第36話武士は1日にして成らずにして、惚れたは1目にて成るモノなり。

1566年1月、信吉は山科言継の娘・茶々と、晴れて(?)婚約した。


去年の今頃までは寺の管理・維持に関心の無い、本の虫の住職のせいで荒れ寺と化していて、信吉の春画の闇取引に利用され、本来の名前すら忘れ去られ、「煩悩寺」と揶揄されていた寺が今や、今上陛下の揮毫により「方仁寺」という名に生まれ変わり、尾張屈指の名刹めいさつ=由緒ある名高い寺となった、方仁寺で結婚式を挙げる予定となっている。


そうした経緯で女房衆が、せっせと結婚式の準備を進めていく中、男衆達は・・・


「・・・さあ皆様方何はともあれ、とりあえず試しに和歌を制作してみましょう。

先ずは細かい事は気にせず思った事、感じた事を綴ってみてください。」

クールビューティーな涼に促され、和歌の製作=教養の習得に励む信吉達。


涼は山科言継の妻・葉室はむろ家の分家出身で、実家での生活が困窮していた為に伝手を辿り、山科家に侍女的な役割で、奉公人として出仕していたのだが、この度の茶々の降嫁に伴い、一緒に尾張にやってきたのであった。


普通に平安時代から以降も、女流歌人が度々輩出されている様に、貴族家の子女は和歌を必須で習得するので、秀吉達素人に関しては涼でも、基礎的な事は教えられるのである。


元々山科言継との手紙のやり取りで、「実体験で出世すればする程、教養や礼儀作法の重要性が高くなるので、早目に習得しといた方が良い」と諭され、「確かに」と納得した信吉は、言継の「今なら格安大特価で、指導役を派遣出来るぞ?」という、胡散臭い深夜ショッピングの如くな歌い文句に釣られ、目先の欲に捕らわれて二つ返事で了承したのが、信吉の運の尽きであった。


それはさておき、


実際に戦国期を代表する、教養人・細川幽斎ゆうさい(藤孝)曰わく、


「※うた連歌れんが 乱舞らんぶの湯を 嫌う人 育ちの程を しられこそすれ」


という武士として学ぶべき、基礎的教養を和歌調にして詠んでおり、特に和歌は最低限学ぶべき必須教養であり、例えば毛利元就の次男・吉川元春などは、「和歌が出来ぬ者、即ち教養無き者は武士人の上に立つ者あらず」と言い切り、前線の隊長クラスは武勇で選び、指揮官クラスは教養を持った者を選んだと云われるぐらいは、必要不可欠な教養であった。


(※・・・歌=和歌の事。

連歌=和歌の五・七・五・七・七の31文字の内、五・七・五の上の句と、七・七の下の句の2つに分け、それぞれを別々の人が詠み上げて、1つの和歌を合作する事。

乱舞=般若や翁といったお面を被って舞う、室町期に観阿弥かんあみが興したのうの事。

茶の湯=茶道の事)


これ程戦国期に和歌が重要視されたのには、ちゃんとした理由があり、よっぽどの緊急時でもない限り、出陣前には必ずといっていい程、歌会うたかい=和歌の発表会が、開催されるのが慣習で有ったからである。


そう、甲冑に身を包んだゴツいオッサン連中が、短冊を手に和歌を詠い上げ、自身の教養をアピールしていたのであった!


現代風に例えれば、顔中が傷まみれの厳ついヤーさん893達が集まり、チャカ拳銃ドス短刀を身に着けた完全武装状態で、出入り抗争前にポエムの発表会をしているのに近い感じである。


現代人の感覚から観たら、相当シュールな光景であった。


そういった感じで、物々しい格好で歌会が開催されるので、史実では読み書きがマトモに出来なかった秀吉も、聴講ちょうこう(講義を耳で聴いて頭で覚える)で学んでいた模様。


因みに今代の秀吉は、信吉の「読み書きが出来る男はモテる!」という、信憑性皆無のデマに惑わされ、女にモテたい煩悩の一心で習得しており、読み書きに不自由していない状態になっている。


