6 秋葉原・ハンバーガー屋 ❷

「そういえば、今日かよちんは?」

 食べ終えたバーガーの包み紙は小さく折りたたまれ、脇に寄せられたトレイの上におもむろに置かれている。大役を果たした主役はステージ脇に下がり、ここからは中堅のナゲットとポテトにスポットライトが当てられた。

「花陽にさっきメールを送ったけど、今日は生徒会が終わりそうにないって」

「なんだぁ。久しぶりに会えると思ったのに。かよちんとも最近ゆっくり話してないにゃぁ」

「二年生になってクラスも離れちゃったしね」

「むむぅ……」

 凜がじぃっと真姫を見つめる。先ほどから食べるペースが落ち着いたのか、よく目が合う。

「何よ」

 指についたポテトの塩を真姫はこまめに紙ナプキンで拭き取るが、凛はポテトを口に入れたときに指ごと舐めてしまう。

「アイ研で起きた問題って、いったい何にゃ?」

 真姫はゆっくりとアイスティーを一口、確かめるように飲んでから、少しだけ凛の方へ身を乗り出した。

「アイ研は廃部になるかもしれない」

 凛はポテトをくわえたままキョトンとした目を真姫に向けた。

「廃部……何でにゃ」

「知っているとは思うけど、アイ研は今年の四月から今に至るまで活動らしいことは全く何にもしてこなかったでしょう?見かねた理事長が、このまま活動をしないのであれば廃部を検討する、と言っているらしいのよ」

「らしい?真姫ちゃんが直接聞いた訳じゃにゃいの?」

「さっき部室で花陽に聞いたわ」

 凛は再びむむぅと呟くと、右肘をついて考え込んだ様子である。つまんだポテトを口に運ばずに怪訝な顔でそれを睨んでいる。

「だったら、しょうがないにゃ」

 ようやくポテトがポイっと口に運ばれた。

「しょうがない、って何よ」

 真姫は持っていたアイスティーのカップを置いた。トンという乾いた音がした。

「理事長には逆らえないにゃ」

「そういうことじゃない。アイ研が無くなっても凛は構わないの?」

「そりゃ寂しいけど——」

「けど、何よ」

「けど、現状のアイ研はあってもなくても同じにゃ。だってにゃーんにもしてなにゃいんりゃから」

 噛んだわね、と真姫は思った。

「何もしてこなかった責任は私たち二年生部員にあるわ。凛、あなたは部長でしょう?」

「……好きで部長になった訳じゃないもん」

 ぷぃっと凛は横を向いた。

「かよちんがどうしてもって言うから、仕方なくだもん」

 アイ研の部長は当初、花陽がなるはずだった。

 しかし、穂乃果が学年が変わるタイミングで花陽を生徒会に引き込んだ。

 部長と生徒会の二足の草鞋に不安を感じた花陽は、アイ研の部長を辞退することを条件に生徒会を引き受けることにした。代わりに部長になったのが凛だった。

「仕方なくとはいえ、自分で引き受けると決めたんでしょう?それなのに今の今まで何もしなかったのは無責任よ」

「そういう真姫ちゃんだって何もしてないじゃん」

「私は夏休み中、頻繁に部室に顔を出したわ」

「部室に来てただけでしょう?どうせボーッと窓の外でも眺めていたんじゃないの?」

 図星であった。

「真姫ちゃんは知らないから好き勝手に言えるんだよ。ゴールデンウィーク明けのアイ研は大変だったんだから!」

 一学期のアイ研の事情を真姫はほとんど知らない。というのも、真姫は四月から七月までアイ研の活動に全く関与していなかった。

 なぜか。その理由は真姫の、正確に言えば西木野家特有の家庭の事情にあった。


 真姫の両親は医者である。

 それは、花粉症のシーズンでもさほど待たずに内服薬を処方してくれる人気のない耳鼻科医院でもなく、美人の歯科助手を沢山揃えた痛くない治療が売りの駅前ビルの歯科クリニックでもない。

