2話
その日の夜、役場の会議室には役人たちが集まっていた。
いかにして、今の村の活気を少しでも長く維持するか――それがただ一つの議題であった。
それぞれが思い思いに案を出した。
まず、「ダンジョンが発生するのになにか法則や条件はあるのか」と設備担当が尋ねた。万が一ダンジョンが攻略されて消滅しても、意図的に新しいダンジョンを発生させることができれば、断続的に冒険者の流入が見込めるだろうという算段だ。書記官が文献を探ったが、ダンジョンの発生は完全にランダムで、人の手ではどうにもできないことが記されており、設備担当は肩を落とした。
「いっそ冒険者に事情を正直に話せば、村に移住してくれるのではないか」と会計担当が提案した。
しかし書記官は「冒険者が求めるのは、目の前にあるダンジョンだけだ。山に囲まれて利便性も悪く、何の特徴もないこの村に、ダンジョンがなくなった後に留まる理由などない」とあっさり切り捨てた。
ふと、「もう、ダンジョンの主に誰も辿り着けなければいいのにな」と防災担当が軽くつぶやいたのをきっかけに、一瞬の沈黙が部屋を包んだ。冗談のようでいて、冗談ではない。誰もが同じことを薄々感じていた。
今の賑わいはダンジョンに挑む冒険者がいる間だけの一時的なものだ。役人のみならず村のみんなが分かっていた。それでも今まで誰もそれを口にしなかったのは、この村にダンジョンがなければ外から人が来てくれるはずがないという事実から目を逸らしていたからだった。
話し合いは白熱し、「ダンジョンの入口を封鎖するのはどうか」「ダンジョンに関する特産品を作って観光地にできないか」と様々な意見が飛び交った。しかしその度に、書記官が「実現可能性」「予算」「効果」を冷静に指摘し、現実に即した選別が繰り返された。
やがて村人がみな寝静まる時刻を回ったころ、役人たちはひとつの結論に至った。
――やはり、ダンジョンの主の討伐を阻止するしかない。
---
翌日、まだ日が山間から覗いたばかりの頃。朝靄が村を包み、空気はぴんと張り詰めていた。ダンジョンの広場にも人影はおらず、ただ二人、入り口に立つ男たちがせわしなく動き回っていた。
防災担当と設備担当。いずれも役場勤めの男たちで、普段は村の水路整備や備品点検などをしているが、この朝ばかりは違っていた。
二人は何かが詰まった袋やバケツをそれぞれ抱え、足早にダンジョンの中へと消えていった。しばらくして裂け目から出てきたその顔には、どこか張り詰めたような緊張と、淡い期待が混じっていた。
役人たちが自らダンジョンに足を踏み入れるのはこれが初めてだった。これまで百を超える冒険者たちが黙々と挑み続けるのを見守るだけだった彼らが、ようやく行動に出たのだ。
こんな小細工で足止めできますかねえ、と防災担当がこぼすと、隣の設備担当は自信ありげにうなずいた。
太陽が顔を出し始める頃、いつものように冒険者たちが広場に集まりはじめた。鎧を鳴らし、剣を整えながら、和やかに談笑する者もいる。その様子は、日々の営みの一部のようにすっかり村に溶け込んでおり、「今日も頑張って」などと声をかける村人もいた。
しかし、その空気は長くは続かなかった。
数人の冒険者がダンジョンの中へと入っていった直後、突然、妙な叫び声が広場に響き渡った。間の抜けたような悲鳴に、見送りに来ていた村人たちが一斉に顔を上げる。
その中の一人が、鎧を軋ませながら入口から飛び出してきたのだ。顔面は蒼白、腰が抜けたのかその場に尻もちをつき、呼吸を整えるのもままならない様子だった。
村人たちが心配そうに近寄ると、冒険者は震える声でたどたどしく訴えた。「突然何かが爆発するような音がして、そうしたら足元がぬかるんで、滑って…」
言葉は途切れ途切れで要領を得なかったが、彼が異常な体験をしたのは明らかだった。聞けば、何度も潜ったことのあるこのダンジョンで、見たこともないような現象に出くわしたという。起きた現象のひとつひとつは怪我にもならないなんてことない現象ではあったが、その冒険者が想定していたダンジョン内部とは様相が異なっていたということがとにかく衝撃的であった。その影響は思いのほか大きく、すぐにほかの冒険者にも伝搬した。
「ダンジョンの内部が、勝手に変化しているらしい」
そんな噂が、その日のうちに村のあちこちに広まっていった。真偽はどうあれ、冒険者たちの足が、初めてわずかに止まったのであった。
その騒ぎはすぐに役場にも届いた。昼を回るより少し前のことだった。何人かの村人が口々に「ダンジョンが変わったらしい」と騒ぎ立て、興奮した様子で報告に訪れたのだ。
