第八章 学園長の遺した謎(二)

 目を開くと、まだ夢の中なのかと咲羅は錯覚した。そのくらい暗かった。カビ臭さが鼻につく。上体を起こす。左半身が痺れていた。手をついた床は硬く、冷たい。少しざらついていて、人工的な床ではなく、自然の岩なのではないかと思った。

 恐ろしいほど静かだ。そして、生き物の気配を感じない。《夜眼》を使おうと試みているが、うまくいかない。呼びかけに応じる精霊がいないようだった。

 咲羅は心細くなって、四方をまさぐった。人が一人、足を曲げれば横たわれるほどの空間しかない。三方には壁があった。そして最後の一方は、ざらついた縦棒が何本も横並びにあった。棒を触った手を嗅いでみると鉄臭い。

 牢屋だ。わたしは今、牢屋に入れられている。

 理由は明白だった。学園を脱走しようとしたからだ。脱走者には罰が与えられると聞いたことがあった。これが、その罰なのだろうか。それとも、これから罰が与えられるのだろうか。

 咲羅は膝を抱えた。なんであんなことをしたのだろう、と自分の行動を反省した。学園から出られるわけないのに。出たところで、村へ帰る手段はないのに。風原では独自の通貨が使われている。そのため咲羅は、外界で使えるお金を一円足りとも持ち合わせていなかった。

 突如かつんと硬い音が闇を突き破った。咲羅は反射的に体を強張らせる。音は一定間隔で近づいてきた。ヒールが地面を叩く音だとわかった。正面に橙色の明かりが広がった。角から姿を見せたのは、祥子だった。

 咲羅が、今一番会いたくなかった人。

 咲羅は体を動かすことも、視線を逸らすこともできなかった。ただ、近づいてくる祥子を見つめていた。

 祥子の持つランタンの光が、錆びた格子を照らした。

「あんた、バカやったわね」

 格子の前でしゃがんだ祥子が言った。ランタンは床に置かれたため、祥子の表情は半分闇に包まれ、ぼんやりとしか見えなかった。

 咲羅は何か言わなければと思い、声を出そうとして、喉に何かが引っかかった。激しく咳き込む。

「ちょっと、大丈夫?」

 祥子の声はやさしい。その声に、今度は鼻の奥がつんと痛むのを咲羅は感じた。

「祥子さん……ごめんなさい」

「何かあった?」

 油断したら泣いてしまいそうで、咲羅は自分の膝に爪を食い込ませた。

「空芽さんって人と会って……」

「ああ、あの子、なんか言った?」

「わたしのせいだと。前学園長が、持之さんが――」

 この先は言葉にできなかった。人の死という重みを、まだ自分の声で確かめる勇気がなかった。

 祥子の口からため息が漏れた。咲羅はますます膝を握る指に力を入れた。

「ちょっと、あんたに怒っているわけじゃないから、その手を離しなさい。血が出てるから」

 言われてからようやく、両手の爪の間に、赤黒い血が入り込んでいることに気がついた。

「この空間では才が使えないから、後で治してあげる。朝になるまでは出られない決まりだからね。まったく、脱走なんてあたしですらしたことないのに、あんたって子は」

 祥子はタイトなスカートが持ち上がることも気にせず、胡座を掻いた。

「でぇ? 空芽の言うこと間に受けて、逃げたくなったわけ?」

「本当のことですよね。村の《結界》が壊れた音、確かにわたしも聞きました。持之さんは、私を守って、それで……」

「《結界》のことはあたしも聞いてるわよ。その中で咲羅が暮らしていたのなら、きっと持之はあんたを守っていたんでしょうね。でも、それでなんで咲羅のせいになるのよ」

「だって」

 皮膚を裂いた膝が急に痛み出した。

「持之はね、戦闘時に負った怪我が原因で亡くなったの。誰かが悪いって言うなら、戦闘相手に決まっているでしょう」

「でも、わたしがいなかったら、怪我を負わずに済んだんですよね」

「結果論でしょう。なに? あんた、あたしを怒らせたいの?」

 咲羅は全力で首を横に振った。

「祥子さんは……わたしを恨んでないんですか」

 祥子は黙っていた。沈黙に耐えきれなくなった咲羅は、震える声で続けた。

「空芽さんみたいに、わたしを責めたいって思わなかったんですか」

「……咲羅の存在を風牙から聞いた時、何も思わなかったわけではなかったわよ。でもね、空芽はあの人のこと、何も分かってない」

「え?」

「こっちおいで」

 祥子に手招きをされた。咲羅は呆気にとられたまま、四つん這いで格子に近づいた。

 格子の隙間から祥子の腕が伸びてきて、頭を撫でられる。

「的場持之って人はね、歴代最高と言われた結界師だったの。誰かを守ることが、あの人の人生だった。もし咲羅を守ってなくても、きっとあの人は、何かを守ることで命を落としたと思う。ヘラヘラしているように見えて、頑固で、責任感が強くて……温かい人だったから」

 祥子は口元をほころばせた。

「あたしは嬉しいの。あの人の守った証である咲羅に、あたしのすべてを伝えられることがね。だから」

 祥子の手が頭から顔に下りてきて、目元を拭われた。

「泣いてばっかりいないで、前を向きなさい。あんたが学ぶことは、まだ山ほどあるんだからね。返事は?」

 咲羅は震える顎を、奥歯を噛み締めることで押さえた。眉を寄せ、目を瞑り、唇を閉じて持ち上げる。すべてを顔の中心に集めるように力を入れると、情けない声でようやく一言を絞り出した。

「はい」

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