第3話 科学館と言えない言葉

「さて、これでいいわ」


 アカリは個室のインターホンで手早く飲み物と料理の注文を済ませ、ぼくの手を引っ張って強引に自分の隣に座らせた。


「ごめんね。カフェだと誰が聞いてるかわからないし、この話はうちの会社の内部情報でもあるから」


 なぜあの場で話さなかったんだろう、と思っていたが、話の内容によって慎重に場所を選ぶあたり、さすが社長令嬢という感じがする。

 ぼくとしては、アカリと一緒に街を歩くところを誰かに見られないか、そっちの方が大問題なのじゃないかとおもったのだが、そっちはアカリ自身まるで気にする素振りを見せなかった。


「さあ、じゃあ歌うわよ、選んで」


 そう言ってマイクと選曲用のタブレットをぼくに押しつける。


「え、ぼくはいいよ」

「そうは行かないわ。じゃあ何のためにカラオケに行ったんだって思われるから、ほら早く」

「あっ」


 彼女はぼくの反論を無視して一連のコードを手早く打ち込むと、マイクを構えてさっと立ち上がる。


「じゃあ、最初は私からね。順番だから次はハルトよ」

「えっ!」


 有無を言わせず歌い出したのは、ある若手アーティストのヒット曲。アニメ映画の主題歌にもなったためハルトにも聞き覚えがあったが、超難曲と呼ばれるそれを難なく歌いこなすアカリにぼくは内心驚きを隠せなかった。


「凄いなアカリ。カラオケなんか来たことないって感じなのに」

「ええそうよ。実際に来たのは今日が初めて。初心者よ」


 驚くぼくに、アカリは当たり前のようにそう言って頷く。


「え、でも、あんなに上手に……」

「カラオケなんだから、機械さえあれば練習はどこでもできるでしょ」

「どこでも?」

「ええ、現にウチにもあるし」


 それは初心者じゃないのではないかと思う。

 一方、友達のいないぼくもカラオケなんて初めてだ。音楽の授業以外で歌を歌ったことなんか生まれて初めてだった。メディアで何となく聞き覚えのある曲に挑戦してみたのはよかったけれど、さんざんキーを外して大笑いされた。

 そんな調子でお互い何曲かずつ歌い、ジュースとピザが届いたところで休憩することになった。

 おたがい無言のままもくもくと食べ、歌で火照った身体が冷えたところで、アカリは小さくため息をついて顔を上げた。

 そのままジュースの残りをずずっと吸い上げると、コップに残る氷をじっと見つめながら口を開く。


「私ね、実は次期社長候補なんだ。輝城テクノロジーの」

「は?」


 思わず声が出た。


「でも、アカリはまだ中学生だよね?」

「そう。でも父は本気よ」


 彼女の声はどこか遠くを見ているようだった。


「来月の終わり、取締役会で私が発表するプレゼンテーションが設定されてるわ。テーマは〝中高生向け次世代シンクの新機能提案〟だって。父は『亜佳莉なら完璧にやってくれる』って。十四才になってグラジュエーションを迎えたら、本格的に後継者教育も始めるとも言われた。でも」

「それって……」


〝グラジュエーション〟

 それは卒業を意味する英単語だけど、ぼくらにとっては別の意味を持つ。

 ぼくらのシンクは、十四才の誕生日までは大人の使うネットワークとは別の子供専用ネットワークに繋がっている。悪意のあるプログラムや教育上よろしくないとされるさまざまなコンテンツから守られた、子どものための安全、安心な電脳空間だ。でも、十四才の誕生日を迎えると、ぼくらのアカウントは守られたネットワークを卒業し、大人たちも使うむき出しの電脳空間せかいに移動する。年配の親たちは〝デジタル成人式〟って言い方をすることもある。


「私は父の期待を裏切れないわ。輝城家の娘として、常に完璧じゃなきゃいけないことはちゃんと理解しているの。でも、時々息が苦しくなって、ものすごく怖くなって……だからこの前、保健室であんな」 


