退いた知的障害者A.W.

 その知的障害者は私から見て最初に開かれた門扉だった。私が初めて入社した際にいち早く声をかけてくださった。1ヶ月ほど経過して、実際の彼の性質を知った。あまり良いものではなく、周りの人もそのように思っていた気がする。彼はそれを察していたのか、いつもフードをかぶって入室してきた。私にかけられたあの一声は、彼にとっては機械的に発された音でしかなかったのかもしれない。

 しかし、彼のそのような態度は彼の本質的特徴とは真逆だと感じていた。かなり優しい人だ。実際、私がカネに困って職場で不機嫌な感情を晒していたとき、彼だけはとなりに座って私を慰めた。私は彼のおかげで孤立せずに済んだ。そして、誰かが私に直接優しさを向けることはもうないと思い込んでいたのだが、その分厚い堆積物を粉砕したのも彼だ(ちなみにそれ以前にKという人が、私の中に植え付けられた別の厄介な思い込みを簡単に打ち砕いた)。

 私はA.W.に対して冷たかった。2人1組で作業したとき、私はわざと彼に冷たくした。理由は、上から目線でものを言ってきたからである。この猿レベルの反応は、いけないと思ってもやってしまうタイプのものである。その反応を起こさないようにするために、いくつかの策を考えていたのだが、本日彼は退職。私は彼から見て冷たい人間として終わった(完全に、ではない。ちゃんと彼と関わったこともある)。

 私は彼の抱える孤立または孤独の悩みを少しは理解できたつもりだ。なぜならば昔から私も孤立して孤独になり、孤独を好きになり、幻想に浸ることを覚えたからだ。ただ、性格が似ている部分がけっこう多く、同族嫌悪に陥っていた可能性が大である。単なる嫌いなやつならばそれで良いかもしれないが、彼は私に対してときには優しさを与えることのできる人間だ。それを思うゆえに、私は悪いことをしたと思わずにはいられない。だが彼は退職した。


 これから先、彼は知的障害者として生きていく。その際、もし私のことを覚えていたら、良いふうにも悪いふうにも言ってもらってかまわない。これから先、私は何かをしながら生きていく。もしも私に対して誰もが優しさを向けないと感じるときが来た場合、A.W.と過ごした日々が確かに存在したことを思い出して、「誰もが」という部分を否定する。そして、もしも明らかに困っている人が目の前に現れた場合、A.W.がやったのを真似していち早く声をかける。私は学習したのである。

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