最終話
もうすぐ優の十八回目の誕生日が来る。でも私のそばにあの子はいない。優の望みを叶える方法を見つけたあの日から、私はまた研究に打ち込んだ。私と優の心臓を入れ替えるための研究だ。心臓移植は既に世間に広まっている技術である。しかし歴史上誰一人、人間と雪女の心臓を入れ替えた者はいない。考えたことすらない未知の領域だ。さらに私はそれを一人でやり遂げなければいけなかった。学会を追放された私に頼ることのできる相手などいないのだから。何度も試行錯誤を繰り返し、全自動で心臓移植手術を行える機械を作り上げ、そして私と優の心臓を入れ替えた。優がこのことを知ってしまったら、また泣かれて全力で反対されただろう。だから私はあの子には何も言わず、勝手にこの手術を行った。きっと、いや、確実に恨まれるだろう。あの子は自分のために私が犠牲になることなど許すはずがない。だが私とて、犠牲になるつもりなど微塵もない。まあ少し前の私であったら何の躊躇いもなく自身を犠牲にしただろうが。これは私の計画の第一段階でしかないのだ。
そしてあの子が十三歳になった年、手術は成功した。両者共に異常無し。完璧な手術だった。これによりあの子は解けない心臓を手に入れて、自分の好きなものを好きなだけ味わうことができる。反対に私は気を抜けば解けてしまう心臓を抱えることになった。優の体のような調整が一切施されていない私の体では、わずかに肉体と心臓の反発が起こる。そのせいで以前よりもさらに貧弱な体になってしまったが後悔はない。もとよりインドア派の私には対して影響がないのだ。だがこれではあの子の「パパと一緒に」という願いが叶えられない。勿論そのこともしっかり考えてある。私はクローン技術の研究者だ。自分の臓器を作ることなど造作もない。と言いたいところだが、心臓は複雑且つ精密すぎて製造に多大なる時間と労力が必要だった。何文私は学会から追放されたせいでまともに研究を行える状態ではなかったのだ。物資はない、設備は心臓移植の機械を作るためにほとんど解体した。絶望的な状況だ。でもまあ、なんとかなるだろう。私は人の道こそ外れてしまったが、才能はあるのだ。阿島のようにすぐに成果を上げることはできないが、地道にゆっくりと研究し続けることは得意だ。どれだけ時間がかかろうと、必ず娘との約束を守って見せる。
手術が終わりまだ目覚めていない優を、古くからの友人に預ける。私はまだこの子の夢に付き合えないから、一時的に付き合うことができる彼に任せるのだ。あくまでも一時的に、だ。
「本当にいいのか?」
「ああ、私はこれからまた研究に打ち込む。その間この子に構うのは難しくなってしまう。それにどれくらい時間がかかるかわからないから、先に人生を楽しんでいて欲しいんだ。なに、約束を破ったわけではないのだから大丈夫だ。必ず迎えに行く。まあしばらくは荒れるだろうが、それはお前に任せる」
「ったく、人使いが荒い奴だ。まあいいさ、うちにはもう二人子供がいるから一人増えたところで大して変わりはしないだろうよ。それじゃ、お前は早く迎えに来れるようさっさと研究に打ち込みな」
「当たり前だ。……優のこと、頼んだぞ」
「へいへい」
目が覚めた優はそれもう怒り狂っていたが、私の計画に賛同してくれた。今でもたまに恨み言が送られて来るが、毎日のように今の生活がいかに楽しいのか私に機械越しで教えてくれる。それに離れ離れの生活はもう終わりだ。ついに私の心臓が完成したのだ。今度はしっかり耐久実験を行い、その安全性は保証されている。これを私に移植すれば、あの子が望んだ世界が完成する。優の誕生日まであと一週間。それまでには必ずあの子を迎えに行ってみせる。優の体が完成するまでの五年間は、人生で一番苦痛に満ちた孤独な時間だった。だか、私の心臓が完成するまでの五年間は、一人で過ごしていたがなんとも幸せに満ちた時間だった。
八月十一日 午後三時二十四分
世界を隅から隅まで照らし尽くす太陽の下、私は優が望んだ世界を完成させた。
「遅い」
「私にしてはこれでも早い方だったんだがな」
「そっか、なら許す。それより言うべきことがあるんじゃない?パパ?」
「ああ、そうだな。優、私の、私達の愛おしい娘。十八歳の誕生日おめでとう。よくここまで大きくなってくれたな。お前がこの世に生まれて来てくれたことに、心からの感謝を」
「ありがとうパパ。私をここまで生かしてくれて。これからも私の願いを叶えるためにも長生きしてね!」
「勿論だ」
私の腕の中に戻ってきた最愛は、いつかのように笑っている。まるで庭に咲いていた真っ白な花のように可憐で美しい。
私達に氷の心臓はもう存在しない。それでも私達の、私と妻と娘の繋がりは途切れることなどない。私達の心には冷たくも暖かい、世界で一番美しい氷が残り続けているのだから。
氷の心臓 ロエ @longend_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます