第51話現在と未来の始末と自己保身。

「あ~しんど・・・。」

馬の背に揺られながら、ズラーッと前後に延々と続く行列の中でボヤく信吉。


1567年6月、信吉はノッブの命令で押し付けられていた松平家改め、徳川家当主・家康の嫡男・竹千代信康と、ノッブの長女・徳姫との婚姻話の最終段階、徳姫の輿入れの護送と織田家の正使役を担い、副使の池田恒興と共に岐阜城を出発、尾張・清洲を経由するルートで三河国境を目指していた。


(バタバタし過ぎだわホンマに・・・)

4月の初陣以降のドタバタな状況に、げんなりとする信吉。


5月に前田利家の義甥で天下一の傾奇者になる前の、前田慶次と愉快な仲間達荒子衆プラス、抜け駆け上等の槍の遣い手・可児才蔵を配下に加え、どうにか「木下信吉隊」としての体裁を整えた信吉だったが、加えた途端に東奔西走する羽目に陥る。


慶次達の住居問題と、才蔵を雇用するにあたって才蔵の前の仕官先、柴田家への筋通しの挨拶が同時に発生した為であった。


住居の方は利家が前田家の家督を継ぐので、当然慶次達が現在住んでいる前田家の屋敷も継承する為、慶次達は前田家の屋敷から退去する事となり、才蔵も柴田家を退職しているので現状宿無しな有り様で、早急に住居を確保する必要性に迫られたのである。


慶次父子達の方は現在住んでいる屋敷を提供し、才蔵の方は前に住んでいた、下士屋敷を提供する事で解決したのであった。


そんな信吉の思い切った処置に、慶次は「過分に過ぎまする!!」と泡を食って固辞し、利家も「流石にやり過ぎだぞ小吉!其処までするのは幾ら何でも!?」と、左右に首を振って苦言を呈したが、


「慶次は兎も角、仮にも2千貫にも及ぶ大身を務めた、御隠居利久殿をするのにあばら屋に住まわせる訳にはいかないし、あくまでも御隠居殿に対して、を示しているだけだから。

御隠居殿も退去予定の屋敷に残っているのは、さぞや居心地の悪い思いをなされておいでるだろうから、一刻も早くお迎えして差し上げないといけないだろ?」

慶次には利久の面子の為だと諭し、


「いやいや利家様、留守居ッスよ留守居。

丁度今から殿秀吉の屋敷に詰める予定なんで、無人の空き家のままで置いておくのは不用心ですから。

なので筆頭家臣になる慶次が、屋敷の留守を預かって慶次達の出陣中には、御隠居殿が屋敷の留守を預かるのは、何の不思議も問題も無いでしょう?」

利家にはそれらしい言い訳を告げる。


「う~ん・・・確かに筋は通ってはいるが。

しかしながら小吉、藤吉の屋敷に不定期滞在するとは一体どうしたんだ?」

「いや~ウチの嫁さんがおめでた妊娠中なんスけど、男の私じゃあ役に立たないから、義母美代さんや姉さんを頼ろうと思ってた所でして。

本当は嫁さんだけ姉さん達の所に送ろうかと思ってたんスけど、今回の件で私も一緒に厄介になろうかなと。」

後ろ手で照れつつ内情をぶっちゃけた。


現在木下家では妊娠ラッシュの真っ最中で、信吉茶々だけでなく秀長秀吉寧々の所も妊娠しており、秀長の嫁さんである涼も頼れる親類縁者が居ない為、一足先に寧々や仲を頼って秀吉邸に滞在しており、信吉もこれ幸いに頼る気満々だったのである。


「と言う訳で慶次、留守居を頼むぞ?

胸を張って堂々と家臣を引き連れて、御隠居殿を此処にお迎えする様に。」

言い募ろうとする2人にそう言い捨てて、才蔵には下士屋敷の場所を、使用人に案内させた後、茶々と共に必要最低限の荷物を風呂敷に包み、さっさと退去した信吉。


風呂敷包みを背負って「お世話になりま~す」とやってきた、信吉夫婦に秀吉夫婦は目を丸くし、事情を聴いて寧々は「アン夕って子は・・・」と呆れ顔で、秀吉は「思い切ったのう小吉!」と笑い声を上げつつ、信吉夫婦を出迎えた秀吉夫婦であった。


そうして再び居候生活に戻った信吉だったが、退去した翌日に利家夫婦と慶次父子が信吉の許を訪れ、平身低頭処か涙を流しつつ、手を合わされて「ウチの慶次をくも手厚い厚遇をしてくださり、誠にありがとうございまする!拝みまするぅ!」と、まるで神仏の如く拝む利久と、「ありがとね小吉君!お礼にウチのを第2夫人にどうかな?」と、お礼と称して娘を送りつけ様とする、松さんの対応に苦慮する羽目になったのであった。


それはさておき、


(ま、俺からすれば慶次と荒子衆を、召し抱えられた事はだから、バタバタした甲斐は有ったけどね・・・ウッヒッヒッヒ)

黒い笑みを浮かべて回想するゲス。


なにせ慶次という豪傑は勿論の事、慶次に付いて来た荒子衆も、前田家選り抜きの精鋭だからである。


曲がりなりにも元世子である、慶次の側近に選ばれた家臣団の生え抜きであり、次期当主だった慶次の旗本親衛隊を務めるべく、幼少時から学問・武芸を学んで精励せいれいし、熟達したエリート集団をも信吉からすれば、超特価の安値で買えたのだから、笑いの止まらない大儲けであった。


(ただまぁ前田家の夜叉やしゃ・慶次とセットで、守護神・奥村永福おくむらながとみ(通称・助右衛門すけえもん)もゲット出来ると思ったんだけど、ゲット出来なかったのが残念だったなぁ)

脳内思考で嘆く。


慶次達はあくまで利家をはばかって、前田家を自主退去自主退職した体を取ったのに対し、奥村さんは出奔無断退職という行動を取った事で、利家処か裁定を下したノッブに対しても、明確な抗議面当て行動を行っていた。


流石にそんな状態の奥村さんを召し抱えるのは、利家の面子を潰した上にノッブの怒りも確実に買い、自分処か寧々姉さん(秀吉)にも累が及ぶ為、怒れる鬼子母神寧々の制裁を怖れて、スパっと諦めた信吉だった。


(まぁ、そのまま史実通りほとぼりを冷ました後、利家の兄ちゃんの所に帰参して貰い、※末森すえもり城籠城戦で頑張って貰うか)

何気に加賀前田家興亡のキーマンなので、そのまま利家にリリースするのを決める。


(※・・・信長の死後、宙に浮いた天下の覇権を巡って、秀吉と家康が小牧・長久手ながくてで争っていた際に、秀吉側に付いた加賀・能登石川県を領する利家と、家康側に付いた越中富山県を領する佐々成政さっさなりまさが、北陸の覇権を巡って争った過程で発生した籠城戦。

加賀と越中の国境に有った永福が守将を務める末森城を、成政が約1万5千の兵で攻撃。

それを約3百~5百の兵で永福は防戦し、9割近い戦死者を出して落城寸前になりつつも、利家の援軍到着まで守り抜いた。

因みにこの末森城、北陸街道の近く且つ加賀・能登道の分岐点に有り、此処を突破されると能登にまで侵攻されて、前田家滅亡待った無しになる、超重要拠点だった模様。

何故そんな重要拠点の防備が、紙装甲並みに薄かったのかは謎である)


(軍事面で前田家の精鋭を貰ったのもデカい利益だけど、それ以上に内政面で利久のオッチャンを得れたのが、ガチで1番デカい)

思わぬ掘り出し物の発掘に喜ぶ信吉。


世間的には時勢を誤って、ノッブに敵対するという大チョンボ失敗・ミスを仕出かした利久だが、荒子領主としての領地経営のノウハウを持ち、隠居前は織田家の物資調達を担う、林秀貞の許で経理を担当していた実績を持つ、山賊の親分面こと蜂須賀正勝の領主経営力と、元商人の伯父・家次の実務能力を持ち合わせた、超貴重でハイブリッドな存在であった。


いずれは天下人になる秀吉の出世に便乗し、将来的には万石以上の領地を持つ事になる(多分、きっと)、大名になる(予定の)信吉から観れば利久さんは、はっきり言って慶次の存在が霞む程の得難い逸材である。


百金処か千金積んでも得られない、門外不出の領地経営に関するノウハウを、ロハ無償で教授してくれて且つ、誠実無比で(行く所が無いから)絶対に裏切らない、留守居財務担当役をもしてくれる人であるのだから。


尚且つ元荒子領主として、荒子領に近い尾張の2大商業都市の1つ・津島と、元織田家の経理担当として、もう1つの商業都市・熱田の豪商一流企業に対し、太いパイプをも持った人物であり、信吉処か秀吉木下家にも多大な恩恵をもたらしたのである。


そんな有り難い存在の利久を信吉は、相談顧問役として丁重に扱って感謝をされつつ、利久自らが率先して※プライスレス=ただ働きで働いてくれるという、古今東西処か恐らく世界的にも類を観ない、空前絶後の状況を得たのであった。


(※・・・利久は立場上前田家の隠居なので、利久に関わる経費生活費等は隠居料として、現当主の利家持ちであり、寧ろ信吉が利久に賃金を払っちゃうと、利家は「先代を蔑ろにしている不義理者」と、周囲から吝嗇けちそしりを受けてしまい、謂われのない顰蹙ひんしゅくを買って名を落としてしまうから)


(仕方が無いよね?俺が利久のオッチャンに賃金払うと、の利家さんをおとしめちゃう事になるんだから。

それに無料奉仕してくれるのに、断ったり遠慮するのも悪いしね)

うんうんと自己完結するドゲス。


(一応、将来的に慶次前田家と利家前田家が諍いにならないよう、正式に慶次前田家の独立を認めさせた上で、慶次を含めた全員が利家前田家に、何時でも帰参してもいい自由を与えてはいるけど、少なくともノッブが生きている間(本能寺の変)までは、ノッブをはばかって帰参しないのは確実)

前田家の現況を鑑みて予測し、


(つー訳でそれまでの間の約15年間、領地経営のイロハを利久のオッチャンからロハで教えて貰い、後は方仁寺の卒業生を下に付けて、内政を学ばせる事も出来るなぁ。

あ、それなら慶次の下にも卒業生を付けて、指揮官養成をするのも有りか。

いやぁ夢が幾つも広がるわこりゃ)

骨までしゃぶり尽くす気満々な悪魔。


因みに信吉が慶次達に、利家前田家に帰参する自由を与えた理由は、このまま放っておくと落ち着いた後の慶次の家臣達が、利家達に一方的な遺恨を抱いたり、「前田家の本家はコッチだ!」と揉めたりする可能性があり、後々の災いを避ける為である。


史実だと慶次は暫くの間浪人した為、荒子時代の家臣も離散していて、頼った先の実家・滝川家もノッブの死後に没落した事から、尾羽打ち枯らした状態で利家の許に利久共々帰参したが、信吉の介入で史実とは大分逸れており、豊臣政権下で秀吉の親友として、重要なポストに付く可能性が高い、利家との間でのトラブルのリスクは、絶対に回避したい信吉であった。


万が一騒動になれば両者との関係上、それこそ絶対に巻き込まれるポジショニング立ち位置に、居る羽目になるからである。


その為、利家には慶次達の帰参の自由と、慶次前田家の独立を認めさせる代わりに、慶次には荒子前田家の相続権の放棄と、利家が正統な荒子前田家の継承者になる事を承認させ、慶次には前述の条件を呑ます代わりに、利家前田家の一門として帰参出来る自由と、利家からの慶次前田家の家督相続後継者問題に関して、一切の強権命令や干渉をさせない事を、利家に承認させたのであった。


当然当初は2人共「ちょっとそれは・・・」と、難しい表情を浮かべていたが利家には、


「そういう風にする事で、利家様の当主としての度量の広さと、あくまで前田家の存続を両者が慮って、利家様が継いだ事の喧伝けんでん(アピール)になりますよ?

それに孫四郎まごしろう(利長)君の将来を鑑みれば、少しでも禍根が残る事は避けるべきでは?」

自身の寛容さのアピールと乗っ取り疑惑の払拭ふっしょくになり、利長君の将来の利益になると諭して慶次には、


「そういう風にしておけば、利家様の干渉を受けずに独立独歩、誰憚る事無く自分の実力で、己が興した家を栄えさせる事が出来るし、自分に万一が有れば遺された者達の、いざという時の寄りを確保出来るしね。

しかも後々今回の様な、を繰り返さずに済む様になるぞ?」

自家の独立性の確保と過干渉の排除に繋がり、自身と同じ境遇を自分の子孫に与えずに済むと諭したのである。


「「・・・それは確かに。」」

なんとなしに互いの顔を観て、しばしの沈黙の後で頷く利家と慶次。


利家からすれば信吉の提案は現状に於いて、ちまたでまことしやかにささやかれている、謂われのない誹謗中傷の緩和や、四苦八苦している家中統制の一助になるし、将来的に観ても家系的に血筋で云えば、慶次と姪との間の男子の方が、利長よりも嫡流になってしまうので、慶次前田家が家督相続権を放棄してくれるのは、例えれば江戸時代に於ける、※江戸柳生と尾張柳生の様な複雑な関係性の、解消にも繋がる利益があった。


逆に慶次からすれば信吉の提案は、現状の生き地獄の様な境遇に、孫子まごこを晒す危険性を回避させると共に、下手に家督相続権を持っている事で、お家騒動の種や源になったり、最悪の事態(暗殺・誅殺)を避ける意味でも理が有るし、自身に万一の時には放棄している事で、利家前田家を頼っても騒動の中心には成り得ず、孫子の身の安全を確保出来るという、明確な利もあるのである。


