第4話
Aesthetisist を、自称しています。 これは、「耽美主義者」、「唯美主義者」という意味で、芸術家には多いだろうか。 初期の谷崎潤一郎の、「刺青」という作品は「耽美的」と言われた。 tatoo のことですが、サディズム、マゾヒズムに、耽美趣味が相俟って、妖美な錦絵みたいな世界が展開しています。
「美」というものをどう定義すべきか。
「天然の美」という古い歌があるが、美文調の、独特な歌詞で、なぜかサーカスとかの”見世物”?興行のテーマソングによく使われる。
一般的な「美」という高尚な?ことばへの一種の皮肉、反感? その諧謔だろうか。 美しい女性は、えてして高慢だったりする。 高嶺の花、というが、 「美」というのの値打ちがわかりにくかったり、価値観として重きを置きにくい発想だと、「お高くとまりやがって」ということになる。
現実の体験が乏しいので小説とか引用に逃げがちやが、松本清張のいろんな推理小説だと、こういう「美への軽蔑」の気分が濃厚。
で、社会派で、大衆寄りということになっているが、清張さん自身はそんなに美術音痴とかでなくて、深い洞察があったりもする。あったと思う。
つまり、majority の共感をえるために、そういうポーズをわざととったり、美的なセンスのある人というのも既知だが、自分は鈍いとか、そういう自覚ゆえに「美」を蔑ろにする。
さまざまな art 藝術は…若輩で発達障害が烏滸がましいが、けっきょく「美」の追求であって、絵画や音楽を鑑賞する、享受するといった場合に、「美感」を、その中に感知しうるか、「美」という感性のsupreme次元?を寧ろ超感覚的に理解できる、そういう もってうまれた感覚の鋭敏さがあってこそ、そういう芸術作品を享楽的に受け止められるのだと思います。
で、自分はまあ、鈍いだけで、あこがれだけあるんですけど、とくに「女性美」への憧憬が強く、「いっそ美女になりたい」くらいに女性美を信奉する…こういう性向で、まあ、そこは好んで美女のヌードを描きたがる画家とかにタイプが近いかとも思う。
男尊女卑、がまあ一般社会では通念というか、結局 Might is Right という現実がそこにつながるんやろが? 化粧をしたがるオンナを、なんとなく軽蔑したり、ロマンチックな恋愛に憧れる軟弱なオトコ(ボクですw)、とかは、”オンナの腐ったような”と斬り捨てられたりする。
恋愛とかにはまったく縁がない人生で、そういう欲求不満、蹉跌が、けっきょく中途半端にしか自己実現もできず、人格形成すらおぼつかない、という現状を招いている元凶だろうか。
文学も読書も、執筆やSNSの交流も、現状では、たんなるシミュレーション、substitute behaviour にしかなっていない。 偽物の人生だから、そうならざるを得ない。
が、偽物だから、という利点?特異性? 未解発の能力、伸びしろや未知の可能性が、いずれ時宜を得て、大輪の薔薇にも開花しうる、という希望のよすがにも、なりうる。
単なるヒヒ爺、「痴人」と、谷崎潤一郎のことを敬遠するのは簡単だが、けして「幇間」の、calicaturize が本人そのものではないのは自明の理で、 生涯一貫に「性愛」について、さまざまに執拗に興味を持ち考え抜いたという、そこが偉大なのだろう。
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