第32話寧々姉様と第六天魔王。
「ううっ・・・ぐすん・・・さらば、我が食っちゃ寝の日々よ。」
名残惜しそうに躑躅ヶ崎館を返り観て、凡そ2週間に渡る優雅な食っちゃ寝と、安楽の日々に涙する信吉。
「ううっ・・・ぐすっ・・・もう嫌、我が弟が元で泣く日々よ。」
名残惜しそうに館を振り返る
1565年3月、信吉は実兄・杉原家定の迎えにより、兄弟で正反対の涙を流しつつ、帰国の途に付く事になった。
当初は当然の如く、信吉は真冬に帰る積もりは毛頭無く、「暖かくなったら帰ります」とノッブに手紙を送り、テキトーに信玄に「某栄光的ノッブの野暮」の、歴代「武田家のテーマ」を笛で演奏し、後はゴロゴロしつつ食っちゃ寝を堪能していたのだが、短気なノッブが見過ごす筈もなく、秀吉経由で家定に白羽の矢が立ち、迎えという名の強制送還に来たのである。
当たり前に信吉は抵抗し、柱に蝉の様にしがみついて拒否したのだが、寧々姉さんからの「拾(10)・玖(9)・・・」と、カウントダウンの数字が綴られた、内容の手紙に顔面蒼白、即座に帰国を決意したのであった。
来た道を
「・・・只今帰りました大殿様。」
「フンッ・・・漸く戻って来おったか、このたわけ小猿め。
遊び呆けていた様じゃのう、貴様?」
詰問口調で信吉を責める。
信吉が報告している広間には、ノッブは無論の事だが、家臣は主の秀吉や森可成、丹羽長秀や池田恒興といった腹心のみが居り、一様に呆れた表情を浮かべていた。
「いや~上げ膳据え膳の、良い待遇を味わう事が出来ました。
信玄坊主の紹介で温泉にも浸かれて、致せり尽くせりでしたね。」
「・・・すげぇなお前、殿の御前で悪びれもせずに、堂々と言い切るクソ度胸。
有る意味尊敬するわ本当に。」
後ろ手に照れた表情を浮かべる信吉に、まじまじと感心する恒興。
「き、貴様っ・・・ふぅ、まぁ良いわ。
それでどうであった武田家は?」
「はい、先ずは渡り巫女が、武田家の
十分にご注意くださいませ。」
「「「「「はぁ!?」」」」」
ノッブ達が異口同音に声を上げる。
「何処でそれを!?」
「上洛の際に立ち寄った甲賀郡で、噂を耳にしていたので実際にカマを掛けた所、重臣達に激しい動揺の兆しが見えました。
十中八九、真実と観ても良いでしょう。」
テキトーに前世知識に理由付けをし、誤魔化しつつも注意喚起を促した。
(何か昌幸さんが、それらしい探りを入れて来てたから、そういう事にしておこうっと)
コレ幸いに便乗する。
「フンッ、占い巫女の仮面を被って男に近づき、寝物語をペラペラと喋る様に仕向け、目的の内情を得ている、という事か・・・。
神聖な巫女を悪用するとは信玄坊主め、
不機嫌極まりない表情を浮かべ罵るノッブ。
(ああ、そう言えばノッブの織田家は、元々
そら~神主系の人間からしたら、不信心もいいとこの暴挙だわな)
ノッブの怒りに納得する信吉。
一般的に無神論者のイメージが強い信長だが、仏教徒ではなく熱心な神道信者であり、幼少の折から熱田宮に参拝しているし、史実に於いて田楽狭間の際にも、必勝祈願を願って詣でている程である。
後に覇者になっても信仰心は変わらず、忙しい合間を縫って、伊勢神宮を数度詣でているし、神仏を証人とする起請文を、武田信玄を始め大多数の大名は興しているが、信玄を含めた大半が平気で破っているのに対し、清洲同盟の際に徳川家康と交わした起請文を、ノッブは終生破る事は無かった。
第六天魔王と謳われ、神仏に中指を立てているキャラ扱いされる事の多いノッブだが、他の大名が「自分の○○の願い事を成就してくれた
それはさておき、
「
「「ははっ!」」
「という事で殿、注意してくださいよ?」
「コッチに振るなアホ!?」
ノッブの面前で信吉に注意喚起され、ワタワタと焦るエロ猿。
「猿・・・解っておろうな?」
「む、むむ無論にございます殿!」
「良し、寧々にも通達しておく。」
「全っ然信じてくれない!?」
全く下半身に信用の無い秀吉であった。
「他に何か感づいた事は?」
「此度の武田家との同盟ですが、恐らく続いても当代まで、次代には縁切れになるかと。」
「ふ~む・・・次代と申せば信玄坊主の跡取りは、嫁の実家・今川家の仇敵に当たる、儂に含む所が有ると言う事か?」
嫁の実家であり、当主・
「それも全く無い訳ではないでしょうが、信玄の嫡男・義信はどうやら美濃を欲しており、そちらの思惑で大殿様の存在が疎ましい様ですね。」
「なぬ?武田の跡取りは、儂と同じく美濃にご
つまり西進を目論んでおる、という事か。」
顎に手を添えつつ、
「して、肝心の信玄の方はどうなのだ?