『恐らく、一種のパニック発作ですね。重圧に耐えかねて、心が悲鳴を上げたのでしょう』


 ソラが耳元でささやく。


『体調に悪影響がある上、前触れもなく突然強い不安や恐怖に襲われます。このまま放置して良い物ではありません。ハルト、アカリに医師のカウンセリングを受けるよう勧めるべきです』


 ぼくは頷くと、ソラの提案をどう彼女に伝えようかと考える。

 でも、アカリは一瞬のぞかせた弱々しい表情をすぐに覆い隠し、強気な微笑みでぼくを見た。


「どう? 誰にも話したことない特大の秘密。ハルトにもそれなりの対価を期待するわ。そうじゃないとバランスがとれないもの」


 何だかだまされたようにも感じながら、ぼくは深呼吸した。このことを他人に話すのは初めてだったから、アカリがどんな反応をするか予想もつかない。


「実は、ソラは特別なAIなんだ。たぶんぼくの祖父も開発にかかわった完全オリジナルの人工知能——」

「完全オリジナル!?」


 アカリの瞳がキラリと光った。


「そう。ソラはクラウドに一切頼ることなく、単体スタンドアロンで動作するんだ」

「は? 一体どうやって? そんなことが可能なの?」


 アカリが驚くのも無理はない。人工知能が処理すべき情報は膨大すぎて、ぼくらが身につけている小さなシンクではとても処理しきれない。だからシンクはネットワークを利用して、巨大な建物に収められた遠方のサーバーといつも繋がっている。というか、シンク単独で担うのは音声や映像を利用した基本的なやりとりだけで、実際に計算したりものを考えたりするのはすべて外部にあるサーバーなのだ。


「わからない。でも、ある場所にその謎をとく鍵があるんじゃないかと考えてる」


 話しながら、ぼくはどこかのビル街の風景が流れているモニターに視線を移す。アカリはぼくの視線を追いかけて身体をひねり、ガラス張りの高層ビルを目にして気づいてはっと息を飲んだ。


「まさか、山頂の科学館? でもあれって廃墟——」

「うん、ぼくらが生まれて間もなく閉館したってね。実際に使われていたのはたったの十年くらいらしいよ。でも、最近になって、輝城テクノロジーがあの土地を建物ごと買い取ったってニュースを知って……」

「それは確かに……ねえハルト、何を考えているの?」

「うん」


 ぼくは頭の中を整理しながら慎重に言葉を口にする。


「アカリ。君に改めてお願いがある。ぼくはあの科学館に入りたい。調べたいことがあるんだ」

「それはまあ、できると思うけど。ハルトは秘密の共有だけじゃ足りなくて、私に悪事の片棒まで担げって言うの?」

「悪事?」


 ぼくは目を剥いた。


「いや、別に泥棒しようってわけじゃない。ちょっとあの中に入ってみたいだけなんだけど。どう?」


 アカリは少しだけ考える素振りを見せると、やがてもったいぶった仕草で大きく頷いた。


「だったら新しい契約をしましょう。私はハルトの悪巧みを手助けする。その代わり、ハルトは私のプレゼンを手伝うの。それでバランスが取れるでしょ? どう?」

「えぇ? でもぼくはアカリとは違う。平凡な中学生だよ。君が期待するような働きは——」

「あなたの頭には最初から期待してないわ。あなたのAI、ソラの協力が欲しいの。他と違う独自のAIなら、私のシンクじゃ思いつかないような凄いアイディアを出せるんじゃない?」

「えー、どうだろ? ソラ」


 ソラは一瞬沈黙し、ぼくの耳元でだけ小さくささやくと、続いてアカリにも聞こえるモードで晴れやかに同意の声を上げた。


『お任せ下さい。きっとアカリさんの期待に応えられることと思います』

「そう、ありがとう、ソラ」


 嬉しそうに笑うアカリの顔を見やりながら、ぼくはさっきソラがつぶやいた一言が気になっていた。


『ハルト、意外ですがアカリは〝悪巧み〟という単語に肯定的な反応を示しています。もしかしたらそこに彼女を救う鍵があるかも知れませんよ』


 ソラは確かにそう言った。

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