第2話 【特事課】棟へ

 「我々は不本意ながらも、貴女の異動を正式に受理し、速やかに貴女を歓迎しましょう」


 【豹ヶ崎】は急展開に対応出来ずに、明らかに纏う気配を変えた【五十嵐】が手を差し出す手を掴めずにいた。


 いや、普段の彼女であれば、手を取って社交辞令の笑みを浮かべる程度の事なら容易に出来ただろう。


 だが、立て続けに非常識の気配と、踏み入れたら明らかに不味い気配しか無い事が起これば、如何に彼女と云えども軽い処理落ちを起こしてしまっていた。


眼鏡の奥から鋭く向けられる眼差しは、何処か覚悟と拒否する事を許さない雰囲気を感じさせ、真っ直ぐに【豹ヶ崎】の眼を見据えていた。


 「……失礼、流石に急を要し過ぎましたね。案内しますので、ついてきて下さい」


 手を下ろした【五十嵐】は、頭を下げると建物へと向き直り歩き始める。


 暫し呆けていた【豹ヶ崎】はハッとした様に意識が追い付くと、慌てて【五十嵐】を追い掛ける。


 「……【特殊事案対処課】、通称【特事課】は、かなり雑且つ、分かり易く云うならば、科学の手が未だ届いていないオカルト的な事案に対処する為の部署です。


 正確には、貴女が勤めている企業の部署と云う形・・・・・・に偽装し・・・・組み込んだ・・・・・と云うのが正しいかも知れません。


 兎に角、其の様な超常、或いは異常な実体や現象が発生した場所に赴き、何らかの形で解決する事を目的としています」

 「な、成る程?」


 突然の【五十嵐】からの説明に、当然、【豹ヶ崎】は『いきなり何を言っているんだ?コイツは』と困惑して、口から出た言葉も疑問符がついてしまう。


 そんな反応になる事は当然、【五十嵐】も分かっていたようで、振り返りはしないが何処か苦笑した様に感じた。


 「……まぁ、信じられない。或いは冗談か何かか?と思いますよね。


 なので、手の平で踊らされているようで大変不本意ではありますが、実際に見て貰おうと思います」


 そうしている内に、入り口に辿り着いた様だ。二重になった自動扉を潜り、建物の中に入る。


 一見、四人程の受付がいるカウンターがあり、其れを中心に左右対称になる様に、カウンターの両側から建物の奥と伸びる通路と左右横へと伸びる通路があるだけの全体的に白を基調とした空間は、些か殺風景且つ、光源が入り口から射し込む陽光以外は天井の電灯である事が些か採光の面で不自然かな?とは思いはしたものの、一応は普通の企業のエントランスに見える。


 いや、先程の明らかに緊急事態を告げるアラートと放送が流れたにも関わらず、普通に立っている事は不自然か。


 受付は【五十嵐】に一礼すると、一斉に【豹ヶ崎】に眼だけを動かし視線を向ける。微笑を浮かべる顔は、然し眼の奥に隠し切れていない警戒と疑問の色があった。


 「問題ありません。彼女は新入社員です」


 受付の警戒と疑問を察した【五十嵐】の其の言葉を聞いた受付の一人が報告を始める。


 「【管理番号:087【嗤うデスマスク】】は既に、【鎮圧部隊:【呪物蒐集家フェティッシュコレクター】】によって鎮圧済みです。


 しかし、脱走を主導した存在の補足は未だに出来ておりません」

 「そうですか……。分かりました。此のまま業務を継続して下さい。


 【豹ヶ崎】さん、行きますよ」

 「あ、はい!!」


 報告を聞くと直ぐに、革靴でタイルの床を静かに歩き始めた【五十嵐】の後を、【豹ヶ崎】は慌てて追う。


 受付の左側にある奥に伸びる通路を進んでいると、【五十嵐】が振り返らずに話し掛ける。


 「【豹ヶ崎】さん、今更ながら、今に至る迄にこちらの名刺をお渡し出来ておらず、申し訳ありません」

 「い、いえ、確かに不思議に思ってはおりましたけど」

 「其の理由が、実はそもそも此の部署には名刺と云う物が存在しないからなんですよ。


 徹底した情報規制の一つ……だけでは無く、ある種の防衛策と云いますか、……名前には力が宿るって聞いた事はありますか?」

 「一応、聞いた覚えはありますが……」

 「アレ、本当なんですよ」


 其処で立ち止まった【五十嵐】は振り返る。


 穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた雰囲気を纏う彼の様子は、初対面の様な何事も無い状況なら安心感を与えるのだろう。


 然し、明らかにマトモでは無い様な状況と、ドッキリか何らかの創作物の設定の様な内容を当たり前の様に語られている事を踏まえれば、逆に不安を煽ると云う物だろう。


 「対応する存在の中には、名前に干渉する物が在りましてね。認識可能な範囲内でも・・・・・・・・・・影響を受ける者が後を絶ちません。


 当然ながら、私の本来の姓は【五十嵐】ではありません。業務上の呼び名、或いは偽名って奴です」

 「は、はぁ……?」


 未だに良く分かっていない……と云うよりも呑み込めていない様子の【豹ヶ崎】に、【五十嵐】は懐かしい物を見る様な眼で続ける。


 「取り敢えず、此の先、少なくとも、此の棟の中や業務上は仮ですけど【暗猫くらねこ】と呼ばせて戴きます。


 宜しいですね?」

 「は、はい……」


 想定や想像とは全く違った方向に向かっている状況に、正直云って【豹ヶ崎】もう訳が分からないと云いたかったが、其れを呑み込み何とか返事をした。


 其れを見て、本当に申し訳なさそうに目尻を下げた【五十嵐】は謝る。


 「本当にこちらの不手際で申し訳ありません。


 然しだからこそ、私は貴女に対して責任を持って【隠されるべき裏側】の中で生きる術を与えたいと思っております」


 【豹ヶ崎】は、此の言葉が【五十嵐】にとって自身に示した誠意だと判断した。そして、だからこそ何とか受け入れる様にするべきだと、【豹ヶ崎】は認識した。


 「……行きましょう。そろそろ、エレベーターがあります」

 「分かりました」


 再び、通路を先導する【五十嵐】の後を追いながら、【豹ヶ崎】は此れから見る物がきっと、此れ迄の経験には無い何かを与える予感を感じ取り、気を引き締めた。


 

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