第18話 不眠
健一は春日病院の精神科病棟に入院することになった。
健一が入院してからは、最初の1週間が辛かった。
精神科病棟の起床時刻は朝の6時で、消灯時刻は夜の9時なのだが、健一のように睡眠のリズムを崩した患者が、まず、夜の9時に眠れるわけがない。それでも、健一は暗やみの中でじっと横になっていなければならない。
消灯後20分ほど横になった時点で辛いので、健一は追加の睡眠薬が欲しくてナースステーションまで行った。
「睡眠薬は30分は経たないと効かないの! 」
と、ちょっと大柄でおっかない看護師さんが健一を叱りつけた。健一はふらつきながら病室に戻り、10分ベッドの中で我慢をした。その後、健一は起き上がって追加の睡眠薬をもらいに薄暗い廊下を歩いて、またナースステーションまで行った。
おっかない看護師さんは
「もう30分待ちなさい! そろそろ効いてくる頃だから! 」
と言うので健一はすごすごと自分のベッドに戻り、午後10時になったら健一はまたナースステーションに行った。
さすがにおっかない看護師さんも追加の睡眠薬を出してくれた。だが、10時に睡眠薬を飲んでも寝付けないのは、健一も経験的に分かっていて、今度は10時30分にナースステーションに行った。
おっかない看護師さんは
「これで最後だよ! 追加の睡眠薬は2回までしか出せないからね! 」
と怒鳴った。
(夜の病棟でそんな大きい声を出してもいいのか)。
と健一は思いつつ、絶望的な気分でベッドに戻った。
でも、健一が実家で眠る時にじっと横になっているのは、病棟で横になっている時より辛い。それは他の患者さん達の存在が大きい。ごそごそ動き回ると迷惑をかけることになるからだ。
また、無理に眠ろうとすると逆にそれがストレスとなる。実家で眠る時、健一はついつい本棚にある本を開いたりするのだが、それも寝付きの悪さの原因になったりした。
しかし、もしかしたら、主治医は強めの睡眠薬を処方してくれたのかもしれない。午前2時くらいになると健一はスッと眠りに落ちたようだ。
そして、病棟の起床時刻は朝6時なのだが、午前2時に眠ったものだから、朝6時には健一はまだ悪夢の中にいた。
ちなみに健一はいつも悪夢をみる。その悪夢が病気のせいか薬のせいかは分からないが、夢の中でさえ健一は不幸である。
でも、深夜勤だったおっかない看護師さんはもう帰っていたらしく、今度は穏やかな感じがする看護師さんが
「6時ですよ」
と健一に声をかけてくれた。
洗顔、歯磨き、朝ご飯。これらをするためには朝6時に目が覚めなくてはいけない。
穏やかな感じがする看護師さんの声を聞いた健一は
(ハッ)。
として上半身を素早く起こすと、穏やかな感じがする看護師さんはクスクス笑いながら
「ビックリさせちゃったかな? 」
と気をつかった。
健一が
「いえ、大丈夫です」
と答えると、穏やかな感じがする看護師さんは
「起こさない方が良かったかな? 」
と穏やかな笑顔を崩さずに聞いてくる。
「いえ、起こしてもらった方が良いです……」
と健一は寝ぼけながらも慌てて
「また明日も起こしてください」
と穏やかな感じがする看護師さんにお願いした。
そんな日々が10日ほど過ぎた。
そうするとだんだん健一の病状も回復してきた。
朝は6時に目覚めて、夜もきっちり9時に眠れるようになった。
そうなると日中は案外ヒマになってきて
(なんで俺はこんな精神病と付き合うことになっちゃったのかなぁ)。
などと考えた。
せっかく時間もあるし、このとりとめの無いような人生の1部を小説として残しておきたい、と思うようになった。
病院の売店では、原稿用紙もシャーペンも売ってなかった。
健一は家に電話をかけ、日曜に原稿用紙とシャーペンを差し入れてくれるよう、母に頼んだ。
父と母は、父が運転する車で、日曜に春日病院の精神科病棟に来て、健一の希望通り原稿用紙とシャーペンを持って来てくれた。
精神科病棟なので、シャーペンはナースステーションに預けなくてはいけなかった。
面談担当の看護師さんは、
「3番目の面談室はあまり使われていないから、そこで小説を書いてもいいですよ」
と健一に告げた。
父は相変わらず健一を良く思っていないし、母も健一をバカにしているが、それでも、わざわざ父の車で、健一から頼まれたモノを病棟まで持ってきてくれるのだから、親というものは本当にありがたい存在だと、健一は実感した。
それに、原稿用紙とシャーペンなどを頼まれたということは、健一が頑張ろうとしているのを、両親なりに何か感じたのかもしれない。
だから、両親は健一を応援してやろう、という気持ちになったのかもしれない。
健一には妻も子供もいないから、そういう親の気持ちは、想像することしかできないが……。
両親が帰ると、健一はさっそく3番目の面談室に入れてもらい、原稿用紙を机の上に載せて椅子に座って、右手でシャーペンをくるくる回しながら、この小説を書き始めた。
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