第4話 クローズドガーデン

 今夜の私は、いつもより気持ちが軽やかだった。

 今日一日で何かが変わったような、そんな予感がしている。

 青い鳥さんを見つけると、私は自然と声が明るくなる。


「青い鳥さん!来てくれたんですね」


 私の声には安堵が混じっていたと思う。


 ここはクローズドガーデン。十四歳未満の子どもたちだけがアクセスできる秘密の仮想空間。いつ、誰が作ったのかわからない広大なサーバー空間。ここでは誰も本名を名乗らず、現実の姿も明かさない。だからこそ、私は本音を話せる。


「今日の小テスト、散々でした……」


 私は青い鳥さんの前に座り込んだ。


「どうしたの?」

「三角関数が全然わからなくて。明日再テストなのに」


 うちの学校は高度サイエンス教育実験校とやらに指定されているので、理数系の進度がとにかく速い。普通なら高校生で習うような内容がどんどん授業に出てくるのだ。

 大げさにため息をつく私に、青い鳥さんは優しく声をかけてくれた。


「ふうん……手伝おうか?」


 内心期待していたその言葉に、私は目に見えて明るくなる。


「本当ですか? 助かります!」


 約一時間、青い鳥さんに数学を教わる。彼(?)の解説は明快で、例え話を交えながら難しい概念をかみ砕いて伝えてくれる。学校や塾の先生たちよりずっとわかりやすい。


「そうか! こういうことだったんですね! 青い鳥さんの説明だと本当にわかりやすい」


 私は喜び勇んで飛び跳ねた。


「よかったよ。僕は数学だけは得意だから」

「え? 青い鳥さんにも苦手があるんですか!? 私、社会得意ですよ!今度教えます!」


 学習が終わり、私たちはガーデンの中心にある大きな樹の下で雑談を始めた。今日起きたことを話したくて仕方なかった。


「最近、変な人に会ったんです」

「変な人?」

「はい。私が……ちょっと弱音を吐いていたら、偶然聞かれちゃって」


 恥ずかしさで声が小さくなる。


「でも、その人は変な顔をしなかったんです。普通なら〝完璧な私〟が弱音を吐いてるところなんて見たら、絶対にびっくりするはず」

「へえ、〝完璧〟な星の子さんにも弱みがあるんだね」


 青い鳥さんが優しく笑う。


「現実の私はいつでも〝完璧〟じゃなきゃいけないんです。でも、本当はぜんぜんそんなことなくて……」

 声が沈む。ここでしか言えない本音だ。


「ねえ、青い鳥さん。あなたは現実世界ではどんな人?」

「僕? ……ごく普通の、目立たない人間だよ」

「うそ! 絶対にかっこいいはず」

「どうしてそう思うの?」

「だって、こんなに頭がよくて、優しくて……」


 私は手をぱたぱたと振りながら力説する。でも青い鳥さんは小さく笑っただけだった。

 と、そこに桜色のウサギ型アバターが飛び跳ねながら近づいてくる。


「星の子! 青い鳥! こんばんは」

「あ、桃色うさぎちゃん、こんばんは」 


 私は手を振った。


「二人とも、なにしてるの?」

「さっきまで数学を教えてもらってたの」

「いいなぁ。私も青い鳥先生に教えてほしい〜」


 桃色うさぎが甘えた声で言う。


「先生なんかじゃないよ」


 青い鳥さんが照れた様子で否定していた。かわいい。

 すぐに他のアバターたちも集まってきた。緑のカエル、赤いキツネ、黄色い蝶……色とりどりのアバターたちが大樹の下に集まり、輪になって座る。


「みんな、グラジュエーションについてどう思う?」


 赤いキツネが突然尋ね、場の空気が一瞬凍りついた。これは誰もが避けたい話題だった。


「やだー、考えたくない〜」


 黄色い蝶がだだをこねるようにパタパタと飛び回る。


「でも避けられないよね」

「私のお姉ちゃん、泣きながらログアウトしたって」


 次々と不安な声が上がる。

 私も沈黙していた。あとひと月とちょっとで十四歳。グラジュエーションを迎えれば、もうここには来られなくなる。青い鳥さんとも会えなくなる。


「グラジュエーションって、なんで十四歳なんだろう?」


 みんなの声に私が疑問を投げかけた。


「大人の社会に入る準備ってことじゃないかな?」


 青い鳥さんが穏やかな声で答える。


「でも、日本の成人は十八歳でしょ?」

「法律上はね。でも僕の祖父は言ってたよ。『心の成長には段階がある。だれも一足飛びには大人になれない。だから、脳の働きが大人型に変わり始める十四歳で一度区切りをつけることで、自分自身を見つめ直す機会にするんだ』って」

