小説 ニンギョウ。

紅野レプリカ

ニンギョウ。

 空もほとんどが夜に染まりきり、家の電気の明るさが外を歩く人にとって心の支えとなるであろう時間帯。部活帰りで遅くなった高校生の弥生は街路灯の灯りをもとに歩いていた。その地域は田舎ということもあり周りは民家しかなく人も時間帯的にほとんどいない。街路灯の灯りがスポットライトのように先を転々と照らしている中、二つ先の明かりの下に一人の人影が佇んでいた。その姿は人としては異様で人間に操られているマリオネットのように動いていた。

 その異様さを前に弥生は体がこれ以上進むなと警告しているのがわかった。


「キツネのお面…?」


 そう口にした瞬間、それがこちらに向かって動き出した。いきなりのことで足が動かなかった。逃げないとと思い振り返ったがその時にはすでに遅く、後ろから口を塞がれ背後から回ってきた包丁で腹を刺された。しかし体は刺されたという事実よりも逃げないといけないという事実を優先したためか痛みやショックを差し置いて抵抗した。

 しかしそんな時間は数秒で終わり、弥生は殺された。



   *



 後ろから口を塞ぎ前から包丁で溝の部分を一刺し。それでも抵抗したから柄の付け根部分まで深く刺し込み体の中で刃の部分を抉り回した。骨の当たる音が何とも心地よかった。風船の空気が抜けていくように刺した部分から血が抜け、萎んでいくように体の力が抜けていった。

 その後、地面に横たわっているそれに何回も何回も自分の気持ちが落ち着くまで腕を振り下ろした。



   *



 昨日クラスメイトの弥生が殺された。それを朝食を食べている時のテレビ越しのニュースで知り、あまりの衝撃に涙すら出なかった。弥生の両親はすでに他界していたため親同士の繋がりはなく弥生について知っているのはほとんど同級生の私たちだけであった。今まで自分の知っている人が死んだら心の底から悲しむだろうと思っていたが、実際には悲しいというよりも実感が持てず何も感情を抱かないという方が正しいのかもしれない。それ故いつも通り朝食を食べ、着替えて、外に出た。

 いつも登校中に聴く音楽はいつも通り耳から入ってきた。

 ニュースの情報によると現場には人の形とはかけ離れた人の死体が無惨に寝ていたらしい。

 犯人は防犯カメラの映像に顔がしっかりと映っていたためすぐに逮捕された。しかしあんなにもしっかりと顔が映っていたというのに犯人はその時間は家にいたとひたすら無罪を主張しているという。ニュースなどを見ているとよく犯人として確定しているのに無罪を主張し続ける人がいる。自分の子どもが殺され、犯人として確定しているのに一向に犯行を認めない犯人に対しての親の気持ちがわかるような気がした。

 特に何も変わったこともなく、いつも通り学校に着いて、教室へと向かう。

 昨日までの教室の景色とは打って変わり空気の重さが現実的に重く感じる。弥生はクラスの人気者だったこともあり、悲しみの渦は私たちの中だけで狭く深く巻いていた。自分の席に向かい、椅子を引いた。いつもより椅子を引く音が響き、氷にヒビが入るような冷たさを感じながら座った。私は弥生と同じ部活に所属していたということもあり特に仲が良く私が教室に着いたら真っ先に話しかけてくれていた。


「弥生がいない時って何してたっけ…」


 そう口から溢れた。


「皐月」


 後ろから声がして振り向くと、そこには桜と雛が立っていた。二人も弥生や私と仲が良かったためその顔は深刻そうだった。


「大丈夫?」


 桜にそう聞かれ、少し口角を上げて返した。


「大丈夫だよ。桜と雛こそ大丈夫なの?」


 桜と雛は深刻な表情のまま話しはじめた。


「私たちは大丈夫。でも皐月はとくに弥生と仲が良かったから相当心に傷を負ってると思って。正直今日学校来れないだろうて思ってたくらいだし」


「心配してくれてありがとう。正直まだ実感できてないってのが事実なの。だからこれから日にちが経つにつれて傷跡が開いていくかもだからその時はお願い」


 少し強がっているように感じられたかもしれないがそれが事実だった。


「わかった。あまり無理しないようにね」


 そう言って二人は自分の席に戻り。その日の朝は過ぎた。


 いつも通りの授業はいつも通りに過ぎて、逆にそれが怖かった。先生も生徒もいつもより悄然としていた今日はなぜか心地いいように感じられた。

 先生が私たちのことを気にしているのか今日は部活が休みになった。それによりいつもなら暗い時間帯に帰るのだが、今日は明るい時間帯に帰ることができた。なぜかまだ弥生が死んだ実感が持てないままただ歩いた。今生きているこの世界が本当に現実なのか疑いたくなる。そんなことを考えながら歩いていると


