25話 「雨音の響く森」

 平野を抜けて、森に入る。

 龍が暴れる音を聴きながら、後ろ髪を引かれる思いを断ち切った。


 ミリーを抱えて、言葉も交わさず走る。

 喋らなかったんじゃない。

 運命の不遇さを理解する事が、まだできなかった。

 こんなにも無情な世界であると、思い出したくなかった。


 死も別れも、珍しい物じゃない。

 軍ではあらゆる魔物の死の瞬間に、無念を嘆く人の魂があった。

 驚くほどに死はあっけない。人間でも、魔物でも。

 分かっていたはずなのに。


…………

……


 ふとしたら雨が降り出す。

 9日の旅の中で雨に打たれるのは今日が初めてだった。

 服が濡れ、体温が低下し、息が切れる。


 残り150km程度。

 本来なら数日かけて旅する予定だったが、このまま走るしかないと思った。

 龍はどこまでも追いかけてくる。

 グロムを殺し、こちらへ向かってくるかもしれない。

 今はただ彼の想いを無駄にしないよう、走った。


ーーー


ミリセア視点


 グロムさんを見捨てた。

 あまりにもあっけなく。


 父の死の時もそうだった。

 喪失は、あまりにも突然。

 足掻く人間を嘲笑うように、無情な世界はこちらを覗いている。


 カイに抱えられながら、ただ揺れだけを感じた。

 彼は表情一つ変えず、ただ走る。


「……グロムさんは昔から、カイの相棒だったんでしょ?」

「あぁ。4年前からのな」

「なんでそんなに平気で、強くいられるの」

「そう見えるか?」

「……ごめん」

「責めている訳じゃない」


 少し言い方を間違えた気がする。

 本当に言いたい事は、そうじゃない。

 疑問なんだ。彼の行動が。


「ねぇ、やっぱり聞いていいかな」

「なんだ」

「……なんでこんな事が起こっても、走ろうと思えるの?」


 言いたかった事は、それだ。

 なぜこんな世界を、終わりたいと思わないのか。

 絶望した表情を見せないのか。


 雨音が響き、その喧騒が耳に届こうかという時間を空けて、彼は口を開いた。


「確かにこんな事があった時は、この世界も、人生そのものすら否定したくなるかもしれない」


 彼も、そんな事を思うのか。少し意外だった。


「だがそれはきっと、苦しい時に、悲しい事しか思い出せないだけだ。振り返れば人生も世界も、肯定しうる要素はある」

「……」


 私も、私が見てきた景色は、この生を肯定する上で十分なのだろうか。

 いや、分からないふりをして、もう分かっている。


 胸が痛かった。

 苦しくなって、泣き出したくなる。

 でも、彼を見たら帰りたいなんて言葉は出なくて、言えなくて。


 コロニー003との距離が近くなる事が、ただただ怖かった。

 滴り落ちる雨の寒さが、私の体温を奪い取っていく。

 帰りたいなんて言えない。

 きっとこの先に行く事が、私が幸せになる方法だから。


 そう割り切れば、どこか心が軽くなった。


ーーー


9日目終了


移動距離62km

残り105km


ーーー


カイ視点


 口の中に、血の味に似た何かが広がるのが分かった。

 結局昨日から寝ずに走り続けた。

 走るのを続ければ彼を肯定できると信じ、脳だけを使い、体を酷使する。


 雨は止まず、むしろ一層強さを増した。

 それによってかよらずか、腕の中のミリーが目を覚ます。


「え……ずっと、走ってたの」

「あぁ」

「ごめん、私、普通に走る」


 ミリーは俺の腕から降りて、共に走る。

 息が切れ、ミリーと同等の走力まで落ちていた。

 自分がほぼ歩くような速度で走っていたのだと分かった。


「休憩しよ。ずっと寝てないんでしょ」

「いや、平気だ。せめて森を抜けるまでは走る」

「森を抜けるのっていつなの」

「あと、80kmだ」

「まだ全然じゃん、休もうよ」


 この雨と精神状態の中、眠る事は出来なそうだったので首を振る。

 息を深く吸い込み、歩いた。

 魔物と戦闘になればその怒りをぶつけるように殺し、耐え難い足の疲労感を忘れながら、ただ体を動かす。

 しばらくすると、またミリーに話しかけられた。


「そのさ、カイは、グロムさんと出会えてよかったなって思う?」


 この喪失を美談にしたいのか、そう聞かれた。


「まぁ……思うかもな」

「……こんなに悲しい想いをするなら、出会わなければ良かったとかは、思わないの?」

「……」


 美談にしたい訳では無かったらしい。

 その考え方は、耳が痛いと感じた。

 出会わなければきっと悲しむ事は無い。そうやって関係を否定する。

 だが、グロムに関しては。


「今となっては、思わない」

「そっか」

「逆に聞くが、そう思った事があるのか?」


