第5話
前に、長谷川三千子?という学者の、浮気人類学?だかそういう本をなんとなく読んでいたら、「私も以前は男性の容貌とかあまり気にしなかったが、二枚目なことには、免疫力が強かったり、それなりに肯定的な要素のサインというのが分かってきて…」というような意味の記述があった。
普通、こういう美女やら美男ということに内在する”合理的な”意味という議論は希少にも思う。 顔相見とかなら別やが、造作に、美観の印象以上の意味を見ること自体を忌避するという?暗黙の合意がある気もする。
なぜか?というのはつまり、この前に「天然の美」という曲を揶揄的に扱うという世間的な常識に言及したが、そういう質実剛健を尊ぶ、遊惰なキリギリスではなく勤勉なアリを模範とすべき、そういう風が、常識でないと、ひたすら糸の切れた凧みたいに、どんどん人心だかが軽薄になっていって、なんだか収拾がつかないような? そういう危惧をなす一般的な智慧?ゆえに、二枚目とかを賞揚するのが大人げないことみたいになっている…くどくど言わずとも直観でわかる。
が、「巧言令色鮮し仁」という「論語」の言葉も、たぶん真理である。
畏友の?
高校生くらいの、「恋しりそめし」頃には、しかし、みんな容姿を重要視する…したものです。 で、ボクは、そういう「はしか」の時代を卒業できず、いまだに肌やら筋肉とか気にしすぎている。 前、恋人?に、そういう悩みを話すと、「まあ、高校時代には誰でもそういう蜜月の期間を男女が過ごすんが普通で…」というようなことを教えてもらいました。 そう、そういう気配は察知していたんで?なんとかそういうのに追いつこうとして?追いつけないままに、いまだに悪あがきをしているのだ。 みっともないことおびただしいのである。
Sさんという漫画家で、もう卒寿くらいの人だが、若いころからひたすら「モテたいのにモテない」悩みを戯画化してくりかえし書いていたが、ちょうどボクとおんなじやな?とか、共感していた。 で、気弱だから太宰治の信奉者で、美容やらダイエットとか、ひたすら「女々しい」ことに執着していた…これもぜんぜんいっしょ。
で、まだ存命かはあいまいだが、もうさすがに「モテたい」という欲望は希薄になってはいるだろうな…と忖度すると、自分の未来を見るようで、寂しく、悲しくなる…
それともまだとなりのベッドのおばあさんに付文とか…は、さすがにせんやろな?w
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