そして何故こんな事を、いきなり言っているのかと言うと、


「「「・・・・・・・・・ムリ・・・。」」」

真っ白な短冊を観つつ、ガックリとうなだれる、武士に非ずな秀吉・秀長・信吉の3人。


彼ら3義兄弟は出自故なのか、この手の教養が極端に苦手だった。


和歌には大きく掛詞かけことば枕詞まくらことば縁語えんご序詞じょことばの4つの要素が有り、


掛詞・・・単語に2重の意味を持たせる事。

あき→「秋」=「飽き」や、よる→「夜」=「寄る」といった感じのモノ。


枕詞・・・特定の語句を導く為の導入部、前置詞(助詞)に近い役割を持つ単語の事。

ちはやふる→神、たらちねの→母、あをによし→奈良といった、この単語が出れば必ず、次にこの語句が続くといった感じのモノ。


縁語・・・1つの単語で連想させる事。

波=立つ・寄せる・返る、弓=張る・引く、といった様に、含みを持たせる感じのモノ。


序詞・・・枕詞と違って決まった語句を導く訳でなく、自由に枕詞を創始し掛詞等も使った、非常に難易度の高い表現方法。


と言う様な感じで構成されており、複雑怪奇な約束事に「解るかいこんなモン!?」と、秀吉・信吉の義兄弟は匙を投げていた。


(つーか言葉や文字に、こんな隠語紛いや含みを持たせて、当たり前に解っているのを前提に、「察しろ」みたいなモン和歌等を作り続けた結果、みやこ言葉=京都弁って余所者が聴くと、物言いに裏が有るって思っちゃうんじゃねーのかねぇ?)

京都弁の成り立ちを邪推する信吉。


そんな2人が速攻で投げ出した、和歌の難解な約束事に対してめげず、せっせと制作に励む秀長と、


「え~と、こんな感じかなぁ?」

スラスラと和歌を作る家定。


「・・・ふむふむ、表現に粗さは有りますが、中々お上手ですね。

家定様は詩才がお有りかも。」

「え、本当に?いや~それ程でも。」

指導役の涼さんに褒められて、照れくさそうに顔を赤らめて頭を掻く。


どうやら家定は意外な才を持っていた模様。


「良し、和歌の制作は任せた!の○太兄貴!

兄貴が作った和歌を、扇子に丸写ししておけば、出陣前の歌会で発表する時、自作をしなくて済んで楽だし!」

「おおっ!?それじゃあ!!

流石はセコい事を考えるに関しては、天下一品じゃのう小吉よ!

適材適所、儂の分も宜しく頼むわ家定よ。」

信吉の裏技と言うかセコ技に秀吉は、「その手が有ったか!」とポンと、手の平を拳で叩いて感嘆する。


躊躇いもなく自力で習得という正道を逸れ、即座に邪道な裏街道を驀進ばくしんするゲス信吉と、それに続かんとする秀吉は、それぞれが褒めているのか貶しているのかが判らない、ビミョーな感想を述べ、2人して笑顔で家定の肩を叩いた。


「いや待てコラ小吉、○び太って誰だよ?

何かそこはかとなく、馬鹿にされている感じがするからやめろ。

それと殿?殿も一軍の将なんですから、将来を考えて、覚えておいた方が良いのでは?」

「心配するな家定。

儂が将来軍団長に成ったら、絶対に歌会なんぞせんから安心しろ。」

「じゃあ何の為にしてるんですかコレ!?」

身も蓋もない秀吉の発言に、思わず突っ込んでしまう家定。


「若しくは誰かが作った歌集を入手し、それを転用パクるするのも1つの手段ですね。」

前世の記憶で、「某栄光的な立志伝・2作目」に於ける、朝廷工作の場面で、苦い思いをした事を思い出し、秀吉に提案する。


この2作目の朝廷工作は、歴代作品の中でも最高に難易度が高く、礼法のスキルを持っていないと門前払い、スキルを上げて屋敷に入れても、朝廷の窓口係である貴族に和歌を出題され、低いと満足に答えられずに追い出されたりと、マトモに相手にされずに主命失敗となるのである。


礼法を最高レベルまで上げるか、最高レベルのお供を連れて行かないと、マトモに主命達成が出来ない鬼畜仕様であり、出題される和歌も競技かるたで使用される、「小倉百人一首」からランダムで出題される為、最高レベルでも選択肢が発生した場合は、小倉百人一首の和歌を知っていないと、どうにもならない場面も多々あった。


(まぁ俺の場合は、学校の国語の便覧書参考書に、百人一首の句の解説が載っていたから、普通に対処出来たけどな)

学校書籍の中で唯一無二に、私生活で役に立った教科書であった。


そうした苦い思い出を思い出し、「他者の歌集を丸パクリしたらえ~やん」という、ゲスい思考に思い至ったのである。


それはさておき、


「おお、妙案じゃ小吉!早速収集しよう!

家次の義伯父なら元紙問屋の繋がりで、その手の伝手も有ろうぞ!」

即座に尻馬に乗る秀吉に対し、


「ちょっと待った兄者と小吉君!?

