第八章 学園長の遺した謎

第八章 学園長の遺した謎(一)

 咲羅は学生寮からほど近い森の中にいた。いつも自主練習の時に使っている場所だ。巨大なけやきの根に腰を下ろし、真っ暗な闇を見つめている。《夜眼》はわざと使っていなかった。今は、光がほしくない。

 上を見上げても、繁茂した葉が幾重にも重なり合い、夜空は見えなかった。祥子と出会った時には確かにあった空が、なくなっている。

 数時間経ってもまだ、咲羅は空芽の言葉を思い返していた。寮に帰らず、何も食べず、ずっと森の中にいた。むせ返るような緑の香りに包まれながら、なんとか平穏を保とうとしては、失敗していた。

 わたしのせいで、前学園長が……死んだ?

 実感が湧かない。風牙が執拗に前学園長の名前を出していたのは、このためだったのだろうか。そもそも、前学園長はなぜ五田村に《結界》を張ったのだろう。なぜ自分を学園へ連れてこなかったのだろう。なぜ、命を落としたのだろう。

 咲羅にはわからなかった。何もわからなかった。的場持之という人に会ったことはない。風人の存在すら今年の三月まで知らなかったのだ。でも、知らなかったからといって、空芽の激情を無視できるほど、咲羅は図太くなかった。

「どうしたらいいの」

 咲羅は額を膝につけた。血が下がっていく感覚がする。脳みそが揺れている気がする。揺らしているのは、自分の鼓動だと気づく。脈打つ鼓動が脳を揺らし、余計に咲羅を混乱させる。

 誰かに相談したかった。でも、誰に言えばいいのかわからない。一番頼りになる師匠には絶対に言えない。だって、祥子は前学園長の恋人だったのだから。

 祥子は知っているのだろうか。知っているとしたら、咲羅を恨んでいるのだろうか。空芽と同じように。自分の感情を押し殺して、修行をつけてくれていたのだろうか。次の授業で、どんな顔をして祥子と会えばいいのだろう。

 夕希や舞弥に相談する? でも、二人にとっても大切な人だったとしたら? お前のせいで、と指を差されることが怖かった。大切な人を失った人の憎しみは、熱くて、重たくて、息苦しい。

 だめ。学園の人は、みんなだめ。前学園長とどんな関係を築いていたか、わからないのだから。

 咲羅はゆっくりと立ち上がった。春風を置いたまま、寮とは反対側にふらつく足取りで歩き出す。何度か根につまずいて転んだが、痛みに声を漏らすこともなく、進み続けた。

 レンガが敷かれた秋の道へ出る。柔らかい土との感触の違いが、靴の裏から咲羅の足に伝わってくる。明るかった。等間隔に並べられた街灯と、月明かりが道を照らしている。交互に植えられた公孫樹いちょうと楓の枝葉が、夜風に揺れていた。

 西へ歩く。門のある方角だ。帰りたかった。父と母が待つあの家に。大桜があるあの村に。

 厳めしい門柱は外塀より一段高く、その頂には見張り台が据えられていた。塀も門柱も白いものだから、夜の景色から浮き上がって見える。反対に、物々しい鉄製の扉は闇に沈んでいた。

 咲羅が門に近づくと、見張り台から警備員が顔を覗かせた。

「誰だ」

「出してください」

「は?」

 警備員は冷たい声を出す。その声には、呆れと警戒が混じっていた。

「外に、出たいんです」

「任務か?」

 咲羅は視線を落とした。

「任務じゃないなら外には出られない。規則だから」

 抑揚のない声は、咲羅の心に響かない。咲羅は鉄製の扉に歩み寄った。

「ちょっと!」

 警備員の語気が強まる。

 無視して、咲羅は鉄製の扉を押した。扉の表面は冷たくて、ざらついていた。

「おい! 脱走者だ!」

 地上に降りてきた警備員によって、羽交い締めにされる。

「離して!」

「大人しくしなさい! 堂々と脱走を試みるなんて、何を考えているんだ」

 咲羅は自分でも理解不能な言葉を発しながら、必死に門に向かって手を伸ばした。規則なんて知らない。風原の常識なんて知らない。

 わたしをここから出して!

 別の警備員が咲羅の前に立ち塞がる。彼は、葡萄色の液体が入った小瓶の蓋を開いた。

 風に乗って、小瓶の中身が咲羅の元へ運ばれてくる。祥子の「睡眠香」だと気づいた時には、咲羅の視界が徐々にぼやけはじめていた。門に伸ばした手が重くなり、踏ん張っていた足から力が抜け、そのまま意識が闇の中へと溶けていった。

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