「忘れられない白衣姿」①
高校になっても小学校、中学校の時と変わらず朝の会、帰りの会のようなものがあるんだと驚いたときから半年以上が経った。名前だけは一丁前にショートホームルームというようなものに変えて、実態はそんなに変わってない。なんなら先生が伝えたい情報を伝えるだけの時間になったという面では簡素化されたのかもしれない。
高校に入って新しくできた数少ない友達に聞いてみるとどうやら先生によって終わる時間が異なるようだった。高校入学当初にもらった冊子には10分と書いてあるのだが、始まって3分しか経っていないのに廊下で喋っている他のクラスの人。
「やっと学校終わったー。今日部活オフだったから、さっさと帰ろ。」
「いいなあ。俺ら今日も部活だよ。それが終わったら塾。家に帰るの何時になるだろう。」
「もう塾とか行ってんの?早くね。」
他愛のない話が廊下から聞こえてくる。半年も経たずに分かったことだが、うちのクラスの担任はショートホームルームの時間いっぱい話したい系の教師だった。
最初の頃は、重要なことでも言われるのではないかと耳を傾けていたが、大抵がどうでもいい話。あと時々言われる勉強しろという話。半年前にやっと高校に合格したというのに、次は大学受験か。嫌になってくる。
そんな大半がどうでもいい話だから、最近は他事を考える時間となっていた。例えば、学校終わった後にどこへ行くか。なんの音楽を聴くか。なんの動画を見るか。とにかく、しょうもないことばかり。けれど、たまに重要なことを話の途中でいうものだから、耳だけはいつその瞬間が来てもいいように準備はしていた。そんな時だった。
「あ、思い出したけど、明日のロングホームルームで進路希望調査を行うからな。お前らには、まだ2年後の話かもしれないが、早く決めておくことに越したことはないからな。明日にたっぷり時間も与えるが、家でも少し考えて来いよ。それじゃあ、また明日。」
なんか、最後に爆弾を急に落とされて気分だ。そんな重要な話なら最初に話せよと思うのだが。ただでさえ、学校に行くのが憂鬱だというのに余計に憂鬱にさせるなよ。
そんな自分の気持ちとは異なり、クラスの雰囲気はいつも通りだった。
「やっと話し終わった。話長いんだよ、あいつ。」
「声大きいって。聞こえたらネチネチ言われるぞ、また。」
「それは、お前が過剰に反応したせいじゃん。けど、今日は掃除当番でもないし、さっさと部室行くぞ。早く行かないと先輩に何言われるか分からん。」
「それな。」
自分には、関係の無いような青春の空気に胸が痛くなるが、無視して帰宅の準備をして机を教室の後ろまで運ぶ。さっさとしないと、前の人や掃除当番に睨まれる気がするからな。ただでさえ、クラス内のヒエラルキーの下の方なんだから、しょうもないことで目を付けられたくない。助けてくれる心強い友もいないしね。
普段から誰にも話しかけられないというのに、謎に誰にも話しかけてほしくないオーラを出しながら教室を出て向かう先は学校の玄関。部活は書道部に入っているがもう既に幽霊部員になっていた。中学までの友達にそのことがばれると何してんだお前と笑われるかもしれないが、今の自分のほうがどこか気が楽になっていた。
小学校に入学すると同時に、父親に無理やり入れさせられた野球クラブ。正確には野球少年団だったったか。とにかく最初の頃は自分にとって苦痛な時間だったから、無理やりにでも記憶を消したい部分もあるのだろう。それまで野球そのものに興味もなかったのに。
「スポーツはやったほうがいいぞ。何も興味が無いのならとりあえず野球でも始めたら。」
そう唐突に言われたことにやりたくないなんて言えなかった。別に父親に虐待を受けていたという訳ではない。ただ、俺を叱るときに豹変するその表情。声。それを聞きたくなかった。父親が叱ってくれた事々は正しかったことは高校生にもなった自分にはもう理解できる。それでも、当時は反抗したくなる。それが一種の子供らしさだと思うのだが。それをしたとき、逆鱗にでも触れたのか、自分が何を言ったのかも覚えていないが、胸ぐらを掴まれたことだけは覚えている。それ以降、自分の意思を押し殺してでも、親の言うとおりにしておこうという考えが勝手に心に芽生えた。
質が悪いのは、決して悪い父親では無かったということだ。家族のために、毎日くたくたになるまで働いて休日は家で休みたいだろうに、家事を手伝ったり、俺の生きたいところに連れて行ってくれたり。
そんな普段の良い父親を自分が自分で壊したくなかったのだろう。自分にとってどれだけ興味のない野球を始めることだって、好きな父親が不機嫌になるのが見たくなくて。
そうして入った野球少年団。周りにいるのは、野球が好きで入ってきた奴らばっか。それゆえに、プロ野球のスター選手や野球のルールすら知らない自分が自然とチームの中で浮いていくのは当たり前であった。それだけなら、まだマシだったのかもしれない。
今まで野球そのものに触れたことのない自分がやったことのあることといえば、父親とたまにやったキャッチボールぐらい。そのときですら、かなりの確率で狙っていない明後日の方向にボールが飛んで行っていたというのに。野球が好きで少年団に入ってきた奴らの中にいれば、その実力の無さは際立つばかり。おまけに、運動神経も他人と比べれば全くと言って無かった。それゆえに、走ることでもドベ。それは短距離であろうと長距離であろうと変わらず。それに加え、バットにそもそもボールが当たらない。当たったとしても、ボテボテの情けない打球。