 ミリーにしては、らしくない質問だと思った。

 いや、子供らしくないと言った方が正しいだろうか。

 少女も出会いに深く絶望する時があるのか、疑問だった。


「あるよ。一回だけだけど、お父さんが死んだ時に、強く」


 婆さんはミリーを知り合いに託されたと言っていた。

 本当の父親がもう長くない事を悟り、ミリーを託して、別れたのだろう。

 どこかうざったい程に、自分の境遇と似ていると感じた。


ーーー


10日目終了


移動距離87km

残り18km


ーーー


 目まいがした。

 全身が鉛のように重くなり、体温の低下を感じる。

 足が自分の物ではないように感覚が無く、動かすたびに軋む。

 それでも、コロニー003まであと9km。003に辿り着いたら、休息を取ればいい。


 ミリーもかなり辛そうだった。

 足を引きずるようにして走り、膝を震わせている。

 それでも歩みを止めない少女は、強いと思った。

 きっとコロニー003に辿り着いて俺と別れても、彼女は1人で生きていける。

 そう感じさせてくれた。


「カイ、着いたよ。あれでしょ」

「あぁ……」


 指さした先を見やると、建物が見えた。

 今まで見てきた建物と同じ、人類が放棄した建物群。

 だがそれらは今までとは格が違った。


 アビスティア。

 コロニー003に付随した都市にして、100年前国屈指の豊かさを誇った巨大都市。


 不思議と、魔物は見えなかった。

 それどころかここまでの5km程度、魔物が居ない。


 コロニー128でもコロニー周辺の魔物を掃討するが、恐らくコロニー003はその点が大きく発展し、この辺りの魔物までも掃討しているのだろう思った。


 満身創痍の中、安堵感と達成感が広がる。

 張りつめていた緊張が解け、感動にも似た何かを感じた。


 もはや、コロニー003は目の前。旅は終わった。

 帰るのは少々骨が折れるが、確実なルートを迂回するようにいけば問題ない。

 そう、胸を撫でおろした時。


 地鳴りがした。

 悪寒がして、理解を拒む。

 だかそれは紛れもなく、一昨日耳にしたあの恐怖に他ならない。

 俺達に狙いを定め、追いかけて来た。

 魔物が居ないのは003の人間が掃討しているからなんかじゃなく、この龍を恐れたからだと分かった。


 逃げられない。

 ここから9km離れたコロニー003にまで逃げ込むのは、不可能だろう。

 一度深く息を吸って覚悟を決め、口を開いた。


「ミリー。今から言う事を、よく聞いてくれ」

「なに?」

「コロニー003まで走って、少なくとも準S級以上の人間を5人連れてきてくれ。アルヴァンに話を通して、人を動かさせろ。随分金持ちなようだから、きっと動いてくれる」

「ねぇ、なんで、そんな事言うの」

「この辺りは奴のせいで他の魔物は居ない。コロニー003までなら、お前1人でも行ける」

「ちがうよ、カイが危ないんだって」

「死にはしない。自己犠牲で言っている訳でもない。それが2人で生き残る為に必要な事だ」

「……やだよ。カイは絶対、戦える状態じゃないよ」

「それしか方法は無い」


 ミリーは俺の服を掴もうとして、辞める。

 一瞬薬指の指輪が見えて、笑ってしまいそうになった。

 何を浮かれていたのだろうか。

 世界はこんなにも無情で、呪われているのに。


 言いたい事は沢山あった。

 旅をして、どう思ったのか。

 何を見た時、一番感動したのか。

 あの時指輪を渡してくれたのは、なぜだったのか。


 全部聞いてみたかった。

 3人でコロニー003に辿り着き、旨い飯を食いながら語り別れる。

 そんな風な未来を、夢想していたのに。


 ミリーは神妙な顔であとでねと告げて、走り出した。

 時間が無い事を、少女も理解してくれたのだ。

 ならば、やる事は1つしかない。


「……やるか」


 杖を持ち、地鳴りのする方へと目を向ける。

 そこには炎を纏った、美しさすら感じる巨体があった。

 都市に隠れられる位置で、姿を現し対面する。


 アビスティアは建物が圧倒的に多く、隠れる場所には困らない。

 だがミリーに標的が定められても敗北を意味する。

 勝利条件は俺が奴の注意を引きながら、ミリーが増援を呼ぶまで耐える事。

 コロニー003までは9km。往復し、人を呼ぶのなら18km。最短でも2時間程度だろうか。


 覚悟して、それでも尚この呪われた世界に抗うように、杖を構える。

 いつの間にか雨は止み、本物の太陽が目を覚ましていた。

 早まる鼓動を抑え、自分の中で成功するイメージを反復する。

 意識を指先に集中させ、龍へ狙いを定めた。

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