夢幻の如くなり

夏乃あめ

夢かうつつか

  この人こそ天下無双の体現者──。



 派手な衣装で傾奇者といわれ、感情のままに生きる姿はうつけ者といわれ、何を言われても信念を貫き通してきた、主は自分の憧れでも合った。



 自由。



 武家に生まれながら、しきたりに縛られず、周りさえも引き込む人を、他に私は知らない。



「のう、梅が綺麗だと思わぬか。」



 花を愛でるとは到底思えない主が、戯れに口をついた言葉に私は主が満足する返事ができなかったことが癪に障ったようだ。

 鳴かないホトトギスなら斬ってしまう、自分の思いを満たせぬ者は排除する。それが主の本質なのだろう。




「何故、気の利いた事が言えぬ。」



 その後に続くのは、叱責…いや罵倒と暴力。私の他の近臣たちには決してすることがない激しい感情の嵐。



 不条理な力に何度も曝され続け、布団に潜っても、ただ暗い闇ばかりみていた。



「主は何故そなたばかり打擲ちょうちゃくされるのか。」



 同じ近臣からの何度目かの言葉。この頃には疲弊して、何も感じられなくなっていた。食事は義務になっているし、味は砂を噛んでいるかのように何も感じない。妻の顔すら歪んで見え、それが本当に私の妻であるか、狐狸に化かされたものであるか、判断がつかなくなっていた。そんな状態であるから、仕事でも失敗ばかりで、余計に主を怒らせるという負の連鎖に陥っていた。





 世を儚む感情すら無くなった時に、主に不意に私室へと呼ばれた。



 憧れていた人は、いつの間にか色褪せて見えて、理不尽な事さえも、もうどうでも良くなっていた。



 庭に咲いている桜の花と共に散ってしまったら、主は私のために泣いてくれるだろうかと虚ろな意識で考えていたら、胸に強烈な痛みと共に、口から赤い血が床を汚していた。赤い梅の花びらのように見える。



「なんとか言え。こんな儂にお前はどうして忠誠を尽くす。」




 ああ、主は理不尽な力を振るうことでしか、愛情を感じられないのだ。どんな事をしても許される、自分を傷つけない存在であるか、ずっと試していたのだ。謗られても信念を通していたのではなく、試して自分を傷つける相手を遠ざけてきたのだ。



 主は泣いているように見えた。



 私のために泣いてくれていたのだろうか。




 

 主の野望は天下取りになっていた。誰もが自分に従う世界。言い換えるなら、誰も自分を傷つけない世界を築くことを本当に夢見、あと一歩の所まで来ていた。



 魔王と罵られても、自分に従う世界を望む。矛盾した歪んだ欲望。



 もう誰も主を止める者はいなくなっていた。少しでも意に沿わない事を進言した末路は、私のように理不尽な日々に曝される事が目に見えていたから。



 私はいつの間にか閑職に追いやられ、主と接触することもなくなっていた。



 それが安寧だと思わなくなっていたのは、この頃には私は狂っていたのだろう。









 その日、主は私に告げた。少ない護衛だけで、寺に泊まると。そして



『お前の答えを聞かせろ』



と。




 主しか見てこなかった疲れ切った私の心に火が灯った。



 私の答え…。




 夜、私は大勢で主が宿泊している寺へ軍を進めた。主は私の答えを欲しがっている。ならば家臣として答えるしか、選択肢は残っていない。




──私の答えは此れにてございます。




 矢が豪雨の様に降り注ぎ、やがて火が放たれる。


『燃えろ、燃やしてしまえ。なにもかも燃えてしまえ。』




 地獄の炎の中で、主は笑いながら、敦盛あつもりを舞っているのだろう。



 死のダンスとなる敦盛を。



 それくらいうつけで、自分の気持ちも歪めてしまった魔王である主の野望を破壊するのは狂気しかない。



『答えを聞かせろ』


と主が聞いてきた声が紅蓮の炎の中から聞こえる。



『私の答えは魔王を殺し、共に地獄へ堕ちること。』




 正気の沙汰ではない。正気でこんな大それたことができるか。

 私は狂っていた。魔王によって狂わされていた。



 そして魔王は、私の炎の中で狂った踊りを楽しみながら、地獄で待っているだろう。




 私は炭の中から、主であった残骸を集め、山に向かった。世間では既に私は『謀反者』と呼ばれているだろう。



 天下取りの野望に取り憑かれた愚か者とするのだろうか。




 天下など興味はない。私はそんな器ではないことくらい分かっている。




 逃亡している私を追手が追いついてくるのも時間の問題だろうが、私は逃げなどしていない。



 誰もこない山中深くに主を埋める。誰にも魔王が人間であった証を見せてはならない。主は魔王として死んだのだから、人間の亡骸があるわけない。


 謀反を起こした者が、主を魔王たらしめるために亡骸を埋めるとは、やはり正気の沙汰ではない。



 今頃、寺の跡で主の亡骸を探しているだろう。私が今しがた埋めたのだから。



 これで人としての主は地獄へ召され、人の世のある限り、主は魔王であったと伝わっていくだろう。



 これで私の主に仕えてきた事が全て終わった。ふと、気を抜いた時に暗がりから出てきた者に見つかった。どうやら私が逃亡中の男と気づいていないようだが、名乗りをあげる。



「我こそは…。」



 農具で叩かれ、鎌で首を切り落とされた。私の首ひとつであの者たちは褒美を貰えるだろう。



 謀反者は死んだ。行き先はもちろん地獄しかない。また主に、同じ人であった霊として仕えよう。やはり私は狂っている。



 意識が遠のく最後の時に

『そういえば…アイツは農民だったな』と近臣のひとりを思い出していた。


 サルに似た顔で、狡猾で人誑ひとたらしなアイツを。



 なぜ思い出したのかわからない。そんなものは最早どうでも良い。



 地獄で主に仕える事ができるなら。


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