「おじいさまが……素敵な考え方ね」


 私は青い鳥さんの言葉に感心した。彼は祖父をとても尊敬しているのだろう。


「でも、ここでの友達と会えなくなるのは寂しい。向こうにもこんな素敵な場所があればいいのにね」


 桃色うさぎが小さく鼻をすする音を立てる。

 確かに、この〝クローズドガーデン〟は不思議な空間だ。私たちは中学に入学したと同時に先輩や友達に誘われて自然とここに集うことになった。現実での色々を忘れてありのままの自分を出せる場所。でも、誰が作ったのか、誰が保守しているのか、そんな基本的な事が何もわからない。それに、大人達のネットワークにはこの空間に繋がるゲートはない。たった二年間だけの、大人になりかけの子供たちだけが訪れることを許された守られた箱庭ガーデン


「そうだね。でも、また別の形で繋がることもあるかもしれない」


 青い鳥さんの言葉に、みんなが静かに頷いた。希望と諦めが入り混じる複雑な気持ちがその場に漂った。


◆◆


「青い鳥さん、あのね」


 みんなが立ち去った後、再び青い鳥さんと二人だけになった私は、少し照れくささを感じながら話し始めた。


「明日、ちょっとした冒険にでかけるの」

「冒険?」

「うん。あまり詳しくは言えないんだけど……私、普段なら絶対やらないようなことをすると思う」


 青い鳥さんは興味深そうに頷いた。


「それは楽しみだね。星の子さんは冒険好きだったんだ」

「ううん、そんなことない。本当は怖がりなの。でも……」


 言葉を続ける。


「でも、本当の自分を見つけたいの。〝完璧な私〟じゃない、素の私を」

「それは素晴らしいことだと思うよ」


 青い鳥さんが優しく答えてくれる。その言葉がとても心強かった。


「ねえ、青い鳥さんは……現実世界で何か秘密持ってる?」

「秘密?」

「うん。みんなに言えないような……」


 青い鳥さんは少し考え込む様子を見せた。


「そうだね……実は明日、大切な場所を訪ねる予定なんだ」

「へえ! 偶然ね」

「祖父の遺したものを探しに行くんだ」

「お互い、明日は特別な日になりそうね」


 嬉しそうに言う私に、青い鳥さんが微笑む。


「そうだね。お互い無事に冒険を終えられたら、また明日の夜ここで会おう」

「約束ね」


 私たちはガーデンの中を散歩しながら、他愛のない話を続けた。星座の話、好きな本の話、将来の夢……。

 現実では決して出会うことのない私たち二人が、このデジタル空間では心を開いて語り合える。


「あっ、もう時間だ」


 柔らかなチャイムがガーデン内に鳴り響き、青い鳥さんが空の時計を見上げる。


「明日に備えなきゃ」

「そうね。私も」


 名残惜しそうに、お別れの準備をする。


「じゃあ、明日の冒険、頑張ってね」

「青い鳥さんも。無事に見つかるといいね、おじいさんの遺産」


 青い鳥さんは大樹の下で小さく手を振った。


「おやすみ、星の子さん」

「おやすみ、青い鳥さん」


 私たちのアバターが淡く光を放ち、消えていく。


◆◆


 朝日が差し込む窓辺で、私は制服の襟を整えていた。鏡に映る自分は、完璧な輝城亜佳莉。でも、内側は甘えん坊で臆病な〝星の子〟。

 私はゆっくりとクローズドガーデンでの青い鳥さんとの会話を思い出す。二人とも今日は特別な冒険をする日。不思議な偶然だ。


 ダイニングに降りていくと、父はいつものように黙々とタブレットに目を通している。経済ニュースをチェックしているのだろう。


「おはよう、パパ」

「ああ、おはよう亜佳莉。昨日の進捗はどうだった?」

「順調です。リサーチは予定通り進んでいます」

「そうか。学校の方は?」

「特に問題ありません」

「数学のテストはどうだった?」

「96点でした」


 父はタブレットから目を上げ、かすかに眉を寄せる。


「96点か……少し低いな」

「すみません。次は頑張ります」


 96点で「低い」と言われる現実。私は微笑みを絶やさないよう、意識的に口角を上げる。


「あ、今日は放課後、調査があるので遅くなります。プレゼンの準備です」

「そうか。あまり遅くならないように。せめて19時までには帰宅しなさい」

「はい、わかりました」


 父は再びタブレットに目を戻す。この会話は、毎朝のルーティンのようなもの。心の中の〝星の子〟は大声で叫びたいのに、「輝城亜佳莉」はただ従順に笑顔を浮かべる。


 食卓を離れる際、父が不意に言った。


「亜佳莉」

「はい?」

「無理はするな」


 一瞬、父の目の奥に何か感情が宿ったように感じた。でもすぐに何を考えているのかわからない無表情に戻る。


「はい。ありがとうございます」


 玄関の手前で、私は決意を固める。


「さあ、ここを一歩出れば、私は璧な輝城亜佳莉。私は誰にも負けない。誰にも弱みは見せない」


 それは呪いの呪文。この言葉を唱えなければ、私は外の世界に一歩も踏み出せない。


 でも今日は少し違う。科学館という未知の空間で、架原くんという謎めいた少年と過ごす時間。そこでは「輝城亜佳莉」ではない自分になれるかもしれない。そんな期待に胸が高鳴った。


 朝の柔らかな日差しを浴びながら、私は学校への道を歩き始めた。今日という日が、何かの始まりになる予感がしていた。

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