「さつきー」


 後ろから名前を呼ばれた。振り返ると卯月が走ってこちらへと向かってくるのが目に入った。特徴的なツインテールの髪を左右に揺らし、重そうなバッグを左肩に掛け全力で走ったのであろう息が切れていた。


「ごめん。ちょっとタイム」


 そう言い十秒ほど時間を置いて息を整えた後、卯月は話し始めた。


「聞いたよ。弥生ちゃんのこと。私は弥生ちゃんとはあまり話したことはなかったからただの同級生くらいとしか感じてなかったけど、皐月は弥生ちゃんと仲良かったから心配になって。大丈夫なの?」


 桜や雛たちと同じで卯月とは中学からの仲だが部活が違ったりクラスが違ったりと何かと話す機会は久しぶりのように感じられた。


「心配してくれてありがとう。今のところ全然平気だよ」


「本当に?皐月は昔からいつも無意識に強がりを取り繕う癖があるから周りみんな心配してるよ」


「言われてみれば桜からも朝に声かけられたっけな。でも本当に心配しないで、もし何かあったらその時は助けを求めるから」


 そう言うと卯月は納得のいかなそうな顔をして


「わかった。絶対ね」


 そう言った。

 そのあとは二人で他愛もない会話をして帰路についた。

 少し空が暗くなってきた頃に家に着いた。夕日の茜色から夜の青藍色への階調が不気味でもあり同時に美しくも感じられた。家に着いた後は不自然に体が疲れいたため、ベッドの上に横になり目を閉じた。

 浅い眠りについていた時、誰かからのメッセージの通知音で目が覚めた。

 微睡みながらスマホに電源を入れて、今が十九時十三分と言う事実を視認しつつメッセージを確認した。


「卯月からだ」


 メッセージの相手は卯月からだった。こんな時間に何のことだと思いつつ内容を確認した。


「『旧美公園で待ってる。桜と雛も待ってる。早く来て』?」


 シンプルな文章だったがそれ故に理解するのに数秒を要した。街はもう夜の闇に覆われているというのにすぐに来てという文章に困惑した。


 『どうしたの?』と聞き返したが何回聞いても早く来るよう要求されるだけであった。


 とりあえず行ってみないとわからないと思い、ベットから起き上がり軽く身支度をし、急いで階段を降りた。夜ご飯を作ってる母に「ちょっと友達と会ってくる」と言い外へ駆け出した。

 旧美公園は住んでいる街の中心辺りにあるため距離はそこまで遠くはなかった。なぜ呼ばれたのかはわからなっかたが、暗い中で友達を待たせているのには変わりなかったため足早に公園へと向かった。街路灯の灯りがいつもよりも朧げにかつ不気味に見えたせいで勘づくことができなかった。これから起こる狂気の連続に。

 公園についた。旧美公園の敷地内には昔から庭園灯が一つしかなかった。昔から訪れるたびに庭園等が一つにしては広過ぎると思っていたが、夜になるとその代償がより際立って見えた。

 庭園灯から発される青白色の明かりと夜の闇が混ざり合う狭間に人影が見えた。ベンチに座っている人影が三つ、角度的に全身は見えなかったが、この時間帯と先ほどのメッセージのこともありその人影が卯月たちのものだというのは見当がついた。

 急に呼び出された理由がやっとわかるという気持ちと今日という日の違和感が重なり合い目先の闇すら自分を取り巻く一つのように感じられた。

 一歩また一歩とその人影に近づくたびにその闇が明らかになっていった。特徴的なツインテールのおかげで手前に座っているのは卯月ということがわかった。


「卯月、急にどうしたの?」


 そう近づきながら聞いたが返答はなかった。


「卯月…?」


 さらに近づいていく中で皐月はその闇に触れることとなった。近づいたことでやっと視界が開けて卯月以外の二人の姿も目に入った。しかしその瞬間皐月の足が止まった。卯月の前にいる二人の頭の位置は寝ているにしては不自然なほど低くかった。さらに二人の背中に刺さっている突起物が視界に入った。

 何が起こっているのかわかってはいた。分かってはいたが皐月の体はまだその状況に追い付いてはいなかった。二人は殺されている。目の前に広がっている狂気は皐月の逃げるという選択肢すら忘れさせた。


