「あの、ゆめ」
カッコー
第1話
あの夢を見たのは、これで9回目だった。でもそれが本当に9回目なのかどうかは、実のところ解らない。何故なら僕はその夢を見るときには、夢の中でまた夢をみてしまうからだ。その夢は、他人の夢を覗いてでもいるかのようだった。だから本当のところは自分では解らない。いったい何回くらい、僕はあの夢を見たのだろう。それを誰かに聞く訳にはいかない。そもそも僕の内側ことなのだから。どうしてあの夢に、そんなにまで捕らわれてしまうのだろうか。僕はあの一瞬に起こったことをはっきりと自覚することができないでいる。でも感じとして僕は解っている。それはいきなり僕の肺が水で満たされたような、僕の頭蓋骨の中に大きな腫瘍のような塊が住み着いたようなそんな感じだ。そしてその重さは、すべての悲しみの孤独のようだ。
その日の朝、僕はなんとなく不穏な空気を感じながら電車から降りた。大学は革マルの学生たちに占拠され、授業は見通しのつかない休講となっていた。電車を降りるとすでに道路では学生たちと機動隊の小競り合いが始まっていて、とても大勢の野次馬で溢れていた。学生運動ももう先は見えていたにもかかわらず、僕のこの大学では遅すぎる春を、あるいは不毛な冬を待っているようだった。僕はそれを見ると早々とその場から立ち去った。くだらない光景を見るのに耐えられなかったからだ。私立の大学の革マルの連中は警察に追われ、仲間割れしながらバラバラになって逃げていた。ひとりになると、聞き分けのいい猫のようになり、社会の中にひっそりと溶け込んだ。そんな彼らの真実は、強風に吹かれる羽毛のように宙に舞った。社会批判し続けた彼らもまたその社会と同じ道を辿っていた。否見る限りそれは、ずっと酷いコミュニティだった。僕は急に人混みに接したくなった。それでなんとなく新宿で電車を降りた。改札を出るとやはりくだらない光景が目の前にあった。でもここでのくだらなさはすでに結果なのだ。
あいつらはこれを求めるためにあんなに必死になっている。見てみろ、この街を、みんな必死で歩いているけれど、その足どりはあんなにも重く、まるで道を憎んででもいるようだ。無表情で同じような顔つきをして、流れのままに流されている。僕はその流れを遡りながら歩いた。誰彼無しに肩や腕がぶつかった。僕の肩に下げた鞄が左右に飛んでずれた。たまに非難するような声がした。ぶつかった後、邪魔だと言う怒鳴り声が何度かした。それでも僕はその中を歩いた。死に絶えたような人間の吐く息は軽く臭かった。僕は息苦しくなって顔をあげた。僕は行く先に映画館を見つけてその前で立ち止まった。立ち止まったままの僕の傍らを、人の波は無言で過ぎ去った。
二つの映画館があった。ひとつは恋愛ものの洋画で、もうひとつは日本の戦争映画を上映していた。僕は恋愛ものを見る気分ではなかったから、日本の戦争映画の方へ入った。場内へ入ると暗さに目が慣れるまでしばらく掛かった。スクリーンの明るさがとても暗いものだった。1回目の上映の途中から入ったので、僕は何となくスクリーンを観ていた。どうやらシーンはアメリカ軍の日本人捕虜収容所の中の食堂のようだった。粗末なテーブルの下の手がアップされた。その薄汚れた手が、何かメモのような紙切れを手渡ししていた。最後の日本人捕虜がそれを読むと、その紙切れを丸めて口に入れて飲み込んだ。そして慌てて水で流し込んだ。その日本人捕虜は太っていた。何人かの日本人捕虜たちの目がアップされて、その異様な決意が見て取れた。僕は目が慣れてきて、座席の空き具合がよく見えた。観客は数えるほどしかいなかったけれど、皆年配の男性たちだった。僕は前の方の端の席に座った。映画はもう後半を過ぎていた。これからクライマックスへ入ってゆく。僕は次の回を始めから観るつもりでいたから座席に深く座り目を閉じていた。スクリーンからは声だけが聞こえていた。
複数の靴音が金網か何かをよじ登る音がした。急ぐんだと言う押し殺した声の後、次々と飛び降りる音がした。するとサイレンが急に鳴り出し、何発もの銃声が聞こえた。
「曹長どの、足を撃たれました」
「おい誰か、手をかせ」
「申し訳ありません」
「なに、俺たちは仲間だ」
森の中を急ぎ行くような足音と、外国人の怒鳴り声と、銃声とがしばらく続いた後、曹長どの、このままではみんな捕まってしまいます。私を置いて行ってくださいと、どうやら足を撃たれたらしい兵隊が呻きながら言った。僕は、何の気なしに目を開けた。それはあの紙を丸飲みした太った兵隊だった。脱走した兵隊たちが集まったが、どうやら皆はその兵隊を残して行くと決めたようだった。そして別れがきて、皆が走り去ろうとした時、敵から身を隠すようにしていたその太った負傷兵を、立ち止まった曹長が後ろから頭を拳銃で撃ち抜いたのだ。僕はその時、丁度その曹長の目を見ていた。カメラがその目をズームした。その目はどんどん大きくなって行った。そしてスクリーンからはみ出し始めた。それでも目は大きく膨れて行き、やがて僕はその中に含まれてしまった。急に涙が溢れて来た。それはとても不思議な感情だった。憎しみでもなければ悲しみでもない。また怒りでもなければ刹那さでもなかった。ただ涙がかってに溢れ続けた。僕の中にこんなに涙があったのかと思うほど涙は溢れ続けた。僕は思い余って席を立った。席を立つと、僕は映画館の中にいた。僕はそのまま映画館を出た。もうその映画を観る気持ちはなくなっていた。僕はその日から昨日まで、続けて8日間その夢を見続けていた。彼のその目の中に、その目の奥に僕が住んでいるみたいに。
「あの、ゆめ」 カッコー @nemurukame
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