知識も無ければ技術もない。そんな人間必要ないだろう。しかし、幸いにもここは小学1年生の集団。本来であればチームに必要のない人間であろうと、それが分かって睨まれようと野球の練習の時間が終われば、まるで友達かのように接してくれた。それは小学校の中でも変わらず。
たまに、会話の中で野球が下手くそなことをいじられながらも、友達作りに困らなかったのは少年団に入って良かったことの1つだろう。
でも、少し頭は良かったから徐々に気づき始めていた。年齢が上がるにつれて、野球の知識がないことと技術が低いことによって、今は近くにいてくれる彼らは離れていくのではないかと。練習中に見せる、見下してそうな目線やミスを責めるように睨んでくる目線は強くなるのではないかと。
そんな正しいのか分からない将来を心配して、望んでいない未来が来ないように自分の中でできる努力を始めた。けど、当時スマートフォンなんてものもなく、インターネットを使えるわけでもない。ましてや、友達に頼るなんていうのは何故か抵抗があった。それは、想像もしたくない未来が現実になって、彼らが将来友達のままでいてくれないかもしれないという恐怖心を抱いていたからかもしれない。
だから、当時の自分に野球に関して頼ることのできる人間は一人しかいなかった。自分の父親だ。
父親が家に帰って夕食を食べるときには、必ずビールを片手にテレビで野球中継を見ていた。ただ、父親自身野球が好きなのだろう。それ以前にスポーツ自体が好きなのだろう。それはやることに関しても、見ることに関しても。だから、その野球中継を見るのにも勿論熱が入った。贔屓のチームがしょうもないミスを起こせば、怒り狂ったように怒鳴る。そうかと思えば勝ち越しの点を上げれば満面の笑顔。その喜怒哀楽の差に付いて行くことが出来ず、またその時に見せる怒りが自分を叱るときと同じような顔に恐怖を感じ、その時間は別の部屋で本を読んでいた。
けれども、想像したくもない未来から逃れるためにはこの時間を有効活用するほかなかった。テレビに映る状況を見れば、どうやら父親の応援しているチームは大差で勝っている状況だった。父親の表情を見ても、どうやらご満悦のようだ。今しかない。
「お父さん。今いい?」
「おう、どうした。」
少し陽気な様子だが、声色は普段の優しい父のようだった。これならいいかもしれない。
「野球を教えてほしいんだけど。」
「おお、いいぞ。今度、どっかの公園でも行って久しぶりにキャッチボールでもするか。それともバッティングセンターにでも行くか。」
まさかの提案に驚いたが、これは嬉しい誤算だ。本当は野球中継で実際に起こっているプレーについて教えてもらおうと思っていたけど、実際に練習に付き合ってくれるとは。いつも家族のために平日頑張ってくれている父親を買い物以外で外に出てどっかに付いて来てもらうのには抵抗があったから。
「え、いいの。それじゃあ、今度教えてよ。それもいいんだけどさ、実は野球の知識自体もあまり無くて、友達とかの話についていけてなかったんだ。だからさ、普段父さんが野球を見るときに実際の映像から教えてほしいなと思って。」
「そういうことか。練習する日を決めるのは仕事のスケジュールが決まってからでいいか。別に野球の知識自体も教えてもいいぞ。これでも、小中高と野球をやっていたからな。」
「本当に。ありがとう。練習に関しては仕事に支障がないように無理しなくていいから。」
「そんなこと子供が気にすんな。陸が野球に興味を持ってくれて俺は嬉しいよ。無理やり進めた感はあったからな。まあ、まずはあのプレーはな...」
お酒が入っているからか、父の本心も少し知れて嬉しいという思いもあるが、今の目的は野球を知ること。折角、父が話してくれるのだからと姿勢を正し、テレビ画面に集中し耳だけは父の話に傾けておく。
そんな、いつもの日常と変わった風景に母が不思議な顔をしているのを知らずに。
その日から始まった、父との野球教室。平日の野球中継がある日は二人して、テレビに熱中していた。気が付けば父の贔屓のチームが俺の贔屓のチームにもなっていた。そして、プレーの一つ一つに一喜一憂する。あの頃はそんな父を冷めた目で見ていたのに、知らない内に自分もそっちの道に進んでいたことにあるとき気づいたときには驚きと共に、父の血が俺にもしっかり流れているのだという謎の安心感を得ていた。しかし、野球の試合は予定の時間通りに終わることの方が少ない。そのため、大抵、野球中継の延長により母の見たいドラマの時間が始まるのが遅くなり、それに不満を表す母の姿を横で気にしながら父と二人で野球中継を見続ける。
土日の少年団の練習が終わった後やオフの日に父親に余裕があれば、野球の練習に付き合ってもらうようになった。昨今、ボールを使用してはいけない公園が増えたせいで練習する場所を探すところから大変であったが、遠くの公園まで父に車で連れて行ってもらった。
そこで始める、キャッチボールやバッティング練習。
「少年団に入る前よりもうまくなったんじゃないか。」
そう、自然と父に言われた言葉に純粋に喜んだ。よく考えてみれば、そうなっていなければ、ダメだろうが。
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