「うづ…き…?」


 再び卯月の方に視線を移した皐月はあることに気づいた。さっきまで背後しか見ていなかったためそれに気づくことができなかった。卯月と思われるそれの顔はキツネのお面で覆われていた。


「キツネ…?」


 その瞬間、それは卯月の声で言った。


「アナタハワタシ」


 その時、いきなりこちら側へと振り向き腕を伸ばしてきた。

 一瞬何が起こったのかわからなかった。しかし、左腕にゆっくりと熱がこもっていくのが分かり、何が起こったのかを理解した。


 刺された。


 その事実にパニックになったが体がその状況をやっと理解したためか皐月はその場から駆け出そうとした。地面にある砂を右手で掴み、キツネ面の顔めがけて投げつけた。キツネ面は右手に持っていたナイフを地面に落とし、皐月はそのナイフを手に取り、その一瞬の隙をつき公園の出口に向かって駆け出した。振り返ることもせずただただ夜の住宅街を走った。背後から迫り来る狂気から逃げることで必死だったため、夜の住宅街という世界は今の皐月にとって恐怖ではなかった。

 家まであと半分までの距離に来て、息切れが激しくなった。その時ポケットに入っているスマホから通知音が鳴るのが聞こえたため、電源を入れ確認した。

 それは卯月からのメッセージだった。


『皐月どこにいるの』


『何で逃げるの」


「いつもみたいに話そうよ」


 それは目の前まで狂気が迫っていることを実感させた。目の前は街路灯の灯りがスポットライトのように先を転々と照らしていて、皐月はその先にある一人の人影に気づいた。目先の恐怖のせいで助けを求めることすら忘れていたが人の存在に心を落ち着かせた。

 こちらに向かって歩いてくるその姿は高校生だった。

 息切れが激しかったため声を出して助けを求めることができなかった。

 高校生は私に気づき足を止めた。しかしその後に高校生が口にした言葉は皐月にとって好都合なことではなかった。


「キツネのお面…!」


 その言葉から皐月は背後にキツネ面が迫っていると錯覚した。その言葉は皐月の脳内に響き、公園での光景がフラッシュバックした。発狂した皐月の視界に映る高校生の顔が次第にキツネ面に変わっていった。狂気を前に皐月は右手に持っていたナイフを握りしめてキツネ面に向かった。キツネ面は怯えたようなそぶりを見せて皐月に背を向けたが、皐月の頭はすでに狂気の海で満たされていた。逃げ腰のキツネ面の口を背後から抑え、持っているナイフで腹を突き刺した。

 あまりの恐怖に我を忘れ何回も何回も突き刺した。

 数秒後、目の前には腹が抉れている人の形をした物体が寝転んでいた。腹は握り潰された赤紫のスライムのようになっていた。


 そのまま我を取り戻した皐月は目の前に広がる狂気に意識を飛ばされた。



 目を覚ますとそこは自室のベットだった。自分の体を見ると制服のままだったがそこにはいくつかの赤い斑点がついていた。さらに手は奇妙な違和感があり、心臓の鼓動が加速していくのがわかった。とりあえず制服を着替え、夢現のまま階段を降り一階へと向かう。母は台所で朝食を作り、父は椅子に座り新聞を開いて読んでいた。いつも通りの朝だった。すると母が口を開いて言ってきた。


「皐月、あんた昨日の夜どこ行ってたの?変なキツネのお面をつけて恥ずかしい」

 その時テレビからあるニュースが流れてきた。



  *



今日生きている感覚があった

貴方の言葉が心に刺さった

生きたまま刺さったそれは欠けていた心を満たしてくれた

貴方が手にしている糸は私の心に繋がっている

私が死ねないのは貴方がその糸を引いているからですか

だから仕方なく歩きます

春が冬の後を追うように

五月に咲いた月下美人は貴方が見るその日まで夜に隠れた


今日死んでいる錯覚があった

貴方がくれた大事なものさえ忘れた

死んだままもらったそれは意味もなく私の心を縛った

貴方が口にした言葉は私を踊らせる

私が生きてないのは貴方がその言葉を弾いたからですか

だから仕方なく殺します

日が月を照らすように

目に映る一本の線をあなたに刺した夢を見た


昨日キツネに踊らされた

踊らさられるやつは馬鹿だ

踊りたければ踊ればいい

君を躍らせたい

僕を、騙したい

明日キツネに騙される

騙されるやつは馬鹿だ

騙されたければ騙されればいい

今だって、ほら

あれ、これって誰を書いたんだっけ

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