同時に今までノッブに冷遇されていた影響で、周囲を憚って地味にくすぶっていた過去とは決別し、世の中で己の実力がどんなモノか、信吉と共に何処まで行けるのか、是非とも試してみたいという願望が、信吉の煽りを受けてムクムクと慶次の中で沸き起こっており、利家達に横からくちばしを挟まれずに済む、というのは純粋にありがたかった。


(※・・・一般的には柳生新陰流の開祖である、柳生宗厳むねよし(石舟斎せきしゅうさい)の子で徳川将軍家の剣術指南役を務めた、柳生宗矩むねのりを祖とする江戸柳生の方が大名格(約1万3千石)を持っていた上、宗矩の子で隻眼の剣士・柳生三厳みつよし(十兵衛)の知名度も相まって、柳生本家と思われがちだが実際は、宗矩は宗厳の5男で分家且つ、柳生新陰流の正統後継者でも無く、尾張柳生の祖・柳生利厳としよし(「としとし」とも)の方が歴とした本家(利厳は宗厳の嫡男である厳勝よしかつの嫡男で、宗厳の嫡孫)であり、新陰流の正統な(道統)後継者であった。

この様に分家の江戸柳生が、徳川将軍家の直臣となり、本家の尾張柳生が、将軍家の分家・尾張徳川家の家臣=陪臣になるといった、両柳生家はいびつな関係性であった)


こうした経緯で両者の利害を説き、両者共に納得させた上で念書(血判状)を書かせ、秀吉を引っ張って来て、公証人(証明者)として念書を交わさせたのである。


利家と慶次の現在と未来の懸念材料を排除しつつ、両者に恩義貸しをしれっと売りつけ、自身の保身に余念のないゲスであった。


それはさておき、


(まぁ~慶次に比べれば才蔵の方なんて、楽勝つーか拍子抜けだったなぁ)

馬の背に揺られつつ回想する信吉。


とりあえず仁義を通す為に、熊髭のオッサンこと柴田勝家の許を、心配して同行してくれた利家と、居心地悪そうな才蔵達と共に訪れ、軽い挨拶の後に勝家の大好物の、とある絵画春画をお土産に渡すと、満面の笑みで大好物を袖に入れ、「煮るなり焼くなりどうぞご自由に」と言って、あっさりと才蔵の転仕を認めたのである。


扱いに手を焼いていた厄介者が居なくなる事と、厄介者と引き換えにコレクションが手には入った事で、大変な喜び様であった。


勝家とは反比例して才蔵の方は、「自分で辞めといて何だが、何か納得いかねぇ・・・」とブスくれて愚痴っていたが。


因みに宝蔵院流槍術を学んだ才蔵を、折角客将として迎え入れたので、学問所の生徒達にも学ばせ様とした所、


「あん?良いけどオイラは基本的な型しか知らねーし、後は独学で身に付けたモノだから、本来の宝蔵院流とは大分違うと思うけど、それで良いのか旦那?」

ビミョーな返事が返ってきたのであった。


「へ?大和で宝蔵院流を学んだんだろ?」

「はい?オイラは生まれも育ちも美濃生まれの美濃育ち、遠国の大和なんざに行った事もねーし、宝蔵院も観た事ねーよ。」

信吉の問い掛けに首を振って否定する。


「いやじゃあどうやって学んだんだよ!?」

「どうって、オイラこう見えても寺育ちの小坊主上がりでよ。

数年前に厄介になってた、住職の爺の古い友人つー、大和は興福こうふく寺の坊さんが長逗留とうりゅうした際、護衛みたいな形で興福寺内の子院しいん(分寺)の宝蔵院から、何人かの奈良法師僧兵も同行してたんで、ソイツらに習ったんだけど?」

あっけらかんと答える才蔵。


「・・・何か「消防署の方から来ました」みたいに、詐欺さぎ臭い・・・。」

「おい、オイラが誰をあざむいているんだよ!?人聞きが悪い事を言うな!?

それに諸坊所?じゃなくて、宝蔵院だよ!

間違い無く宝蔵院の坊さんから、槍術の手解てほどきを受けているんだから、嘘なんかついてねーだろが!?」

ジットリと胡乱うろんな目線を送る信吉に、顔を真っ赤にして反論する。


とりあえず才蔵君は宝蔵院胤栄いんえいの宝蔵院流槍術ではなく、を学んだ事は理解した信吉であった。


(全く・・・紛らわしい)

前世だったらジ○ロ案件だろと愚痴る。


(まあとりあえず何とか、ウチのバタバタは落ち着いたから、との邂逅に集中するとしますかね)

気持ちを切り替えて前を向く。


こうして信吉は、家内の紆余曲折バタバタを乗り越えた後、自分ひいては秀吉の最大のライバルとなる、三河の狸こと家康とのファーストコンタクトに臨むのであった。


                 続く

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