折角涼さんが教授してくれているのに、それを蔑ろにするのは、失礼過ぎるよ流石に!」

普段温厚な秀長が、怒りを露わにする。


「いえいえ雅楽允秀長様。

修理少進信吉様の仰っている事は、決して間違っていませんよ。

寧ろ和歌は私もそうだった様に、模倣もほう(パクリ)から始めるべきモノですから。」

自分を擁護してくれた秀長に、微笑みを浮かべつつ、信吉のやり方に賛同する。


「えっ?そうなんですか涼さん?」

「はい、雅楽允様。

いきなり和歌を詠めと言われて、はい解りましたと詠める方は早々居ません。

私とて実家に有った、父祖の歌集を基に学んで覚え、身に付けたモノですから。

だからこそ詠めた家定様は、詩才が有ると私が言ったのですよ。」

模倣を推奨する理由を述べた。


「・・・なる程、そう言う事ですか。

あの~涼さん?雅楽允と呼ばれるのは面映ゆいので、小一郎と呼んでください。」

なる程と納得しつつも、官位呼びは止めて欲しいと要望する秀長。


「承知しました小一郎様。

では早速皆様方、実家や山科家で収集されていた、歌集を持って参りましたので、写本がてら書き写して覚えましょうか?」

後ろに有った包みを解き、何冊もある歌集を前に出した。


「「「「うっ、うう・・・。」」」」

「幸いにも家次様のご協力で、書く紙には事欠きませんので、どんどん書いて学習していくとしましょう。」

たじろぐ生徒達を余所に、笑顔で宿題を提供する涼先生。


信吉にはクールビュ一ティな涼先生の顔に、目尻が尖った眼鏡が付いていて、クイっと眼鏡をいじる姿が幻視出来るのであった。


そうして書いて学習する事になった信吉達は、せっせと割り当てられた歌集の写本に勤しみ、最後の方は無我と言うか明鏡止水の境地(?)で、写本を成し遂げた信吉達は再度、和歌の制作に挑むのだが、


「え~とあのですね、雅楽助秀吉様?

流石に丸写しはまずいかと・・・。」

「修理少進様は、もと(上の句)は中々お上手なのに、どうにもすえ(下の句)がちょっとおざなりでしょうか?

それと本に季語(季節を表す語句)を入れる癖がお有りですが、入れる必要性は有りませんし、入れると却って難しくなりますよ?」

「小一郎様は努力次第で、まだまだ伸び代が有りそうですので、頑張ってくださいませ。」

「家定様は粗が取れて、洗練されていっている感じですので、このまま精進を怠らずに。」

四者四様の結果が返ってくる。


わりと辛い採点であった。


(しゃあないやん!どうしても前世の癖が出ちゃうんだから!

しかし俳句と違って和歌って、季語を入れる必然性が無いって知らんかった。

和歌に適性があるタイプは、俳句・短歌両方に才を見せた※正岡子規まさおかしきは兎も角、高浜虚子たかはまきょしみたいな定型俳句タイプじゃなくて、種田山頭火たねださんとうか河東碧梧桐かわひがしへきごとうみたいな自由律じゆうりつ俳句タイプの方が、向いている感じだなぁ)

脳内思考をしつつ、和歌の制作に向いていないのを自覚する。


(※正岡子規・・・近代俳句の基礎を築いた俳人であり、短歌も好んだ歌人。

新聞記者を勤めつつ、俳句・短歌制作にも勤しみ、野球をこよなく愛する人物であった。

因みに野球を愛する余り、本名の「のぼる」から「野球のぼーる」と号しており、当時「棒球ぼうきゅう」と呼ばれていた野球が、子規の号名から野球に変わったという、珍説の持ち主でもある)


一応、信吉も前世では子規と同じく、「俳句王国」(多分自称)と呼ばれる県の出身なので、俳句には嫌でも親しみが有るというか、学校行事で普通に俳句制作があり、県内の生徒を対象に催されている、俳句コンクールにも入賞した事があった。


因みにその時入賞した句は、


「夕暮れに 落ち葉舞い散る 無人駅」

という句であり、(9歳)の時に作ったモノである。


誰が聴いても「嘘付けぇお前!?」と叫ぶ、誰が観ても年を取った人物っぽい、枯れた感性の有る一句だが、それもその筈、当時の学校の校長がした一句だったのだから。


校長爺の言い訳曰わく、前世の自分を含めた何人かの生徒が作った、コンクールに提出する俳句を紛失してしまい、代わりに自作の俳句を提出したらしい。


しかしながら意外にも思わぬ才能を発揮し、代わりに作った作品の半分以上が入選してしまい、当然作った覚えの無い自分を含めた生徒達が、自分のクラス担任の教師に報告し、PTA(保護者会)にも即座にバレて、校長爺のやらかしが明るみに出る事となる。