役場の執務室では、数名の役人たちが湯気の立つ湯呑を手に、静かに耳を傾けていた。そして一通りの報告を聞き終えると、誰ともなく顔を見合わせる。沈黙ののち、自然と視線はひとりの男へと集まった。
設備担当は何食わぬ顔で茶をすすっていた。ちらりと目を上げ、わずかに口角を上げると、「上手くいったようだな」とだけ呟いた。
彼はこの村の役場に着任してまだ一年ほどで、役人の中では比較的新参者である。以前は都市部で交通整備を専門にする部署に所属しており、効率性と合理性を追求する技術畑出身の人物だった。
赴任してきた当初は、そんな出自を聞いて誰もが同情した。辺鄙な村に飛ばされてさぞ落胆しているだろうと、同僚たちは哀れむように彼を見たものだった。しかし、当の本人はどこ吹く風で、山に囲まれたこの土地をひどく気に入っていた。
都市出身の彼にとって、この村は人間関係のしがらみや膨大な事務仕事に追われることもなく大好きな機械いじりに没頭できる楽園のような場所だったからだ。空き倉庫を私物の工具で満たし、廃材を集めては独自の装置を作ることに熱中していた。空き時間には古びた井戸の滑車を改良し、水汲みの労力を半分にしたこともある。
昨晩、どうにかしてダンジョンの攻略を阻止しようという方針に定まった時、真っ先にトラップ設置を提案したのは彼だった。
「火薬式の鳥よけ装置を改造して土の下に隠し、足で踏むと破裂音が出るようにした。怪我させる程の火力ではないが、ひるませるだけなら十分だろう」
早朝に設置を終えて帰ってきた後、その仕組みを同僚に説明する彼の顔は無邪気な子供のようにも見えた。
さらに彼は、火薬トラップの周辺に油を撒くよう指示を出していた。音に驚いた冒険者が足を滑らせて転ぶのを狙うためである。まさにその狙いどおりの展開を目の当たりにした防災担当は、設備担当の先見性と知識に舌を巻くと同時に、こんな人材がまだまだ眠っているであろう都市部の役場を、改めて恐ろしく感じたのだった。
数日が経ち、村のダンジョンはいつしか「進化し続けるダンジョン」として冒険者の間で語られるようになっていた。
訪れる者の数こそ最盛期に比べればやや落ち着いたものの、それでもなお、装備を整え、仲間を募って裂け目へと挑んでいくパーティーは後を絶たなかった。攻略の糸口を見つけようと足繁く通う者、話題性を狙って名を売ろうとする者――動機はさまざまだが、そのいずれにとっても、この村はまだ“舞台”としての価値を保ち続けていた。
村の商業施設も、その賑わいに呼応するように活気づいていた。
宿屋は連日満室、食堂は朝から晩まで煙を上げ、商人たちは補給物資を売り込もうと声を張り上げていた。だが、忙しかったのは彼ら表舞台の者たちばかりではなかった。
役場の面々もまた、水面下での奔走を続けていた。
冒険者たちがダンジョンの奥へ進みすぎないよう、役人たちは技術と知恵を結集し、トラップの設置を繰り返していたのだ。罠の設計はほとんどが設備担当の手によるものだったが、その発想の多くは、防災担当や書記官との雑談から生まれることもあった。アイデアを出し合い、図面を描き、部品を削り、夜な夜な裂け目へと足を運ぶ。表からは見えない努力が、村の均衡を保っていた。
トラップを仕掛け始めた当初、彼らの心のどこかに一抹残っていた「冒険者を騙している」という罪悪感は、今やだいぶ小さくなってしまっていた。
そんな中、ダンジョン中盤に入った冒険者たちの間で、ある違和感がささやかれるようになった。
「主の気配がまったく感じられない」というのだ。
本来であれば、魔物の支配者である主が潜む気配――重い魔力の流れや、どこかでこちらを見つめるような威圧感が、中層あたりから漂ってくるのが常だった。しかし、このダンジョンではそれが不自然なほどに希薄だったという。
「ここの主は、そこまで強大な存在ではないのかもしれない」「あるいは、実はまだ最深部まで距離があるのではないか」
冒険者たちのあいだでそんな憶測が広がったが、誰も深くは追及しなかった。
とはいえ、それ以上深く追及する者はいなかった。
役人たちにとって何より重要だったのは、「ダンジョンの攻略が進みすぎないこと」、そして「ほどほどに冒険者が村に滞在し続けること」だったからだ。現状、そのバランスは絶妙だった。むしろ、少しばかりの謎や不気味さがあったほうが、冒険者の好奇心をくすぐるとさえ言える。
こうして、村の広場には再び人の声が戻り、日が昇れば武装した冒険者たちが列をなしてダンジョンへと入っていく。
役人たちの目論見は今のところ、順調に功を奏している――かと、思われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます