第19話 希望

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小説は何のためにあるのだろう。


こういう疑問を持つ人もいるかもしれない。


三島由紀夫も、小説とは何か、というエッセイを書いた。


そして、何故、人々は貴重な時間を割いてまで小説を読むのだろう。


また、命をかけて小説を書く人々もいる。


人々が小説を書いたり読んだりすると、ドーパミンやらセロトニンでも分泌されるのだろうか……。


知識人が読書、執筆などと威張っていても、それはギャンブルとたいして差は無いのではなかろうか。


あと、健一がこれから書くこの小説は、小説であって小説ではない。小説というのは虚構の世界を描いたものだ。だとすればこの小説は小説ではない。


健一は決めた。この小説に書くことは、健一の人生で経験した、本当の出来ごとをそのまま書いたものにしようと。


そうすることが、健一の罪を滅することになるのか、逆に罪が増えるのか、健一には知る由もなかったが……。


ともかく、健一は自分が体験したことを忠実に書いた。


そうしたら、健一の小説はすぐできあがってしまったし、推敲の必要も無くなった。もちろん健一はこの小説を何度も読み返した。でも、やはり書き直すところが無かった。健一が思い出したことをそのまま書いたからかもしれない。


いや、読む人からみれば、この小説は直さなければならないことが満載だと思う。


健一はそれでも良かった。


もう健一には思い残すことは何も無い。


もちろん、他人に迷惑をかけるといけないから、あらゆる団体の名称や人物名は架空のものだ。


健一という男も現実には存在しない。


健一がこうやって自分の経験を書いてみると、約18年前に健一が生まれて赤ちゃんだった時からずっと、健一は精神病だったということが健一にも理解出来た。


健一が救われる、ということはあり得ない。


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健一がそんなことを書いている時、穏やかな感じがする看護師さんが面談室のドアを開け、健一に穏やかな声をかけた。


「面会の方が来ていますよ」


誰だろうと思いながら健一は椅子から立ち上がり、原稿用紙とシャーペンを持ち、3番目の面談室を出て、廊下を歩いて1番目の面談室の前に立ち、そのドアを開いた。


そこには、さと子が座っていた。


さと子のママも、さと子の左隣に座っていた。


健一もテーブルをはさんで2人と向かい合って座った。


さと子は首吊りの後遺症で、健一とは会話もできないし、あらゆることを記憶することもできない。


さと子のママは健一達の会話をフォローしようとしたが、それは難しいことだったようだ。


でも、会話の成立をすることが無駄だとは思っても、健一はさと子に一生懸命話しかけ続けた。


なにしろ、さと子は健一にとって、唯一無二の女性なのだ。


時間の関係で会話も終わりそうな頃、健一は椅子から降りて正座をした。そして、オデコを床にこすりつけ、13年間言いたかったことを呟いた。


「スカートめくりの時、さと子を守れなくてごめんなさい」


さと子のママは


「さと子はその時のことを覚えていないわ。でも、幼稚園の先生からいろいろ聞いた。私はあなたを許さない」


と冷静な声を出した。


健一は食道のあたりが痺れるのを感じながら、ゆっくりと頭を上げた。


さと子は何も言わなかったが、ニコニコしながら健一の顔を見つめ続けた。


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子供の恋と精神病 正縁信治 @azuma154

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