4 秋葉原・トリアドール

「あなたのその髪の色は、どこがルーツなのかしら」

 今しがたの話とは全く違う方向からの唐突な質問に、真姫は戸惑った。

 レジカウンターに置かれたティーカップからは、まだうっすらと湯気が立ち上っている。

 ——この人はいつもそうだ。次から次へと話題が変わる。まるで針の飛んだレコードを聴いているみたい。

 真姫はアンティーク蓄音機のようなこのマダムが嫌いじゃなかった。

 あなたね、針の飛んだレコードでもボーッと聞いているとだんだんと心地よく感じてくるものよ——、なんだかそのうちそんなことを言い出しそう、と想像して可笑しくなった。

「詳しいことはわからないけど、母方の曾祖父がアメリカ人だったみたいです」

 癖のある赤橙色の髪をくるくると弄りながら真姫が答える。

「あら、じゃあスコットランドかしらね」

「……スコットランドですか?」

 真姫がきょとんとしてマダムを見上げた。

「赤毛といえば赤毛のアン。赤毛のアンといえばスコットランドよ」

「でも、赤毛のアンはカナダですよね」

 真姫も負けじと返す。

「赤毛のアンの作者、ルーシー・モード・モンゴメリの祖先はスコットランド系なの」

「ええ!そうなんですか」

 マダムは得意そうにふふ、と笑った。

 

 フィットネスジムをあとにした真姫は、凛との待ち合わせまでの時間つぶしに、先ほど入りかけてやめた雑貨屋「トリアドール」に来ていた。

 トリアドールは狭い雑居ビルの半地下にある小さな雑貨屋だ。

 店内にはヨーロピアンアンティークの家具が所狭しと置かれ、その上には赤を基調にした様々なアクセサリーやインテリア雑貨が並ぶ。そう、ここは「赤」の専門店なのだ。

 赤いポーチ、赤い髪留め、赤い万年筆、赤い額縁など、この世の赤を全て拾い集めたようなトリアドールは、赤色好きの間ではちょっとした有名店だった。

 秋葉原という土地柄もあり、週末にはゴシックロリータファッションに身を包んだ年齢不詳のご婦人達で溢れ返るとかなんとか。

 そしてこの赤い雑貨屋トリアドールを一人切り盛りするのが蓄音機マダムこと、澤田仁美である。

 真姫は一年生の頃から秋葉原の街に出ると決まってトリアドールを訪ねた。

 マダムと紅茶を飲みながら他愛のない話をし、最後に赤い雑貨を一つだけ買って帰るのが真姫の小さな楽しみだった。


「アメリカはやっぱり移民の国なのよ。ルーシー・モード・モンゴメリはカナダ出身だけれど、カナダからアメリカに移り住んだ人も当時たくさんいたのよ」

 マダム仁美はスイッチが入るとずっと一人で喋っている。

「真姫ちゃん、あなたのお祖父様ももしかしたらスコットランドからカナダ経由でアメリカに渡ったのかもしれない。調べてみなさいよ。面白いわよ」

「お祖父様ではなく、曾祖父ね」

「同じようなものよ」

「全然違います」と真姫は返す。

「でも本当あなた、よくみると目の色素も薄いし、日本人離れしてるわね」

 そうですか、とまた恥ずかしそうに真姫は髪をくるくると弄る。

「だってほら、ここにそばかすを描いたら、どっかのハンバーガー屋さんの看板、そのまんまよぉ」

「待って、私この後そこに行くんだけど!」

 二人の笑い声が狭い店内に響いた。


「真姫ちゃん、そういえばそろそろ文化祭じゃない。今年は何をやる予定?」

「それが……」

 真姫は言葉に詰まった。

「ライブ、やるんでしょう? 去年は確か雨で髪留めの赤い色が衣装に移っちゃったのよね」


 昨年の文化祭での屋上ライブはあいにくの雨だった。

 真姫はトリアドールで買った赤い髪留めをつけて臨んだ。

 雨でレザーの染料が色落ちして、真新しい衣装に赤い染みがついた。

 洗濯をしてもその染みは落ちなかった。

 クリーニングに出そうとも考えたが、結局そのまま引き出しにしまってある。赤い染みを見るたびに、あのときの景色や空気が感情とともに立ち昇るような気がした。その方が真姫にはよかった。


