあ。誰か温めてくれないかなあ」
「部屋から出てけばいいじゃん」
「そこをなんとか、な?後生だから」
「………………」
「頼む優」
「……仕方がないなあ。ちょっとだけだよ」
娘の機嫌を取るのは世界一難しい。父親としてのプライドなど何もかもを捨ててようやくほんの少しだけ機嫌が良くなるのだから。もそもそと布団から出て来た優をすかさず抱きしめる。少し抵抗されたがそれもすぐに落ち着き、優は私の腕の中で再び泣き出した。
「パパのバカァ」
「ああ、私は大馬鹿者だ。本当にごめんな。どれだけ謝っても許してもらえないだろうが、どうか償わさせてくれ」
「……うん」
「なあ優。優のこと、またパパに教えてくれないか?」
「私のこと?」
「ああ、どうしてあの日外に出てしまったのか。私が作った体に入るまでどうしていたのか、とか。なんでもいいぞ」
「あ……えっとね、パパにお花あげたかったの。お庭に咲いてる真っ白な花。私とママに似てるからって、パパがずっとお世話してた綺麗な花。パパ私の誕生日はいっつも少しだけ、寂しそうな顔してたから。パパに笑顔になって欲しかったんだ。だからお外出ちゃったの」
「そうか、そうだったのか……私のためか」
「……余計なことしちゃってごめんなさい」
「お前が謝る必要はない。全てお前から目を離した私が悪いのだから。それで、その後はどうしていたんだ?」
「ずっとパパのそばにいたよ。パパが私のために頑張ってくれているのも全部見てたよ。あっ!次パパが何聞くかわかっちゃった。あのおじさんが誰かは知らない。私もあの時初めて会ったんだ」
「確かにそれも聞きたかったが、別にどうでもいいことだな」
「あれ?間違えちゃった」
「パパが聞きたいことはな、お前は何が好きなのかとかそういうことだよ」
「好きなもの……う〜んなんだろ?自分でもわかんないや」
「……もう誤魔化さなくてもいいぞ。お前は賢いから、ずっとパパを困らせないよう本当に好きなものを言おうとしなかっただろ?」
「……あちゃ〜バレてたんだ」
「当たり前だ、お前のパパだからな」
「私だって気づかなかったくせに」
「ぐぅ」
「あはは!冗談だよ!……本当に言ってもいいの?」
「ああ、聞かせてくれ」
「……あのね、私温かいものが好きなの。冷たいものは嫌い。本当は夏にお出かけしたかったし、パパと海に行きたかったの。それでね、冬はパパと一緒に温かいお部屋でお鍋とかスープとか、温かものを食べたかったの。でも私溶けちゃうからどれもダメでしょ?」
「そうだな、今はダメだな」
「今は?」
「絶対にパパがその夢、叶えてあげるからな。今度こそ約束だ」
「本当に!?嘘じゃない?」
「ああ、嘘じゃないぞ」
「……やったぁ!約束だよ?絶対、絶対だよ?」
泣き腫らして真っ赤になった目元を緩め、六花によく似た笑顔を浮かべる優は、世界で一番可愛らしかった。
そうだ、決して忘れること勿れ。私が追い求めるべきは、娘にとっての幸せなのだ。私が考える幸せではなく、この子が心の底から望む幸せなのだ。
今、優は私の腕から離れはしゃぎまわっている。あれがやりたい、これを見たい。これから来るだろう未来を想像しながら笑っている。そして久しぶりに動き回ったから疲れたのだろう。また私の腕の中に戻って来て、ウトウトと船を漕ぎ始めた。
「今日は寝てばかりだな」
「疲れたんだもん」
「そうだな、ゆっくり休みなさい」
「うん、おやすみパパ」
「おやすみ優。いい夢を」
完全に夢の世界へ渡った優の頭を撫でる。私の手に擦り寄ってくる姿は、五年前と何も変わらない。
さて、優の望みを叶えると言った手前、できることを探さなければ。それこそが私の役割だ。優が普通に生きていけない原因の多くはその心臓にある。六花の心臓だ。この心臓が溶けさえしなければあの子は望むままに生きて行けるのに。何か解決方法はないか……。昔からの癖で、耳を塞ぎながら思考の海に沈んで行く。今の私には自分の鼓動しか聞こえない。……ああ、なんだ。こんなところにあるじゃないか。
決して溶けることのない、完璧な心臓が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます