「忘れられない白衣姿」②

 あの日から続く、父との野球の練習。それだけでなく、自分でできる練習は平日に学校終わってから行うようになった。あまりの心変わりに、母はまた不思議そうな顔をしていたが。


 けれども、現実はそうも上手くいかないもので、僕の成長よりも周りの奴らの成長のほうが遥かに早い。それはもともと、自分の運動神経が悪いこともあるし、野球が好きで始めたことじゃないからかもしれない。しかし、少しずつではあるが少年団のコーチにもチームメイトにも褒められるプレーが増えるようになって嬉しかった。

 いつの日か、野球少年団に入ったことでできた友達が自分が野球の知識も技術も無いから離れていくのではないかと始めた練習だったが、周りの人に自分のプレーを褒められる度に徐々にではあるが野球が好きになっていった。それを自分の中でも気づきだした時から、練習に対する向き合い方や少年団に行く日が楽しみになってきた。

 ただ、そう前向きな気持ちになっていた日々は長く続かなかった。


 

 それに気づいたのはいつ頃だろうか。気づいたときには発生していた。前触れもなく、右の脇腹付近が痛くなる。しかし、1時間ぐらい耐えると何もなかったかのように治る。そうして、そのことを忘れて日常生活を送っているとまた再びその痛みがやってくる。うずくまるほどの痛みが。けれど、1時間経てば何もなかったかのように戻る。

 これを何回繰り返しただろう。最初の頃はただの腹痛ということで済ませていたがあまりにも不定期にやってくるその痛み。耐えることはできても、いつやってくるか分からない痛みに、いつの間にかそれを覚え怯え始めていた。

 その間も、不定期にやってくるその痛み。それは家であろうが、学校であろうが、野球の練習中であろうが関係なかった。あまりにも繰り返される痛みに不安を覚えた両親が小さいころから何かあったときに通っていた個人病院に連れて行ってくれた。しかし、見てくれるときに痛みはなく何もわかることはなく、頂いたのは大病院への紹介状と痛み止めの薬だった。

 それから始まる大病院での本格的な検査と通院。それにより、学校や少年団の練習を休まなければならない日も増えてきた。けれども、なかなか判明しない原因と治療法。その間も、不定期でやってくる痛み。薬を持っている時なら何とかなるが、それがなければ体を丸めることで何とか痛みに耐える。そんな日々が続いた。

 ただ、ある土日が父親の休みの日だった。タイミングよくその痛みが家にいるときにやってきた。そのため、父親が俺を抱え車に乗せ、母も助手席に座り、3人で大病院の救急外来へ向かった。

 父が手続きをしてくれている間、近くにある長椅子に横になり手を握ってくれる母。その手はいつも以上に温かく、両親には感謝しかない。

 他に重症の患者さんがいなかったこともあり、俺の診察は早く行ってもらうことが出来た。そのとき、初めて痛みがあるときに病院に受診できたのは幸運だったかもしれない。その場で行う検査と、今まで通院時に行っていた検査結果を照らし合わせながら診察を行っていたのだろう。痛みに耐えることに全神経を注いでいた俺はもう覚えていないが。どうやらある程度の俺に対する診察と両親に対する話が終わり、痛み止めの薬をもらうことでその日は終わったが、数日後再び大病院に行く予約がが決まった。


 その日は、父も有休をとったらしく、家族3人で病院に向かった。あまりの込み具合に予約時間を過ぎてもなかなか呼ばれないことに腹が立ちそうになったが、病気で苦しんでいるのは俺だけではないということに気づいて、その気持ちは落ち着いた。そうして、ぼーっとしていると呼び出し番号が掲示されるところに表示される自分の番号。やっとかと思いながら診察室手前の待合室で待機する。

 しばらく待っていると言われる自分の名前。以前から担当してもらっていた先生の部屋へ3人で入っていく。そこで言われたことは自分的には衝撃的なことだった。

 

 今まで苦しんでいた痛みの原因が判明した。それを治療するには手術しかない。なので、これからは、その手術のための検査を行っていく。スムーズにいけば半年後、遅くとも1年後には手術ができるだろう。ちなみに全身麻酔で行う。

 

 小学生の当時の自分にとって、詳しい臓器の話だとか病名だとか手術方法だとかというのは頭に入ってこなかった。けれども、当然今まで手術なんて受けたことないわけで不安しかない。それも全身麻酔。先生は、小学生の自分にわかるように、寝て起きたら手術が終わっているというが十分怖い話だ。唯一良かったのは、手術自体の難易度は高くなく、もし手術中のミスや後遺症が出てしまった場合でも命に影響が出るものは無いということだった。

 ただ、そんな心配事もあるが、とりあえずその手術さえ乗り切れば今まで自分を苦しめてきた痛みから解放されるのだという嬉しさも込み上げてきた。それは俺だけでなく両親ともそのようだった。

 それから、事前に予約された日に手術のための検査を受けに大病院に行く日々。その間も不定期に痛みはやってくるが、もう少しでこの痛みともおさらばできると思うと耐えるのも楽に感じてきた。検査自体は順調に終わっていくのだが、それが手術へのカウントダウンのように感じるのが嫌だった。やっぱり、人間、体験したことのないことに対する恐怖心にはなかなか勝てないのだろう。それでも無情にもやってくる手術前日。

 前日から準備が必要なため、入院が始まった。初めての入院に若干浮足立ちながらも、明日の手術を思い出し、逆に冷静になった。手続きを両親がしているうちに、点滴や手術前の最終検査。そして、主治医の先生と手術の担当医の先生の挨拶。あっという間に夜になった。

 小学生ということもあり、母も同じ部屋で泊まることになった。個室が用意されたため、リラックスしていられるが、頭をよぎるのは明日の手術のことだけ。どんだけ失敗がほとんどない手術と言われようが、小学生にとって全身麻酔の手術というのには不安しかなかった。けれども、あまりに不安に思っているうちに疲れて寝てしまったようだ。


 気づけば、手術当日の朝。手術が怖くて逃げだしたくなる気持ちもあるが、これを乗り越えさえすれば、あの痛みを二度と感じなくて済むのだと思うと、早く始めてくれという矛盾の気持ちが心の中で渦を巻いていた。

 周りには、心配そうにしている両親と祖父母。そうして、話しているうちに時間がやってきた。案内してくれる看護師さんと、それについて行く俺と家族。エレベーターに乗り移動し、いよいよ手術室の前へ。そこで家族とは一旦お別れ。

「頑張れ。」

 そんなことも言われるが頑張るのは医者なんだけどなと心の中で思いながらも、手を振る。

「行ってきます。」

 そんな言葉と共に。


 開かれる手術室。そこには医療ドラマでしか見たことの無いような器具がたくさんあり、母の影響で医療ドラマをよく見ていた俺は自分自身の手術に対する心配はそっちのけで、多種多様な設備に目を奪われていた。

 そんな時にちらっと見えた手術中の部屋。遠くからだから確かではないが、胸の部分を開いて手術を現在行っているようだった。あまりの衝撃に足が止まりそうになるが、自分が手術を受けるんだと思い出し、看護師さんについていく。

 そうして、着いた手術室。そこには、いつも診察してくれていた主治医の先生と今回の手術をメインで行う先生、その他の看護師さんや他の方々も含め大勢の方々が俺の手術のために取り組んでくれることに胸が打たれた。

 気づけば、手術をする部屋の中に横たわり、全身麻酔用のマスクを取り付けられた。思わず臭くて吐きそうになったが、前日から絶食だったので問題はない。誰かから事前に、言われた言葉がある。

「7秒数えると気づいたら寝ている。」

 その時は、本当かと思っていたが、丁度いいと思い試してみることにした。

「1,2,3,4,5,6,7...」


 少し、眩しいと感じ重たく感じる瞼を開ける。すると、様子を窺うように家族が僕の方を見ていた。本当に7秒で寝てしまうんだと驚きと同時に、やっと手術が終わったんだという安堵感が襲う。そして、家族から伝えられる手術成功の知らせ。やっと、数年苦しんでいたあの痛みから解放されるんだという喜びと治してくれた先生らに感謝と尊敬の念を抱いた。

 これから、もう一度野球に真剣に取り組めるそう思っていた。この時までは。



 2週間にもいかないぐらいの入院で退院することが出来たが、それでも急に運動することはできなかった。まずは、日常生活をしっかり送れること。それが一番だと先生も言っていたが、やっと何も考えごとをせずに野球に取り組めると思っていた自分にとっては長く感じる時間だった。

 野球を始める前までは運動神経が元々悪いこともあり、体育の時間が嫌いだったが前向きに野球の練習を行うようになってからは、人並みには運動ができるようにもなった。それゆえに、体育に時間もある程度は楽しみにしていたのだが、許されるのは少年団の練習の時と同様に見学のみ。めちゃくちゃつまらなかったが、少年団の練習を見学をしているときはそうは思えなかった。

 なんとか、父親と二人三脚で練習を続けて、自主練もして周りの練習についていくことができるようになっていたのが、この入院期間中の間で彼らと自分の間にあるであろう差がまた大きく広がったと感じた。それは仕方のないことだとは分かってはいるが、心の底からそう思うことは難しかった。けれども、皆口々に、

「おかえり。」

「また、頑張ろうぜ!」

 そう言ってくれることだけが幸せだった。

 

 先生から、運動再開の許可を頂いたときは飛び上がるほど嬉しかった。早速その日から、自分のバットを振ろうとした。けど、そのスピードは入院する前の自分のスイングとは異なるものだった。バットのスイングだけだと思い、試しに走ったり、ボールを投げたりもした。でも、分かるのは自分の身体が重いということ。思った通りに動かないということ。あの時の見学で感じた仲間との差は、測り違えていたということをまざまざと感じた。

 あれだけ、父親と創意工夫してなんとか練習についていけるまでやってきた努力がどこか、自分の知らない場所へ消えていったような喪失感にかられた。

 けれども、仲間に言われた言葉。父親を悲しませたくないという気持ちが、なんとか折れかけていた心を保った。


 しかし、あの入院していた数日間は体にとって必要なものだったかもしれないが、野球をやっていく上では自分にとって多大な損失となっていた。

 まずは、手術前の自分に戻るためと努力している傍ら、仲間はもう違うステージの技術の練習をしている。それに唇を噛み切りそうになりながらも、何とか下を見ず前向きに取り組んだ。

 そうして、ある程度戻った身体。けれども、仲間は1段階も2段階も上に行っていた。今まで褒められていたプレーをしたところでそれは、彼らの中ではもう当たり前のプレーへと昇華されていった。

 また、学年が上がるにつれて、上の学年の練習や試合に参加する同級生も一部出てきた。それと同時に僕らの学年にも上がってくる下級生もいた。そいつらは勿論のこと僕より上手い。才能があるから、能力があるからステップアップしているわけだから。だから、学年で一番下手なのは俺で変わらない。けれども、低学年のうちでは何とか試合に出ることが出来ていたけれども、そういうステップアップしてくる組や途中で入ってくる奴らに抜かされいつの間にか、ベンチを温めるのが俺の役目となっていた。

 それでも、腐らなかったのには父が練習に付き合ってくれたから。試合に出られるかもわからないというのに毎試合都合があえば見に来てくれたから。だから、少年団を辞めることなど頭に無く、練習を辞めることも全く考えていなかった。試合に出たいから。父に頑張っている姿を見せたいから。野球が好きだから。

 けれども、虚しく少年団最後の試合でも出番は無かった。

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