 真姫の母、西木野真澄は医療法人昇陽会西木野総合病院の院長であった。

 西木野総合病院は病床数九百以上。民間の病院でありながら大学病院と同等の設備とスタッフを揃えた特定機能病院だ。

 「的確、最先端、待たせない」をモットーに地域に根付いた医療を展開し、地域住民からの信頼は厚い。

 母、真澄は医者ではあるが、どちらかというと経営の手腕を評価され院長の地位を得た。

 真澄の父、つまり真姫の祖父である昇陽会会長西木野弘和は、娘可愛さを理由に地位を与えるような浅慮な人ではなかった。

 真澄は青春時代の大半をノルウェーで過ごした。そのまま現地で医療の世界に飛び込み、北欧式医療サービスのノウハウを徹底的に叩き込んで帰国した。

 弘和は娘の才を知っていた。それは実直な二人の兄には無い経営の才であった。

 帰国後の真澄は北欧で学んだ地域医療サービスを日本国内で実践すべく奔走する。彼女が特に注力したのがヘッドハンティングだった。

 日本の医療水準は設備も仕組みも世界的にトップレベルだが、人材の不足が医療界全体の長年の課題だった。

 病院経営において良質なスタッフの確保は成功への重要な布石である。要はどこよりも先に腕のいい医者をかき集められれば勝者なのだ。

 真澄はまず各大学病院から腕の立つドクターを好条件で引き抜いていった。

 それだけでも病院の質は上がるが、集めた超一流のスタッフで、今度は若手人材育成チームを形成した。これにより優秀な医者が常に一定数確保できる仕組みを作り上げたのだ。

 真澄が二十七歳の時、啓立大学医学部附属病院に在籍していた若く優秀な脳外科医が突如引き抜かれた。名は高木光一。

 程なくして彼は西木野の性を名乗るようになる。西木野光一は真姫の父親であった。


 大学病院並みの規模を誇る民間病院の院長を母に、天才脳外科医を父に持つ真姫の将来は当然の如く「医者」である。

 それは人気のない耳鼻科医院や駅前の歯科クリニックの娘とは比較にならない程の重圧であった。当然真姫自身もそれを十分に理解し、早い段階で医の道に進むことを決意していた。

 しかし真姫は音楽が好きだった。

 真姫にピアノを薦めたのは祖母だった。

 勉学だけでなく教養も必要だろうということで両親も真姫のピアノを認めていたが、ここまで娘がのめり込むとは予想外だった。

 小学校を卒業すると同時に、母真澄は真姫からピアノを取り上げた。これからは勉学と医の道一筋でいきなさい、と真姫は言われた。

 真姫は表面上は素直に従ったふりをしていたが、放課後の音楽室でこっそりとピアノを弾いた。自宅では隠れて作曲もしていた。

 ただ、学業の成績は常にトップクラスを維持していたので母は満足だった。

 父は娘の本心に気づいているようだった。

 あるとき作曲ノートが父に見られた形跡があった。しかし、そのことが母には伝わることはなかった。

 高校に進学し、真姫は高坂穂乃果に出会う。

 真姫の作曲の才に気づき、最初に惚れ込んだのが穂乃果だった。

 真姫は穂乃果を中心に結成されたスクールアイドル「μ's」に楽曲を提供することになった。

 程なくして自分もμ'sに加わった。

 真姫はスクールアイドルにのめり込んだ。夢中になった。

 当然成績はみるみる落ちていった。

 真姫の音楽への秘めたる思いは母に知られ、母真澄は激昂した。

 母を宥めたのは意外にも父の光一であった。

 普段どちらかというと母の後ろに控えるような無口でおとなしい父が、このときは真姫を庇った。

 父が娘に提示した音楽を続けるための条件は、二年生の前半で成績を学年上位に戻すことであった。そしてその成績を二学期、三学期と維持していくことも付け加えた。

 真姫は一学期は学業に集中し結果を出すことに専念するため、アイ研の活動には一日も参加せず、またアイ研にまつわる情報は可能な限りシャットアウトした。

 七月、真姫の成績は華々しくトップクラスに返り咲く。

 これでアイ研の活動ができる、またスクールアイドルができる!と真姫は心躍らせたが、当のアイ研はその時意外な事態に陥っていた。

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