ダンジョンのある村

@hiramememe

1話

 昔々、小さな村があった。

 観光するような名所も無ければ、めったに雨が降らないので、外に売り出せるほどの作物も育たない。人口300ほどの村の財布はいつも寒々しかった。


 村の中心にはこれまた小さな役場があった。年老いた村長と役人10人ほどが勤めている。役場とは言っても季節ごとの税の取りまとめや年に一度の収穫祭の準備くらいが主な業務であり、普段はのんびりとしたものだった。

 役場の一角には、いつも湯気を立てる急須と、乾ききった煎餅の缶が置かれており、昼どきともなれば誰からともなく「一服するか」と腰を上げる。

 たまにやってくる相談ごとも、「鶏が畑を荒らした」とか「井戸の水が少し濁った」といったのんきなものばかり。そのたびに防災担当が「任せろ!」と張り切って長靴を履いて飛び出しては、昼前にはすでに煎餅を頬張っている始末だった。

 会計担当は村の苦しい財政にいつも頭を抱えており、「せめて村にひとつでも観光地ができたらいいのに」などとぼやきながら、同僚とともに茶をすするのであった。


 そんな平和で退屈な日々が、この村の「ふつう」だった。


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 「ふつう」が崩されるのは突然のことだった。

 村の中心広場に、が現れたのだ。


 最初に発見したのは、早朝に鶏の様子を見に出た村人の一人だった。

 いつも通り小屋の掃除をしようと家を出ると、何もなかったはずの広場の真ん中に、巨大な岩の塔のようなものが鎮座していたのだ。

 面はなめらかな白い石で覆われ、古代文字のような紋様が螺旋状に刻まれていた。

 塔の下部にはぽっかりと空いた裂け目があり、そこから湿った土と金属の匂いが混じったような冷たい風が吹き出していた。


 役人たちが駆けつけた時には、既に広場は騒然としていた。

 誰もがわけも分からず立ち尽くし、声を潜めて塔を見上げていた。そして、口々に「これは村に降りかかった厄災だ」「この村は呪われてしまったのか」と嘆いた。泣き出す子供を抱きかかえ、家に引き返す者もいた。

 つい昨日まで作物の成長がどうの、井戸の水位がどうのと盛り上がっていたとは到底思えないような空気が、村全体を包んだ。


 古い文献によると、ダンジョンはこうして突然自然に発生することがまれにあるらしい。ダンジョンの奥にはいくつかの財宝が眠っているのが定石で、無事に手にして帰ってきたものは財宝の価値以上の富と名声を得られるのだと、書記官が興奮気味に本をめくりながら語った。

 とはいえ、この村に攻略できるほどの力と体力を持ち合わせたものは一人もいない。村人たちは早くこの騒ぎが収まることを祈り、身を寄せ合って過ごすことしかできなかった。


 何日か経ってどこから噂を聞きつけてきたのか、剣やら鎧で仰々しく武装した者たちが村の外からやってきた。冒険者といわれるその者たちは、ダンジョンを攻略するのだという。それも一人や二人ではない。村にもう一つ集落を作れるほどの数の冒険者が、小さな村に現れた未知なるダンジョンを求めてはるばる山を越えてやってきたのである。


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 冒険者たちは早速広場のダンジョンに歩を進め、空に伸びる塔の先を見つめた。

 彼らは皆、これから踏み入れる未知の迷宮を恐れるどころか、沸き立つ高揚感を抑えきれない様子だった。

 突然現れたダンジョンに恐怖や不安感しか抱いてこなかった村人は、ダンジョンを前に目を輝かせる冒険者に大変驚いた。彼らにとってダンジョンとは厄災でも呪いでもなく、「挑むべき試練」なのである――村人たちは彼らの認識に初めて気づかされたのだった。


 屈強な体を武装で固めた最初の一団が、裂け目に足を踏み入れた。

 そして間もなく後を追うように次の一団、また次の一団と、冒険者たちは闇の中へと消えていった。村人たちは彼らを引き留めることもなく、広場の建物の陰や、道端に身を寄せながら、黙ってその異様な光景を見つめていた。


 太陽が傾き始めたころ、ようやく裂け目の奥から足音が戻ってきた。その音は重く、湿り気を帯びていて、どこか現実味が薄かった。

 最初に現れたのは、六人組の冒険者たち。鎧は泥に汚れ、剣には乾きかけた何かがこびりついていた。疲労の色を隠しきれない顔、足取りは鈍く、まるで闇の底からようやく這い戻ってきたようだった。

 村人たちは息を飲み、誰からともなく視線を交わす。何があったのか。どれほどの深さがあるのか、想像すら及ばなかった。

 冒険者たちは広場を横切り、裂け目から離れた場所に腰を下ろした。しばらく彼らは無言のまま佇んでいたが、仲間たちとぽつぽつと言葉を交わしていた。会話の内容までは詳しく聞き取れなかったが、どうやら何かしらの「手ごたえ」は感じていたようだった。