我が家と婚姻を結んだ以上、
若干、固い声音で信吉に問う。
「ええ、忽ちは狙っていないかと。
じっくりと美濃か駿河を天秤に掛けて見定め、どちらにしようか吟味中で、隙あらばといった所でしょう。
個人的には7割方、駿河狙いと観ますが。」
個人的な憶測を添えて、「実際は100%だけどね」と脳内で言いつつ答える。
「しかし信吉、我らが織田家も今川家も、婚姻関係を結んでいる家同士、そんなに簡単に手切れ・縁切りが出来るか?」
「いやいや丹羽様、それこそ信玄坊主なら、いとも簡単にやってのけますよ。
何せ親殺し一歩手前の実父追放と、実妹が嫁いでいた諏訪家を攻めて滅ぼした上に、滅ぼした諏訪家の息女との間に出来た、我ら織田家の婿になる勝頼を当主に据えて再興させ、実質乗っ取りをした非情な者ですから。」
甘っちょろい事を述べる長秀に、信玄が行った代表的な不義理の業績を述べた。
「信玄に取って同盟・婚姻は、武田家の利害得失に因って簡単に、只の紙切れ一枚及び口先一つで、成立・解消されるぐらい程度のモノにしか過ぎません。
それこそ例えば我が家が斎藤家に大敗して、勢力が減退したと観れば、即日攻め込んで来かねない程は、軽い代物ですよ。」
油断すれば、後背を刺されるぞと警告する。
武田信玄の行動は、一貫して「武田家の繁栄・伸長」に準じており、あくまで武田家の利になる事に沿って、周囲との関係の離合集散を行っているのである。
故に信玄は徹底して怜悧冷徹な行動を取り、自家の利益の為ならば、例え世間に非難されようと、婚家や同盟者から不義理と
「つまり信玄の腹積もりは、伸長著しい我が織田家と衰退
「恐らくは・・・。」
「フンッ・・・。」
安堵感と不快感がない交ぜになった、複雑な表情を浮かべるノッブ。
「
「但し、家全体が信玄の駿河・今川家の、南進攻略に賛同している訳ではなく、義信の美濃西進攻略に賛同している者も居り、当主親子を軸に意見が分かれている感じですね。」
自己分析で、意見が割れているのを告げる。
「小猿よ、貴様の
「武田家に取ってはどちらも一長一短ですが、我らには西進=近交遠攻策よりも、南進=近攻遠交策の方が遥かにマシですね。」
織田家の視点で表す。
「いや、武田家の視点で両策に対する、利点・欠点を述べよ。」
「はい、先ずは義信の西進策の利点ですが、三国同盟を維持即ち、後背を気にせず美濃攻略が可能であり、美濃を
「へ?今川家を乗っ取るだと!?出来るのかそんな事がよ?」
恒興が口を挟む。
「今の今川家の現状だと可能ですね。
一向一揆を制して三河を統一した、松平家の勢力伸長が著しく、遠江まで進出して来ているのにも関わらず、何ら有効な手立てを講じない、今川家当主・氏真に対する不平不満が、領内の国人衆の間で噴出して、相当高まっているでしょうから。」
今川家の現状を述べ、
「それに比べて武田家は精強且つ、あの「甲斐の虎」・信玄が当主で頼もしく、姉が氏真の母で嫁が氏真の妹という、二重三重の血縁関係が有るオマケ付き。
なので義信と氏真の妹の間の子を、氏真の養子にするなりして、頼り無い当主との交代をと望む国人衆も、少なくないかと。」
駿河・遠江国人衆の、心情を予測する。
「しかしそれなら同じ血縁関係の有る、北条家も黙っておるまい?」
「黙ってはいないとは思いますが、両家の血筋・家柄・地理を比較すれば、同じ源氏で古くからの守護大名家且つ、十数代に渡る歴史と同程度の勢力を持っていて、陸続きの武田家に軍配が上がるのは確実でしょうね。」
「う~む、確かに・・・。」
信吉の意見に頷く可成。
歴とした足利家の連枝で、源氏の血筋で有る今川家の家臣達からすれば、同格に近い武田家の方が収まりが良く又、特に遠江の国人衆から観れば武田家の方が、信濃の飯田方面から三河に牽制、天竜川沿いから援軍が期待出来る、といった明確な利点が有る為、支持を受けやすい側面もあったのである。
逆に北条家は、今川家の家臣達から観れば、血縁関係は氏真の祖父・
(※・・・一般的には「北条早雲」で知られているが、早雲自体は北条家とは血縁が無く、鎌倉幕府の執権・北条家の末裔である、妻との間に生まれた子の氏綱が、北条姓を名乗ったのが後北条家の始まりで、早雲の代は伊勢姓を名乗っていた)
「まぁ、西進策の1番の利点は義信からすれば、父親の信玄を越える声望を得れる、という事でしょうけど。」
「フンッ、偉大な父親を持つ者の苦悩か。」
鼻を鳴らしつつ、一定の理解を示すノッブ。
「では欠点はどうじゃ小猿?」
「1番の問題点は、甲斐からの「遠征」になる距離と険阻な地形ですね。
次点で、我ら織田家を敵に回す事の厄介さ。
次に美濃を制した場合の地理的な、統治・維持管理の難しさといった所でしょうか。」
3本の指をピッと立てる信吉。
「理由を述べよ。」
「先ずは信濃を経由して遠征する事に因る、兵糧の負担が相当に大きいのが、食糧生産力に乏しい武田家には、1番の問題でしょう。」
長距離移動=兵站に難の有るお家事情と、
「そして特に信濃・筑摩郡から、美濃・恵那郡に至る木曽路の間は、険阻な地形のせいで否が応でも行軍速度が落ちますし、道幅も狭い為に大軍の利を活かせないので、抜けるまでの道程にモタモタしている間に、その先を塞がれて立ち往生し、後方が遊んでしまう上、こちらからは大軍が展開出来る状態で迎撃される、致命的な問題が生じる事です。」
地形的に信濃から美濃への、軍勢進出の困難さを上げる。
謂わば西進策は三国志に於ける、蜀漢の諸葛亮の北伐と同じく、険阻な地形により兵站の確保が難しい為、敵から持久戦に持ち込まれれば兵糧不足に因って、撤退せざる得ない状況に陥り、徒労に終わる可能性が高かった。
実際に信玄も困難さは理解していた様で、信長との手切れ後も、木曽路の侵攻ルートは千単位の中規模しか動員せず、別働隊や助攻として活用しても、堅実な信玄はメインルートに使用する事は無かった。
「ふむ、なる程。
ではウチを敵に回す厄介さとは?」
「1番の問題点と連動して尾張と甲斐では、美濃への移動距離と進軍速度が違い過ぎる事と、あくまで我ら織田家の
万一美濃領を失っても、捲土重来が可能な事即ち、我ら
最悪の敵に転化する事を示唆する。
尾張は熱田・津島といった商業都市=豊かな経済力に加え、尾張平野という農業地域=豊富な食糧生産力をも併せ持つ、ハイブリッド国で有るので、織田家は継戦能力=持久戦に秀でており、短期戦が主流の武田家に取っては、最も厄介な敵になってしまうのである。
「ふむふむ、武田家にとって常に横腹を突く我ら程、厄介な敵は確かに居るまいなぁ。」
納得顔で頷いた長秀。
「3つ目はもしも美濃を制しても、信濃の木曽路を通じての統治・管理は、特に厳冬期には連絡・兵馬の交通が、遮断されて非常に難しく孤立し易い為に、我らや周辺国の侵攻に対処が困難な事ですね。」
数多の問題が発生する事を告げた。
「ふ~む・・・では武田家が甲斐から信濃に、本拠地を移した場合はどうじゃ小吉?
地形的な問題は兎も角、兵馬・兵糧面の移送に関しては改善しそうじゃが・・・。」
信吉の言に疑問を呈する秀吉。
「まぁ、それが出来たら、苦労はしないのですけどね殿。」
「うん?出来ぬのか?」
「その辺は名門の
守護大名にとって
首を左右に振って難しいと告げる。
「ふ~ん、そんなモンか?」
「もし甲斐から信濃に本拠地を移した場合、
「???よ~解らん?」
「そのまま信濃国を本拠地にして、代替わりをしていけば、信濃国人衆が譜代衆の主流になり、その反面甲斐国人衆の殆どは、主流から外れていくからです。」
他国に本拠地移転=譜代の定義も、他国に移る事を教示する。
「あっ、なる程のう・・・新旧の家臣団の立場が、交代・逆転する訳か。
そりゃ揉めるわな。」
「ええ、名門・守護大名家なら余計に。
大体守護大名家の譜代衆は、元は一門衆の連枝・分家が多く、大なり小なり血縁関係が有るので、下手すれば一国全体を丸ごと敵に回しかねない、大事になる可能性が大なので。」
名門だからこその強みと弱みを示した。
戦国大名の代表格である、伊勢早雲(伊豆→相模)や三好長慶(
「ですので大殿様みたいに、自家の譜代衆を経緯はどうあれ、力尽くで斬り従えでもしない限り、他国に本拠地を移転するのは、不可能に近い事になるんスよ殿。」
「おい、コラ小猿・・・何ぞ儂に含む所が有るのか貴様は?
・・・まぁ良い、貴様の話を聞けば、西進策を推しているのは信濃国人衆が多く、南進策は甲斐国人衆が多い感じか。」
剣呑な表情で扇子をパチパチと開閉しつつ、信吉を見据えて呟くノッブ。
「大凡西進策の利点・欠点は判った。
南進策の利点・欠点を述べよ小猿。」
「はい、承知しました。」
ノッブの表情を意に介さずぺこりと頭を下げて、南進策を述べる信吉であった。
続く
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