第3話 夢の世界の忘れ物

 キツネさんとわたしは学校の3階にある図書室から廊下を抜け、階段を下りて校舎を後にした。道すがら、並んで歩くわたしたちに、行き合った生徒たちの誰もが羨望と好奇の視線を向けてくる。キツネさんと揃って、しかも2人だけで歩くことは、この学校において滅多に無いことである。それだけ、キツネさんは人気者なのだ。そこはかとなく、わたしも鼻が高くなる。


 キツネさんに導かれるように、わたしたちは校舎の中庭を抜け、グラウンドが見渡せる小高い森の中へと入った。ここに入るのは初めてだ。別名、「魔女の森」と呼ばれており、怪談のメッカとなっている場所である。夕暮れ時はもちろんのこと、昼間でも1人では行きたくない。


 やがて、わたしたちは森の中にある、ひときわ大きなかしの木にたどり着いた。誰が置いたのか、木のベンチが置いてある。


「僕のとっておきの読書スペースさ。さあ、座って、座って。そして、君に起こった顛末を僕に聞かせてくれたまえ」


「は、はい。実は、わたしが見た夢の話なんですけど……」


 わたしの言葉を、ぴんと立てられたキツネさんの右手人差し指が遮った。


「敬語は無しだよ、小泉君。僕はたとえ誰であってもタメ口で話す。だから君も、タメ口でかまわない」


 かまわない、と言われても……。流石にキツネさんクラスの相手には敬語を使いたくなる。そういえば、この学校に来てからというものの、誰に対しても敬語しか使っていない。ひょっとしたら、敬語を使うことで、わたしは他人との間に心理的な壁を作っていたのかもしれなかった。


 ここはキツネさんの言葉に従ってみよう。


「じゃ、じゃあ。わたしが見た夢のこと、話すね?変に思ってもらっても、全然、かまわないから……」


 キツネさんは満足気に頷くと、両目を閉じ、両手を軽く合わせた姿勢でわたしの夢の話を聞き始めた。時々、わたしの話に「ふむ」「うん」と返しながら、キツネさんはわたしの話を聞き続ける。


 わたしが語り終えた時、すっかり周囲の夕闇が濃くなっていた。眼下の校舎やグラウンドにも灯りが点いている。


 ずっと目を閉じていたキツネさんの瞳が、うっすらと開いた。


「小泉君。どうやら、君は夢の国に入り込んだようだ」


「夢の国?」


「ああ、そうだ。文字通り、夢の中の世界だよ。別世界、異世界とも言っていい。我らの世界とは別の次元、別の時間、別の空間に存在する世界だ」


 キツネさんが、両手をすり合わせる。


「図書室でも伝えたが、君のような繊細で夢想的な人柄の子は夢の世界に迷い込みやすい。白い帆船に乗っていた人影は、君のような夢の世界の旅人だ。自分の意志で行こうとする者もいれば、小泉君のように意図せずして訪れてしまう者もいる」


 あまりにも荒唐無稽な内容だが、キツネさんの声のトーンと語り口に思わず聞き入ってしまう。


「だが、小泉君のようなパターンはかなり特殊だ。9回もほぼ同じ内容の夢を見るなんてね。特段の事情があると見ていい。ところで、小泉君。『黄衣の王』を読み終えた後、何か大切なものを無くしてはいないかい?」


 わたしの心臓の音が、ほんの少しだけ高まった。


「実は、心当たりがあるんだ……。何時も大切に持っていたものなんだけど、1回目の夢を見た朝、気づいたら無くなっていたの……」


 私はブレザーの内ポケットから、それを取り出した。


「イヤリング……か?だが、片方しか無いな?何か、特別な思い入れがあるのかい?」


 わたしはほんの少しだけ言い淀んだが、意を決して、キツネさんに自分の過去を語り始めた。


 このイヤリングは、中学時代の、そして、わたしの人生最初の彼氏が最後にくれたプレゼントだ。卒業式の日、そっとわたしに手渡してくれた。


 その彼氏とは、現在、音信不通である。違う高校に行くことになった所為で、関係が自然消滅してしまった。彼のことが好きかと問われれば、もちろん、好きだ。だが、こちらから連絡する機会も勇気も、今のわたしは持ち合わせていない。


 彼の前では、まだこのイヤリングをつけたことがない。何時か、この想い出の品のイヤリングを着けて、彼に会いに行くことが出来たら……私はそう願うばかりだ。


「1回目の夢の時を見た夜、たまたま着けたまま寝たんだけどね。夢の中で怪物に襲われて、足がもつれて転倒した時に左側のイヤリングが落ちてしまって……。朝、起きたら、無くなってた。寝ている間に外れたものだと思って、一生懸命、部屋の中を探したけど、結局見つからなかった。まさか……」


 眼鏡の奥のキツネさんの瞳に、冷たい光がきらりと走った。


「そのまさか、だよ。小泉君。君は夢の世界の中でイヤリングを落としてしまったんだ。そのイヤリングは、君にとって大切なものなんだね?君が何度も夢の世界に行ってしまうのは、無意識に片方のイヤリングを探しに行っているからだ。そして、そのたびに、猫の耳をした戦士……ウルタールの猫に助けられている」


 ウルタールの……猫?

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