 一団の一人が、村人に声をかけた。ちょうど近くから彼らの様子を見ていた役人からは会話の内容まで聞き取れなかったが、身振り手振りで彼が伝えようとしていることがなんとなく伝わった。察するに、朝からまともな食事をとっておらず、村に飲食できる場所はないかと尋ねているようだった。

 村人は少し戸惑いながら、広場のはずれにある食堂に案内した。

 その食堂は飾り気のない小さな場所で、普段は顔なじみの村人が集う憩いの場としても使われていた。食堂の主人もまさか異国からの冒険者を客に迎えるとは思ってもおらず、疲弊した彼らが体を引きずり気味に店に入ってくるのを見て驚きの表情を見せた。しかし、すぐに厨房に立ち、黙々と手を動かし始めた。

 しばらくして、焼き目のついたチキンソテーが冒険者たちに差し出される。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに誘われるように、彼らはナイフとフォークを取り丁寧に口に運んだ。一心不乱に食らいつくわけでも、大げさにうまいと喜ぶわけでもなかったが、久方ぶりの温かい食事は彼らの体に染み渡ったようだった。感動と安堵の入り混じった表情を滲ませていた。

 主人はそんな彼らの姿を、厨房からカウンター越しに満足げに眺めた。


 冒険者たちがきれいに食事を平らげて、2度目のダンジョン潜入に向けて会議を始めようとした――のもつかの間、裂け目から戻ってきた冒険者たちが次々と食事を求めて訪ねてきたのだった。

 20程しかない食堂の席はたちまち冒険者で埋まった。食堂の主人は大量の注文に追われ、手を休める暇もなく料理を出し続けた。こんなに忙しいのは何年ぶりだろうかと額に汗を流しぼやく彼は、どこか楽しそうでもあった。


 様子を見に来ていた防災担当の役人は、混雑の隙間を縫うようにして何とか食堂の外へ出た。ふと隣の建物に目をやると、そこにも列ができていた。

 そこは、村に一つしかない宿屋だった。民家を改築した小さな宿で、普段は旅人どころか利用者も滅多にいない場所。その宿の前に、武装した冒険者たちが肩を寄せ合いながら順番を待っていた。

 宿屋の主人がもう部屋に空きがないと詫びると、冒険者は文句を言うでもなく「また来る」と言って村を出た。近くの空き地では、近くに野営の支度を始めるものもちらほら現れ始めた。


 この光景は何日も続いた。

 ダンジョンから出てくる冒険者は後を絶たず、食堂と宿屋は常に人で溢れかえっていた。

 村人たちは相談を重ね、元々は村人向けだった小さな商店や休憩所を、冒険者たち向けに整備することを決めた。食堂の前には臨時の屋台が作られ、温かいスープやパンがふるまわれた。人手が足りない店には、隣町から応援として商人や料理人が呼ばれた。


 急速に活気を帯びていった村の様子を眺め、村長は目を細め頷いた。年々財政が厳しくなる村に比例するかのように弱弱しくなっていた村長にとって、この光景はまるで夢のようだった。

 役場の役人たちにもその明るい雰囲気は伝搬していた。気難しい会計担当は毎日そろばんをはじいては、冒険者による金の流れを細かく帳面に記し、ダンジョンが現れてからの経済効果を熱心に試算していた。村では近いうちに新たに食堂を増設しようという話も持ち上がり、誰もがこの変化を前向きに受け止めていた。

 突如広場に現れてから、村人たちにひどく恐れられてきたダンジョン。今となっては村おこしの象徴として、みなに感謝される存在へと一躍変貌していったのである。


---


 そんなある日、村に知らせがもたらされた。

 ダンジョン内の未踏の最深地点に到達した冒険者がいるという。それは最初に隙間に足を踏み入れた、あの一団のことだった。

 彼らによると最深部は目前であり、まだ見ぬダンジョンの「主」と対面できるのも近いのだという。

 食堂や宿屋を通してすっかり顔なじみになった冒険者たちの活躍を、村人たちはまるで自分のことのように喜び、互いに手を取り合った。

 役人たちもその報告を聞いて顔をほころばせたが――その中でただ一人、会計担当にはひっかかる点があった。彼女は胸騒ぎを覚え、すぐに書記官のもとを訪ねた。


「ダンジョンの主が討伐されたら、その後はどうなるのですか」

 そう問いかけた会計担当に、書記官はしばし沈黙し、やがて顔色を変えた。文献の山をひっくり返すようにして、冒険者たちが村に来てからどこかへ置きっぱなしにしていた古い書物を探し出した。

 そこには、ダンジョン攻略後に関する記述がかすかに残っていた。

 書記官はページをなぞり、声を落として読み上げた。

「ダンジョンの主が討伐され、いなくなると――数日以内にダンジョンごと消滅する」


 一瞬、空気が止まったようだった。

 書記官と会計担当は顔を見合わせ、同時に蒼白となった。やがてその情報は役場中に広まり、役人たちはざわつき始めた。


 ダンジョンが消える。つまり、冒険者も村を去る――。

 村の繁栄の源が、消えてなくなるという現実が、静かに、しかし確実に、役人たちの心を揺さぶっていた。

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