【KAC20255】 そんな私のエセ知識 ~弓の名手、怪異を穿つ~

ともはっと

弓の名手、怪異を穿つ




ひょーひょー



音が聞こえる。

その音は、トラツグミの声に似た、妙に人に不安を与える気味の悪い声だ。


かれこれ三十年も前になるか。ぬえが現れたと宮中で騒ぎになったのは。

まだ幼子だった私は、その鵺という化け物の姿を聞いては、障子が風に揺れてがたがたと音を立てる度に恐れ戦き、布団を被って震えていたことを思い出す。



「まさか、この歳になって、本物に出会うとはな」


四十九歳。もうすぐ五十賀である。

天は曇り、黒い雲が遥か先まで続き、宮中全体もへと暗雲に包まれる。御所に現れた鵺に、皇は病に伏せ、鵺の仕業であると騒ぎになった。


「だれぞ、鵺を退治できるものはおらぬのか」


伝説上の怪異を討ち取ることこそ、英達の誉れである。

だが。なぜ。


「このような怪異、この宮中で討ち取れるのは頼政にしかできませぬっ!」


なぜ私を進言した、雅頼よ。

同じ摂津源氏の者として、源氏の栄華を得たいがためとしても。

なぜ私なのか。自分の武を示すのは今ではないのかと恨めしく思う。


「嫌がらせであったならまだ可愛いものだ」


仕方がなく、出会うわけがないと高をくくって巡回していた御所。その場でまさか出会うとは。





ひょーひょー



猿の頭を持ち、狸のような勇ましき胴。虎の手足のように長く逞しい手足に、ゆらりと揺れる、蛇の尾。


その猿顔が、にたりと黒い雲によって覆われた天から落ちる稲光を背に、私を屋根の上から見下ろすように立つ。



「……怪異を退治するために御所に勤めているわけではないのだがな」


私は、鵺退治のために持ち歩いていた弓の弓柄ゆがらに力を込める。


中国春秋時代の楚国で弓の名手と謳われた養由基ようゆうきのものであると言われる、源氏の重宝として、高祖父の源頼光から受け継いできた『名弓・雷上動らいしょうどう』と私の弓の腕があれば、恐れることはない。


弦に雷上動とセットの『水破すいは』と『兵破ひょうは』の二矢を矢筒から取り出し番える。

後は、狙いを定めて鵺に向かって放つのみである。


鵺のひょーひょーと不気味な鳴き声が、私を威嚇する。

稲光が再度、鵺の背後で鳴った。


稲光が雲を割る。

割った先に、月が見えた。

今日は三日月である。


私は、その三日月へ向かって、二矢を放つ。


風を切る水破は風切を纏い薄く青く光り輝き暴れ狂う流水かのように弧を描いて突き進む。

兵破はすべてを薙ぎ払うかのように、怒号のような音を立てて一直線に獲物へ向かう。


矢に気づいた鵺が慌てて矢を躱す。躱された矢は、我が手に戻ることもそのまま空へと消えていくこともなく、あたかも暗やむ薄暗い世界を、ダンスを踊るかのように、くるりと回っては闇夜を切り裂き鵺へと再度襲い掛かった。矢を躱してひょーひょーと私を嘲笑うかのような声をあげる鵺の喉元と腹部に深く突き刺さると、うめき声をあげながら鵺は地へと落ちてきた。


後は私が手を下すまでもない。

家来にトドメとばかりに刃を抜いて刺し貫かせれば、御所を騒がす怪異も終わりである。



黒い雲が晴れると、辺りが一際明るくなった。

空を見上げる。

三日月と思っていた月は、満天の満月である。



妖艶な月の妖力でもなんでもよい。

これで皇の具合もよくなればいいのだが。













「馬場頼政こそ、天下無双の武士であるっ!」


天皇家に伝わる獅子王を下賜されながら、関心した皇に褒め称えられる。

高祖父の『酒吞童子の首取り』のように怪異を討ったことで名を馳せることになるとは、自分でも思ってもいなかった。


「ほととぎす 名をも雲居にあぐるかな(ホトトギスが雲の上まで鳴き声を響かせるように宮中に名を轟かせましたな)」


男色であると噂の藤原頼長から獅子王を受け取りながら歌いかけられる。

それは私への夜の誘いである。


「弓張り月のいるにまかせて(月の方向に弓を射ったまでです)」


冗談ではない。

そのようなやんちゃは若い頃に済ませたのだ。老いてなお盛んとは流石に言い難い。


「弓も歌も、たいした腕前であるな」


頬を染められながら男に言われても、嬉しいものではないのだが。

だけども、御所に勤めてこのように褒められるのは、悪くない気がした。




――源頼政、鵺退治の一説より――

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