「野外ライブって知っていたら、もう少し素材を厳選したのに。悪いことしちゃったわね」

「ううん、いいんです」

「今年も屋上でライブなの?」

 これ、どうかしら、とマダム仁美は髪留めを一つ、カウンターにそっと置いた。

 何かの花だろうか。

 ブロンズ製の上品なカーブを描く茎に、細かく切れこみが入った羽状の葉が幾重にもかさなり合っている。その鈍い輝きの先にはガラス製の赤い花が三輪、ひっそりとあしらわれていた。

「きれい……これは——」

「花はサンブリテニア・スカーレット。シンプルだけど強烈な赤を放っているでしょう」

 細かく複雑な茎と葉のブロンズ細工。手に取ると確かな重みを感じる。それでいて、吹けば飛んでしまいそうな軽やかさを思わせる造詣。

 そしてその先端にあしらわれた三輪の小さな花は、ガラス製とは思えないほどの濃い赤色を放っていた。

「絶妙なバランスです」

「でしょう!装飾の大部分はブロンズ製の葉と茎で、それだけだととても地味な印象よね。でも、ここに小さな三輪の強烈な赤を置くことで全体が引き締まっている」

 それに、とマダムは指を鳴らした。

「ブロンズとガラスだから色移りはないわよ、今回は」

「それなんですけど」

 真姫はステージの申請書のことを思い出した。

「今年はなんだか色々うまくいかなくて。ライブもどうなるかわからないんです」

「あら、今年こそお店を閉めて見に行こうと思っていたのに」

「やめてください……」

 真姫は苦笑いをした。


 いつの間にかティーカップには新しい紅茶が注がれていた。

「真姫ちゃん、あなた二年生でしょう。文化祭は二年生が先頭に立つものよ」

「三年生じゃないんですか?」

「いいえ、三年生は進路があるから学校行事は半分だけ。あとの半分は将来を見据えるための大切な時間。つまり文化祭に全力でやりたいことをぶつけられるのは二年生よ」

「そうかなぁ」

「あなた、そんなことも分からないで今まで二年生をやっていたの?」

「やっていたって何よ」

 クスリと笑いながら——やっぱりこの人変、と真姫は思った。

「去年の二年生がどうだったか思い出してみなさい。きっとやりたい放題わがまま全開だったはずよ。そして、その人たちは今三年生でしょう。どういう立ち回りをしている? きっとあなたたち二年生に主役の座を譲る動きをしているはずよ」

 真姫の脳裏に穂乃果の顔が浮かんだ。

「そういわれてみれば、そうかもしれません」

「アイドル研究部の二年生は何人いるの?」

「三人です」

 マダム仁美はポンと軽くカウンターを叩いた。

「それなら、この三輪のサンブリテニア・スカーレットはまるであなた達ね」

「またうまいことを言おうと——」

「まだあるわよ。花言葉は『小さな強さ』。今の真姫ちゃんにぴったり」

 真姫は注がれた紅茶をぐいっと飲み干した。

「もうさっきからずっと欲しくて欲しくてしょうがないから、それ買います」

 そうこなくっちゃ、とマダムはカウンターチェアから勢いよく立ち上がった。


「これ、買ったからにはライブやりなさいよね」

 真姫は赤い小袋を受け取ると、小さく頷いて笑ってみせた。

「真姫ちゃん、あなた達は無敵なのよ。やりたいことを全部やるの。高校二年生は地球上で一番最強の生き物なんだから」

 マダムが雑居ビルの外まで出てきてくれた。この人は見送りのときでもずっと喋っている、と真姫は思った。

「仁美さん、紅茶ごちそうさま。また来ます」

「さすがに日が短くなってきたわね。気をつけて帰るのよ」

 真姫は鞄からスマートフォンを取り出した。五時五十分だった。

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