結果的に全校集会で事の経緯を、校長爺自らが説明して陳謝、翌年には転任していく事態を招いたのであった。


因みの因みに、前世の信吉の住んでいた所の最寄り駅は、落ち葉が舞い散る無人駅処か、県内一の温泉街に有る駅であり、何気に観光協会にもケンカを売っていた校長爺である。


それはさておき、


前世の俳句癖がどうしても出てしまい、大苦戦する信吉に反比例して、鼻歌混じりにサクサク創作する家定に、仄かな羨望を抱きつつもふと秀吉を観ると、熱心に涼先生に指導を受けているが、涼先生が近付くとキョドったり、顔を赤らめる弟の秀長を観て、ニヤニヤと笑い顔を浮かべていた。


(殿も女慣れしていない、小一郎さんの挙動を楽しむなんて悪趣味だなあ)

そう思いつつ、釣られて秀長を観ていると、


「やっぱり、あれは惚れているわね~。」

確信めいた口調と共に、秀吉と同様の表情を浮かべた寧々姉さんが、顎に手を添えつつにょっきりと、信吉のすぐ脇に現れた。


「うぉいびっくりしたい!?

いきなりひょっこり出て来て、びっくりさせないでよ寧々姉さん。

どうして居るの姉さん?」

「うん?まぁ休憩に白湯でもと思って、やってきたんだけど青春してるわねぇ~。」

信吉の抗議も軽く受け流し、アーモンドアイな目を細め、猫の口の様に「〰」字に口元を歪め、秀長を観てにやつく寧々。


「えっ?そうなん姉さん?

俺には女慣れしていないから、緊張しているのかと思ってたんだけど?」

「まぁそれも有るでしょうけど、あれは間違いナシに惚れた者の挙動ね。

経験者の私には一目瞭然よ!」

自信満々に(無い)胸を張る。


「う~ん姉さんって、あんなにしおらし・ひだいひだい(痛い痛い)!?

ほうですね!経験豊富な姉様の言うとおりですから、ほっぺをつねらないでください!」

要らぬ言葉を言ようとした瞬間、寧々にゴムの如くほっぺを引っ張られ、即時に降伏して迎合する下僕の鑑。


「涼ちゃんは17歳でまだまだ若いし、女慣れしていない小一郎君とは、有る意味でピッタリなんだけどねぇ。

涼ちゃんがでも惚れた弱みで、小一郎君も気にしないだろうし。」

「ええっ!?涼先生って結婚してたの!?」

意外な情報に驚いて涼を観る。


「そりゃそうでしょ?

阿茶さんみたいに特殊な例を除けば、普通はとっくの昔に結婚していたに、決まっているでしょうが。」

何言っているのよアンタは?といった、呆れた表情で信吉に告げた。


茶々経由の話は曰わく、涼は余所の貴族家の分家に、12歳の頃には嫁いでいた様だが、2~3年経っても子供が出来ず、嫁ぎ先から離縁されて実家に出戻りになった模様。


実際に江戸時代ぐらいまでは、結婚後5年ぐらいの間に子供が出来ないと、女性は「石女うまずめ」と蔑視されて、離婚事由に相当するのが当たり前であり、嫁側は石女扱いに怒る処か、婿側に陳謝するのが通例であった。


又、他にも女の子しか産まない女性も、「女腹おんなばら」と呼ばれて蔑視され、歴とした離婚事由になり、「枕草子まくらのそうし」の作者として有名な清少納言も、女腹を理由に離婚になったと云われている。


「そう言う訳で、京に居ても再婚の芽がないし、山科卿も惜しんで阿茶さんと、一緒にコッチに来させたみたいねどーも。」

頬に手を添えて同情気味に、信吉に教える。


(う~ん、子供が出来ないのって、痩せた涼先生を観ると単純に食料事情、栄養不足が原因じゃないかなぁ?

一応姉さんもその可能性が有るから、せっせと金を稼いで、食い物に困らない環境を作っては居るんだけど・・・こればっかりは天の授かり物だから、前世みたいに体外受精で、ポンと作りましょうとはいかないし)

寧々姉さんを見つめて、脳内でボヤく信吉。


個人名「フォアグラ作戦」と、寧々姉さんに知られたら、「顔面正拳付き」で確実にぶっ飛ばされる、作戦を遂行中の信吉であった。


「う~ん、端から観るともどかしいわねぇ。

小吉アンタ、小一郎君に「幸せのお裾分け」をしてあげなさいな。」

「はい!?幸せのお裾分け?ナニソレ?

それって只の出歯亀じ・・・いえ、姉様の仰る通りですね!

私に万事お任せください姉様!」

姉ちゃんパワーならぬオーラに気圧されて、唯々諾々と従う下僕。


(しくしく・・・何でこんな事に・・・)

顔は笑みを浮かべ、心で泣く。


こうして信吉は心の底から望んでもいない、恋のキューピット役を否応なくに、やる羽目になったのであった。


                 続く

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