10章 あなたを遮る理由

第11話

最初は姉と自分の仲を邪魔する存在だと思っていたが、次第にリコリも、姉とロッカと3人でいることがしっくりくるようになってきた。たまにロッカに会えない日があると、「つまんない」といじけて、姉にクスクスと笑われるくらいに。


 あの花畑にも、3人でよく行った。もっとも、ロッカはいつも渋々ついて来るという感じだったけれど。姉には誰も、逆らえない。それが当たり前だった。


 ロッカと出会って、1年とちょっとが経とうという頃のことだ。


 リコリはその花畑で、夢中で蝶を追いかけていた。姉の髪の色によく似た、お日様みたいな黄色い羽の蝶。つかまえてみせたら姉が喜ぶだろう。


 無論、姉とロッカもいた。姉は花畑に腰を下ろして花冠を作っていて、ちょっと離れた隣にロッカもあぐらをかいていた。既にその頭や首には、姉の作った“作品”が飾られている。ロッカは居心地悪そうに、されるがままになっていた。


「あっ‼」


 花にとまった黄色い蝶にそろそろと近付いて、とうとう手の中におさめた時は、うれしかった。ぱぁっと、笑顔になった。


 姉に見せたら、きっとあの大好きな笑顔になってくれるだろう。ついでにロッカにも見せてやろう。普段あまり褒めてくれない彼だが、もしかしたら、これには「やるじゃん」と言ってくれるかもしれない。


「おねえちゃ……、」


 2人の元へと駆け出そうとしていたリコリは、足を止めた。言葉も、中途半端なところで消えてなくなってしまう。


 そこには、さっきと同じように、姉とロッカがいた。姉は夢中で花冠を作っていて、ロッカはその隣にいて。


 ――その、ロッカの目が。瞳だけが。隣にいる姉を見つめていた。


 誰かをじっと見ることなんて、誰にでもある。でも、そういうのとは違った。


 露骨に顔を向けたりはせず。そっと、視線だけが姉を見つめていて。睨んでいるのとも、観察しているのとも、面白がっているのとも、違う眼差しで。相変わらずむっとしたような顔をしているけれど、わずかに顔が赤いのを、姉には見せまいとしている。


 姉だけを見つめるその表情は、リコリが知らないもので。


 この花畑は今、姉とロッカだけの、世界に思えて。


「……あっ‼」


 どうしてかそんな2人から――とりわけロッカから――目を離せなくなっていたリコリは、手の中のくしゃりという感触に我に返った。ぱっと両手を慌てて広げるが、そこには無残につぶれた蝶の死体があるだけだった。


「どうしたの、リコリ」


 リコリの今の声は聞こえていたらしい。姉が作りかけの花冠を手に、こちらへと駆け寄って来た。


「……蝶が……」


「蝶? ……まぁ」


 リコリの両手の平を見た姉が、目を丸くする。つぶれてしまった蝶は、もうお日様色には見えなくなっていた。手についた黄色い粉は、たった今失った命の欠片なんだろうか。


「……っ」


 ぶわり、と、涙があふれた。自分のやってしまったことに耐えられなくなって、リコリは姉に抱きついた。今度は蝶をつぶさないように、手はゆるく開いたまま。……今更そんなことしたって、もうこの蝶は飛べないのに。


「……そうね。悲しかったわね」


 姉がそう言って、抱きしめ返してくれる。ぽん、ぽん、と優しく背中を叩かれる。


「リコリ、ほら。おんぶしてあげるわ」


「……」


 リコリは姉から手を離した。姉がくるりと背を向け、屈んでくれるので、その背中に体を預ける。姉が「よいしょ!」と言いながら立ち上がった。


「どうしたんだ」


「ちょうちょをね。つぶしてしまったみたいなの」


 近付いてきたロッカに、姉が答えているのが聞こえる。リコリはどうしてか、伏せた顔を上げることができない。


 蝶をつぶしてしまったことで、胸が痛かったからというのもある。……けれど、ロッカの声を聞いた途端、さっきのあの表情が脳裏をよぎったのだ。


 姉を見つめる、密やかなあの表情が。


「おれがおぶろうか」


 ロッカの言葉に、ぎくりと体がこわばった。


「……ううん。わたしがおぶって帰りたいの」


 姉がゆっくりと首をふったのが伝わってくる。リコリは泣きじゃくりながら、内心、ほっとしていた。


「ほらリコリ、お姉ちゃんと一緒に帰りましょう」


 姉の言う声が、じんわりと、背中のあたたかさと一緒に伝わってきて……。


 そうして内心、姉がロッカよりも自分を優先したことにほっとしていた。






 つぶれた蝶を手の平に貼りつかせたまま、リコリは家に帰っても泣きじゃくった。ロッカは姉とリコリを送って、すぐに帰って行った。そのことにまた、どうしてかほっとした。


 そうして、空が赤く染まる夕方頃に、家の裏に、姉と一緒に蝶を埋めた。それがリコリが生まれて初めて作った、お墓だった。埋葬だった。


 けれど心には、そうした悲しみ以上の何かが、自分の中で大きくなっていた。それが何か分からぬまま――けれど姉にはそれを言えないまま――ぽん、ぽん、と、土を丁寧に叩いて。


 ……そんなことを、したからだろうか。姉に、蝶のことで悲しんでいるだけと思わせた罰が当たったのだろうか。






 姉が時たま、1人でふらっと出かけてしまう時はあった。大した時間ではない。ほんの少しだけ。蝶を埋めた数日後、姉は、そうしてリコリのこともロッカのことも誘わず、1人であの花畑に行ってしまって。


 リコリが次に会った時には、棺の中で花に覆われて眠っていた。


 リコリがつぶした、あの蝶のように。もう誰の目にも触れない、土の中へ。

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