第4話 今宮と桜子

今宮は、突然変わった景色を冷静に分析していた。


「常世、か?」


死者の国。人でないものが暮らす国。普通は生きた人間が入れるわけがないところだと、今宮は知り合いから聞いていたのだが、


「十中八九、神のせいだな」


ため息をついていると、クロが今宮の顔を覗きこんでくる。


「ん、大丈夫だ。とにかく出口を探そう」


今宮が頭を撫でると嬉しそうに体を巻き付けた。


その時、ヒュッと何かが今宮の腕をなでる。

次の瞬間、今宮は激痛を味わった。


「っ!?」


二の腕のあたりにざっくりと切り傷ができている。


「ケケケッ!ニンゲンだ。久しぶりの生きたニンゲンだ。どう歓迎してやろう」


今宮が振り返るとそこには少女の姿をしたケモノがいた。耳と尻尾を生やし、着物を着ている。しかし腕は鎌の形になっており、眼は血のように赤かった。

そして言っていることがとても物騒だ。今宮はすぐさま逃げることを選択した。


「逃げるのか、逃げるのか。追いかけっこダナァ!」


今宮が走り出すと同時に、少女も走り出す。

その時、クロが苦しそうに頭を振った。禍々しいオーラもより一層濃く、強く出る。

今宮は体の重さと尋常じゃない寒気を感じながら、クロに言い聞かせる。


「ぐっ……落ち着け、クロ」


それでもクロは苦しそうに頭を振る。追いかけてくるなにかを、クロの強くなったオーラを浴びながら逃げるのはかなり難しい。これも髪のせいだな、と今宮は小さく舌打ちをした。それでもやるしかないと今宮が決意を新たにしたとき、その声は聞こえた。


今宮の頭の中に声が響いた。少年のような、それにしては芯の通った声で。


『お前の走っている通りをまっすぐ行くと、赤い鳥居がある。そこまで来れたら願いを聞いてやろう』


その言葉を聞き、今宮は力強く走り出した。



—・-・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


桜子は足音のする方へ振り返る。

そこには、白装束を着た少年が立っていた。深い青色の瞳に、髪は腰まで伸びている。その髪の白から薄い青へのグラデーションを見て、桜子は驚くでもなく、ただ綺麗な人だと思った。


「こうして会うのは初めてじゃの、桜子」


そう言って笑う少年に、桜子は謎の威厳を感じた。この少年に逆らうべきではないというそんな気持ちにさせてくる。それでいて懐かしさも感じるのだからおかしな話だと桜子は苦笑する。だから、桜子はその少年を龍神様だと信じて疑うことはなかった。


「龍神様……ですよね?」

「いかにも」

「初めまして、ではないと思いますけど。代々木桜子です」

「私は澪だ。こうして目を合わせて会えたこと、嬉しく思う」


二人はそうして、あまりにもあっさりと、特に衝撃的な一幕があるわけでもなく出会ったのだった。


和やかな雰囲気が周りを包んだものの、桜子も今宮のことを忘れてはいない。

穏やかに微笑む澪に問いかけた。


「えっと……今宮様が消えてしまったのは、澪様のせいでしょうか?」

「ああ」

「どうしてそんなことをしたんですか?」


本当に取って食うつもりだったらどうしよう、と一抹の不安がよぎった桜子だったが、澪はそんな心配を吹き飛ばすように笑った。


「大丈夫さ。とりあえず座って話そうかの」


そう言うと桜子の手を取り、軽やかに泉の真ん中にある社へ向かった。

ぴちゃんぴちゃんと桜子の足は水には沈まず、水の上を歩いていく。

それを不思議に思いながら、桜子は社へ向かった。


「桜子は、私がどうやって生まれたのか知っておるか?」


社の縁側に座り問いかける澪に、桜子は困惑しながらも答える。


「え?……確か昔、この町で災害が続いた時に生贄をこの泉の中に捧げたんですよね。生贄の方が泉へ飛び込むときにとんだ水しぶきから澪様が生まれた、と真白さんから聞きましたけど」

「うむ、良く知っておるの。正解じゃ」


何の話だろうか。桜子が首を傾げると、澪は可笑しそうに笑った。


「つまりな、私はこの町の人々のために生まれたんじゃ。そんな私が他所から来た人間を助ける義理はないという訳だ」

「なるほど……」

「だが、せっかく桜子がここまで連れてきたのじゃからな、試すことにしたんじゃよ」

「試す?」


何を、と思った桜子に、澪は底冷えするような冷たい笑みを浮かべる。

桜子はそのぞっとするほど冷たく美しい笑みに恐怖が込み上げるとともに、「この人は本当に人ではないんだな」とすとん、と自分の中で何かが落ちるのを感じていた。


「この泉の水面を見てみるといい」


その言葉に恐る恐るといった風に泉をのぞき込んだ桜子は、目を見開いた。

水面には、今宮が『なにか』たちに襲われ、逃げている姿が映し出されていた。


「だっ……大丈夫なんですか!?怪我してますよ!?」

「なに、死にはしないさ。その前に助けはするからの」


楽しそうに笑う澪に、桜子は若干の危機感を覚えた。澪はちゃんと引き際は弁えているかもしれないが、死ぬ一歩手前でやっと助けるかもしれない。このままにしておくと、危険だ。そう感じた桜子は、澪の手を掴み、言った。


「なにか彼の為に私が出来ることはないんでしょうか?」


その言葉に澪はふむ、と何かを考えるようなそぶりを見せ、ぐいっと桜子に顔を近づけた。


「あの男に何かしてやりたいのか。何故じゃ?」


探るような視線に、桜子はきっぱりと言った。


「だって、かわいいじゃないですか、クロ。私はクロのことをよく知りませんけど、呪いが解けてほしいと思うぐらいにはかわいいと思ってるんです」


桜子は思っていた。クロがかわいいと。今宮から呪いについて聞いた時もあんなにかわいい生物が呪いで苦しむのは見たくないと、そう思っていた。


「それに、私は今宮様の願いを手助けしたい」


それに、桜子は今宮のことを尊敬していた。一匹の生物のために、長い時間を費やすことが難しいのは桜子もよくわかる。一つのことに長い時間向き合うのはなかなかに難しい。

桜子の正直な答えに澪は目を丸くして、それからお腹を抱えて笑い出した。


「っふふ、ははははは!!かわいいときたか。桜子はあの『呪われ子』がかわいいと思っているのじゃな」


澪の止まりそうにない笑いに、桜子は少しだけムッとしたような顔になった。


「助けたい理由がそれじゃだめですか?それに、ちゃんと今宮様のことも心配しているんですからね!」

「わかっておるよ。……そうじゃなぁ、なら桜子にも頑張ってもらおうかの」


その言葉を聞き嬉しそうにする桜子を、澪は微笑ましそうに見つめていた。


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