第2話

 

 伯母さんが、美容院を経営していて、母の姉なのですが、海岸べりの街に住んでいて、夏休みなど、よく里帰りと避暑に出かけた。

 スイカがたくさん収穫できる、温暖な漁師町で、ボクはずっと山間部に住んでいたから、新鮮な体験でした。 亡姉と、母とで、夏休みや冬休み、バスを乗り継いで楽しい帰省旅行を毎年の恒例のようにしていた。


 まあ、少年時代が「黄金期」で、だんだん思い出も色あせていくのが常かもしれんが、permanent wave のお店やから、客が来るし、 cooler もあって、その大きな鏡とかチェアとか、いろいろ目新しい遊び道具?になるものがあって、夏は涼しいので、里帰りはいつも長い休暇の娯しみだった。 こういうのはわりと普遍的に誰にもあるかもしれないですね?

 

 「美容」から牽強付会しただけやが? 母の実家だから、地縁、血縁に纏わるいろんな memory が、そういうベルエポックと、渾然一体になってもいて、特別な場所というか自分史の中で象徴的な位置を占めている…

 ちょうど、「欲望という名の電車」とかで、ブランチデュボアが、「なくした故郷」として恋しがっている南部の、生まれ育った家、”ベル・リーヴ”に似ている。

 これは、仏語の「美しい夢」という定型句らしいが、オレの筆名は、もしかしたら無意識的にそれが念頭にあったやしれぬ。

 南部への郷愁というか、同様のエピソードは、同じ作者の「ガラスの動物園」にもある。


  たぶん、テネシーウィリアムズの母親が、南部の出身で、そういう記憶を懐かしがっていたことの、その残滓が戯曲の中に反映されている…


 オレの母親も、ご多分に漏れずに、青春時代とかのその実家を舞台にしたいろんな思い出をしょっちゅう、美化して語ってもいて、それが、結婚を後悔していたらしい母からすると、宝物のような記憶、心の支えだったのだろう。


 そういう残り香というのか、親も若かったし、いろいろと陽気な昔の友人が訪ねてきたり、近所にも漁師町らしい剽軽で闊達なおじさんがいろいろいたりした。


 ボクの生家にしても、ド田舎ではあっても、隣近所にはどっさりと cousins が住んでいて、しょっちゅう行き来して遊び暮らしているような塩梅で、ぜんぜんにぎやかすぎるような環境やったのです。


 幾星霜過ぎて、Time flies like an arrow 、Time and tide wait no man 、もう、実家も母の家も廃墟になったり取り壊されたりして、昔日の面影は搔き消えている。


 日本も落日、おれも老いた。


 もう早く、くだらん茶番やら騒音を排除すべく、安住の地を、あの世かどこかに求めたいという気分が濃厚…厭世観というかなあ。


 ああ糸わしい。

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